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私の発信する「シン・病者の教養」の由来

解決すべき問題は、私が発信するテーマだった。

まずゴールだ。
「ブログと動画で発信するテーマを決める」だ。

次はインプットして現状を整理すること。
課題は自分にふさわしいテーマを調べることだ。
それには、
① 職場の同僚に訊く
② 自分がやってきたことをリストにする
③ 「したい・できる・必要とされる」で考える
ことだ。

職場で訊いた。
「これから情報発信していきたい。僕に合っているテーマは?」
回答が集まった。
・児玉朋己を出したいなら、精神障害を打ち出すのは平凡。自分の本質は結果として伝えたい。
・障害を前面に出すのはいやらしい。障害とは関係のないところで興味のあることを語る。
・精神の分野で関心のもたれるもの。一般でまだわかってもらえないこと。

②は、
・病気への対処法・闘病のノウハウ
・精神科医療の問題(収容の歴史、薬の問題、等)
・音楽製作ソフトの使い方
・本・映画のレビュー
やりたくないものもあった。

さらに③については「僕は面談で利用者さんの悩みを傾聴し交通整理をして差し上げることが好きだ。そこでの気づきを語るのが良い」と考えた。

これらをすべて掛け合わせたら? と考えているとXに「教養が大事」というポストが流れてきた。「教養?」とふと思ったら、購読しているメルマガで「教養を学ぶ」という内容があったことを思いだした。
「トレンドは教養か」と気づいた。

教養なら障害のことであってもなくても良いし自分が好きなことを語れる。「教養なら語りたいことを何でも語れるんだ」と思ったら、少し前に大切にしたい人から届いたLINEを思い出した。
「過去世の残された意識が自分と似ている児玉さんに叶えて欲しいと思っているのかも。ただ、それが現世を生きている児玉さんが本当にしたいことでなければ、その思いは報われることは無いですよね」
これだ! 語りたいことを語ろう! 俺が語るなら「シン・病者の教養」で決まりだ!

こうして私の発信するテーマは決まった。

(799字)


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