見出し画像

中学2年の時に謎の通貨を発行していた話

突然だが、皆さんにはいわゆる中二病だった時期があっただろうか。

中二病(厨二病)というのは、思春期の格好つけたい年頃の少年少女にありがちな、空想や自己愛や全能感が生み出す、奇矯で珍妙な言動や嗜好のこと。揶揄または自虐の意味を込めて用いられるスラングである。

weblioより引用

もちろん僕にもそんな時代があった。

ハンドルネームが「キラ」だったこともそこそこな中二病エピソードだが、

それ以上に不思議な病状の中二病(?)があったため、今回はその話を聞いてほしい。


オッチョとの出会い

話はまさに中二病真っ盛りの中学2年の頃に遡る。

僕は中学2年のころ、主に仲がいい4人グループで学校生活を送っていた。

みんな部活動はバラバラで、趣味もそれぞれ違ったが、どこか気が合うという理由で集まっていた。

そんな4人が学校外で遊ぶとなると、共通の遊びは釣りか映画くらいしかなかった。

その頃に上映されていたのが20世紀少年である。

◎20世紀少年とは(あらすじ)
小学生の頃に仲間たちと物語を空想していた男性。その内容は、20世紀の終わりに人類滅亡を企む悪の組織とそれを阻止する正義の味方というものだった。現在コンビニを営む彼は、冴えない毎日を過ごしていた。そんな中、彼の周りに不穏な事件が起き始める。それらは、彼が少年時代に書いた物語とそっくりだった………。

映画「20世紀少年」


ストーリーも面白かったのだが、それよりも心惹かれるものがあった。

そう、豊川悦司演じるオッチョである。

ケンヂの娘、カンナを守るオッチョ


豊川悦司演じるオッチョの仕草や表情のすべてがシブカッコよすぎて、4人グループのうち僕とケンの2人はすっかり魅了されてしまった。

映画を見た日以降、ケンと僕のまわりで何かかっこいいことが起きると「それオッチョやん!」と言うようになった。

誰かとともに紙切れを見るオッチョ


オッチョの変化

ときに言葉とは時間とともに変化していくものである。

例えば、「すべからく」という言葉は「すべて」のような意味と誤認している人も多いが、本来の意味は「当然」という意味である。

このように、いつの間にか最初に生み出された意味とは全く違う形で使われることがある。

オッチョもその例に漏れなかった。

振り向きオッチョ


当初は「それオッチョやん!」「今のオッチョやね?」など、

格好いい行動を形容する言葉として用いられていたが、

それが短くなり、もはやもともとの意味もわからないほどに多用され始め、

最終的に朝の挨拶すら「オッチョ」になっていた

そこからオッチョは、爆発的な広がりを見せることになる。

ロケットランチャーを構えるオッチョ


仲が良かった4人組の残り2人に、

タクミ(運動ができてイケメンだがちょっと変)と、

ピラフ(顔が面長でタイ米に似ていたのが由来だと言われているが、専門家の中では意見が分かれている)

がいた。

そのタクミとピラフのなんてことない行動に対し、勝手にオッチョ度を評価するようになったのである。


例えば、タクミがリレーでめっちゃ速かったり、ピラフが盛大に転んだ時など、

何かしらオッチョな出来事の度に「オッチョ」と声かけするようになっていた。(これをオッチョ制という)


しかし、オッチョ制の運用が始まると、

「オッチョ」と叫ぶだけではどれくらいオッチョであったか(オッチョ度)を伝えることができない上に、

今までの累計でどれだけオッチョを獲得したか(累計オッチョ)が記録できないと言う問題が発生した。


そこで僕は、義務教育中学課程の貴重な授業時間を割いて、通貨を発行した。

それがオッチョポイント(通称OP)の始まりである。


オッチョポイントの発行

オッチョポイントは紙で発行された。

A4の紙を64分割くらいに小さく刻んだ縦長の紙きれの、上部に「オッチョ」の文字、中部にともだちのマーク、下部に「ポイント」の文字が書かれていた。

(この辺りの優れたデザインセンスは現在のYouTubeのサムネなどでも散見される)

ともだちマーク


オッチョポイントの最初の発行は8枚くらいだった。

担任のキナシ先生の社会の授業の時に、せっせとハサミを使って発行していた。

発行されたオッチョポイントはケンと僕で生徒手帳の背表紙に挟んで半分ずつ保管し、学校生活の中でオッチョを感じた時に各々配布していた。


集めることに全く意味はないし、ケンと僕の気まぐれで配られるため、

通貨とは違って価値が担保されているわけではなかったが、オッチョポイントには不思議な魅力があった

なぜ魅力があったか以下に考察してみる。

  • ともだちのマークのアブノーマルさにどこか惹かれる

  • 配り手のケンと僕がすごく大切そうにしている

  • 配り手のケンと僕がすごく恩着せがましく渡してくる

  • オッチョという響きが謎に心地よい

  • 生徒手帳に何かしら挟みたい年頃である


今考えてみてもよくわからないが、発行したての当時はなぜか非常にもてはやされていた。

そして、日常的にあやしげな紙切れの受け渡しが行われていると、当然クラスのだれかの目につくものである。

バカだけどとにかく明るくノリがいいハマグチや、

他人にバレることなく鼻をほじることに関しては右に出る者がいないハナシマも、

オッチョポイントを求めるようになった。


少ない供給の中で需要が高まると何が起きるか。

そう。オッチョポイントの高騰である。


オッチョポイントが高騰すると、オッチョポイントの造幣を司る僕はもう無敵だった。

ピラフに日直の黒板掃除を代わってもらう代金として1オッチョポイント配布したり、

ハマグチに僕が忘れた教科書を借りる代わりに1オッチョポイント配布したり(ハマグチは忘れ物扱いになるけど大丈夫なん?)などと

現代の楽天ポイントも腰を抜かすほどの効能・汎用性を持ったポイントへと変貌した。


そうなると、味を占めた僕はとにかくオッチョポイントを発行するようになる。

キナシ先生の社会の授業は「オッチョポイント発行タイム」と化し、中学2年生の2学期の社会の授業はほとんどオッチョに消えるほどだった。

しかしオッチョポイントの天下は長くは続かなかった。


オッチョポイントの衰退

オッチョポイントを発行しすぎるとどうなるか。

みんなの生徒手帳の背表紙には何の役にも立たない謎紙切れ、オッチョポイント(通称OP)が溜まっていく。

しかしオッチョポイントを消費する機会はないため、生徒手帳は膨れ上がるばかりである。


ここで皆さんにも胸に手を当てて考えていただきたい。

確かにオッチョポイントが0枚の時にもらう1オッチョポイントは確かに豊川悦司ばりの輝きがあるが、

オッチョポイントが20枚とかになってくるともう1オッチョポイントどうこうでは何も感じられなくならないだろうか。

そう。
市場に出回るオッチョポイントの母数が増えることによって、1オッチョの価値が凋落してゆくのである。
(通称オッチョ凋落


1オッチョポイントでは満足できないオッチョニストたちのために、さらに僕は社会の授業を犠牲にしてオッチョポイントを発行した。

5オッチョポイントを支払うことでオッチョポイントを増やすチャレンジができるオッチョくじ(通称オッチョくじ)や、

10オッチョポイントでちょっと大きい1オッチョポイントに交換できるオッチョ両替サービスなど、各種オッチョサービスも登場した。

しかしそんな努力も虚しく、オッチョポイントの衰退は留まることを知らなかった。


そもそも、20世紀少年のブームが去ってきていたのである


そして次なるブーム、それは実写版カイジだった。


当時の中学生が好きな俳優トップ3に入る藤原竜也の熱演(他は松山ケンイチとか)、

中学生の憧れの的である危険なゲームの数々に、我々メンバーで虜にならないものはいなかった。


エピローグ

ある日の掃除時間、くしゃくしゃになったオッチョポイントがちりとりに掃き入れられたのを見つけた。

キーンコーンカーンコーン…と掃除時間の終わりを告げる鐘の音が、

短く、されど栄光の時代を築いたオッチョポイントの終わりを告げる鐘の音に聞こえた気がした。


それからの社会の授業は、カイジのじゃんけんゲームの星を発行するのに費やされることになるのはまた別の話である。

山本太郎(右)の胸についている星、ゲームに勝つともらえる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?