あの日、余市で決断したこと
もの凄い勢いで放射された炎が、樽の内側を焦がしつつ渦巻く火柱となって開口部とダボ穴から天井に向かって噴き出る。圧巻の光景。その炎は遠巻きに見つめる我々の顔を照らし、10メートル以上離れていてもあからさまな熱を感じさせる。
2012年4月22日、北海道の余市にある蒸留所で、ウイスキーづくりを体験した。なぜ日付まで正確に覚えているのかというと、その日はたまたま僕の誕生日だったから。
2日間にわたって開催されたこの「マイウイスキーづくり」のイベントは、前日に泥炭で大麦を燻すデモンストレーションから、巨大な聳え立つポットスティルへの火入れなどを体験した後、この日はウイスキー樽の再生工房にて専用の火炎放射器による樽の内側を炭化させる実演を見学したのたった。
その迫力のある光景を眺めた後、樽にウイスキーの原酒を詰め、貯蔵庫に格納した。余市の海、川、山の自然に囲まれた蒸留所で、そのウイスキーは10年間の熟成期間を経てようやく完成するのだ。
その日、余市で38歳の誕生日を迎え、その先10年間熟成の時を待つウイスキーのことを考えてたら、ある決断に辿り着いた。
「よし、転職しよう」と。
もっともっと、こういう体験をしたいと思ったのだ。すでに「日曜アーティスト」としてブログを書いたり趣味の創作活動を続けてはいたが、その当時のウェブプロデューサーとしての仕事量はワークライフバランスなどという言葉とは無縁の状態で、残業時間が毎月過労死ライン超えはむしろ当たり前だった。しかも、残念なことに自分はそういう状況をむしろ好んでいたのだ。忙しい方がやりがいがあると感じていた。終電が定時で、休日出勤が常態化しても、それ自体は別に嫌ではなかった。
ただ、そのままの生活を続けていると、近いうちに体を壊すことは明らかだった。既にだいぶ前から、眠るためには医者からもらう処方薬がほぼ必須の状態だった。そもそも週末の休みがないのだから、「日曜アーティスト」としての趣味の創作活動をする十分な時間は確保できない。もっといろんなところに飛び込みつつ、きっかけや繋がりを広げていきたいと思った。
その旅を終えてすぐに転職活動を始め、半年後には新しい職場での仕事をスタートした。それが、今の職場。
昨年勤続10年を迎え、と同時に余市からあの日樽詰めしたウイスキーが届いた。あの時決断したおかげで、今の自分がいる。あれから、いろんな旅を経験した。体験をブログやSNSにシェアしつつ、さらにそこからまた新しい体験に繋げつつ。そう、いろんなものが繋がってるんだよな。無駄ことなんてひとつもない。
この先の10年も見据えつつ、また引き続きいろんなところに飛び込んで、繋がりやきっかけを広げていきたい。
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僕がブロガーだった頃
2002年に初めて「ブログ」というものに触れ、2011年から「ブロガー」を名乗るようになりました。ブログマーケティングが全盛だった時代の、…
「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。