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自分のアンテナに引っかかったものを大切に育てる

食べ物は無理でも、「知識」を咀嚼して吐き戻すことはできる。多くの人にとって魅力が少なく興味が持てないと感じられることでも、見る人が見ればその奥深さや隠れた意味を引き出し、新たな面白さを付加して人に伝えることができる。そういう情報や知識を咀嚼して吐き戻せる人が、真の知識人だといえる。自分の経験や知識を他の人に伝えること。それはヒトの命の生業(なりわい)だ。生きるとは、その人だからこそ知っている知識を伝えることではないか。

あらゆる人間関係の基盤に知識を教えあい学びあうことが埋め込まれている。ヒトの教えあい学びあいは、赤ちゃんが「オギャー」と自分のまだ分節されていない感情を周囲に伝えることから始まる。それから「ママ」「パパ」という言葉を学ぶことが続く。次に幼児期の学びをへて学校で学ぶ時期がくる。この時期には「自分に悪意はない」「あなたに共感している」等と自分の感情を伝え教えることも学ぶ。そして最高学府を卒業しても学びは終わらない。社会に出てからも学ぶことは多い。いやその連続だ。

学ぶ人がいるということは、自覚の有無に関係なく教える人がいるということだ。ヒトの一生は教えあい学びあい続けることなのだ。この事実からもう一歩踏み込んで、「知識を教えあい学びあうことがヒトという種の統合原理だ」と言った行動遺伝学者もいる。

ブログで自分の学んだことや身の周りの出来事を記事にするのも教えることだ。私もブログを書く。しかし、自分の知っていることを記事に書こうとするとき「コレは私の興味があり好きなことだけど、他の人にとってはつまらないことかもしれない」と思ってやめてしまうことがある。これは勿体なかったと気がついた。冒頭で言ったように、奥深さや隠れた意味を引き出し新たな面白さを付加できたかもしれないのだ。それにはまず自分のアンテナに引っかかったものを卑下しないこと、大切に育てることだ。そこから始めよう。

(800字)

このエッセイについて

本の中で著者はシニアの役割として「自分の持っている知識を咀嚼して更新に伝える」ことを提案していました。私は全体の中でこの部分が特に印象に残りました。それは、以前読んだ本で行動遺伝学者が言っていたことと重なっていたからです。分野は違っても同じ生物を研究している人からほとんど同じ提言が出ていることが面白いと思いました。「知識を伝える」ことを私自身に引き付けるとブログを書くこととつながりました。振り返ってみたら、せっかくの発信を躊躇ってしまうことが少なくないことに気づいた次第です。


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