高校生のドイツ留学 パーダーボルン編①
9月7日(金)、迎えに来てくれたホストファミリーの車に乗ってパーダーボルンへと向かった。行きのアウトバーンでは父親が200km/hを出していたが、驚きでしかなかった。ホストファミリーはロシア出身の父親、シリア出身の母親、そして姉(当時高3)と日本に留学中の妹(当時高1)という4人家族だった。
パーダーボルンはノルトラインヴェストファーレン州にある街で、人口は15万人、郡を含めると30万人ほどである。ここで私は1年間過ごすことになる。
週末に歓迎パーティーなどがあったあと、月曜日には母親に連れられて姉妹の通っている学校に説明を受けに行った……訳だが、なんとこの学校、その時の高1からが共学、つまり高2と高3は女子校時代の名残で女子しか居ないのだ。
「そのまま高2に入る?それとも高1?」
ドイツ語のできない私が高2に入っても何も出来ないことは分かっていたので高1に入ることにした。まぁそりゃ周り女子だけとか怖いじゃん。しかしさすが元女子校、高1が120人居るのだがそのうち男子はわずか10人ほど。私が入ることになったホームルームクラス20人のうち男子は私以外2人という状況になったのだ。
実はこれが良かったのかもしれない。というのも男子が少ない=みんなと仲良くなれるという事だ。初日の昼休憩になって学年の男子ほぼ全員と食堂でおしゃべりをすることとなった。当然ドイツ語は分からない。
男子A 「~~~~~~~?」 (ドイツ語なので分からない)
男子B 「~~~~~~~?」 (わからない)
男子C 「英語だったら分かるかい?どっちの方がいい?」(英語だった)
私 「いっひ めひて あうふ どいっちゅ しゅぷれっひぇん!!!」
やってしまった。ドイツ語はまだまだ話せないのに英語を断ってしまったのだ。の癖して取れる授業は全部取ってしまって彼らよりも授業数が多くなってしまった私は意地でドイツ語の勉強を始めることとなった。
この投稿のヘッダー画像?になっている黒板を見て欲しいがドイツ語初学者にこれが読めるわけが無い。授業はひたすらに
筆記体を読み取る→ノートに書き写す→電子辞書で意味を調べる→単語ノートにまとめる
の繰り返しになった。この方式が功を奏してか、年末までには何をテーマにしているのかなど基本的なことは分かるようになっていった。
学校生活は問題なかったのだ。学校生活は。
そう、ホストファミリーと馬が合わない!
9月末にはホストシスターが日本留学から帰ってきたが、なんと彼女は早期帰国で帰ってきたのだ。この制度は【問題を起こした生徒】を対象としたもので……ここからホストファミリーとは更に関係を悪くしていく。父親とは仲が良かったのだが彼は仕事が忙しく基本家に居ない。となると母親、姉、妹なのだが……
金遣いが荒い!!!家ではゲームしかしない!!!週末はショッピングばっか!!!
これの何が問題かというと、毎週末の出費がえげつなかったのだ。高校生、ましてや留学生、金などない。あとゲームは私が好きじゃない(というかできない)ので普通に困った。それよりはドイツ語を勉強したかった。ただ家族と一緒の時間は大切にしたかったので、私はリビングで勉強するようになった。ただ彼らは基本自分の部屋に篭っている。上手くいかないものだ。
そして10月中旬から小休暇のような2週間ほどの休みがあったのだが、そこで家族旅行でベルリンに行くこととなった。私はホストファミリーに合わせようと必死に一緒に遊び、彼らが興味を持つものに興味を持ったが、彼らの選択は違った。
旅行から帰ってきて数日、留学団体の地区委員が家に来て話し合う時間があった。急にどうしたのか?と思ったが、直ぐにわかった。ホストチェンジだ。
ホストファミリー曰く「仲良くしようとしてくれない」とのことだ。私は耳を疑った。ホストファミリーに合わせようとして、精神が限界になっていた私にはただちょうど良かったのかもしれない。ホストファミリーのことしか考えず、恋人のこともないがしろにしてしまっていた。そもそも遠距離は難しい。とにかくホストチェンジはしんどい。今までの努力を否定された気分になった。
さて、ホストチェンジになったらどうなるでしょう!
……正解は次のホストファミリーを探さなければならない、だ!
当然私には私の担当さんが付いてくれていたのだが、ひとまずは前のホストファミリー、つまりデュッセルドルフのホストファミリーの元に戻ることとなったのだ。最悪転校も有り得る。留学2ヶ月目にして暗雲がたちこめたのだ。
10月19日(金)、私はREに乗ってデュッセルドルフへと向かった。1ヶ月半ぶりの街だ。
次回デュッセルドルフ編②に続く!
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