A教授からのハラスメントまでの経緯(2)

以下の内容に先立つ経緯は下記の記事を参照ください。
https://note.com/tolleetlege561/n/n6237146db871

春季休暇中にあたる2016年2月、Aが水俣で現地調査を行うという話を大学のカフェテリアで聞きました。それ自体に誘われることはなかったものの「岡山の長島愛生園にはいつか連れていきたいと思っている」と言われました。別れ際には「また癒してね」とも言われました。水俣滞在中にはAから現地の風景を撮った写真がメールで送られてきました。また、調査地で知り合った施設の職員の中に私と似ている人がいるからと言って、私の自撮り写真を送ってほしいともいわれましたが、不快に思い、送ることはありませんでした。

その春季休暇中、私は心身の調子を崩してしまい(本件が直接関係するわけではない出来事がきっかけでした)、3年生に進級した2016年4月以降大学に行くことが困難になり休学を検討するようになりました。
その際、今年度から所属することになったゼミの指導教官、休学相談の窓口であった同じコースの教員、およびAの三名に個別に休学の相談をしました。するとAからは「5月の連休中に、相談も兼ねてご飯でも」と誘われました。
当日は大学近くの駅で待ち合わせをし、夕食をともにしました。その後、さらに付近のバーへと案内され、深夜1時ごろまでお酒を飲みました。
結局、休学については両親との相談のうえ見送ったのですが、連休後も授業等に出席できる状態にまでは快復しなかったため、春学期の間は遠方の実家で療養することにしました。実家滞在中もAとは時折メールでやりとりしていました。

夏季休暇に入り、実家滞在中も借りたままだった下宿を一旦引き払うため、大学のあるK市を訪れました。そのときに大学内のフレンチレストランでAと食事をしました(夏季休暇中のため、レストラン内は閑散としていました)。ランチでしたが、Aはシャンパンを注文し、私も勧められました。

その頃にはかなり心身の調子も快復してきていたため、新たに下宿を探し、秋学期から再び授業等に出席するようになりました。Aは3年生向けのゼミや授業を担当していませんでしたが、彼を講師に迎えた私的な講読会をB(2015年秋の合宿にも参加していた一学年下の男子学生)が主催しており、私も誘われて参加しました。
その講読会はAを慕う学生たちの集まりだったためか、普段の授業などとは違い、私だけを露骨に特別扱いするような振る舞いはありませんでした。
ただ、私の転居後は大学から帰宅する方面がAと同じになり、そのことを知ったAの誘いで、講読会後は二人でタクシーに同乗して帰ることもありました。そこでは、私が不登校の経験について当時メディアの取材などを受けていたことに対しネガティヴなコメントをされたり、また「公務員などが向いているのではないか」「修士くらいは出ておいてもいい」などと、私の将来についてAの意見を聞かされたりした記憶があります。タクシーを降りた後、私の自宅のすぐそばにあるコンビニで立ち話をしたこともありました。

一方でAからの個人的な食事の誘いはこの時期、ますます増えていました。
講読会で私の発表の番が回ってきた際、事前にAにレジュメを見てほしいとメールしたときも、食事に誘われました。ある時の食事の席で、誕生日に一人で深刻なテーマのドキュメンタリー映画(Aの研究テーマにも関わる内容でした)を見て過ごしたことを告げると「そういう時は先生のところに来ればいいんだよ」と言われたことを覚えています。
またこの頃から食事中の身体接触が増えはじめたことは、大学のキャンパスハラスメント相談員の前でも証言しました。

その頃、私はAが以前から「別れたほうがいい」と言っていた交際相手と別れることになったのですが、それを伝えると「えらいね」と言って頭を撫でられたことを覚えています。
また食事の後、喫茶店で話していたときに「僕が独身だったら君のお父さんに挨拶に行っていた」と言われ、私は戸惑いました。その直前にも私のことを「魅力的」だというメールを受け取っていたため、その頃からAは私に恋愛感情を持っているのかもしれない、そして現在の妻とは別れるつもりなのかもしれない、と思うようになりました。

11月25日、私はAに呼び出されて他大学のキャンパスで待ち合わせ、その近隣の沖縄料理店に二人で向かいました。Aはことさら疲れている様子を見せ、まず自分の手を私のほうに差し出し、マッサージをしてほしいと頼んできました。私が従うと、Aのほうも私の手に触れはじめ、そこからさらに腕や顔や首を撫でまわし、足を絡ませ、また私の歯の間に挟まっていた食べ物を手で取り、テーブルの上の黒糖を私の口の中に入れてきました。
その間Aからは「我慢できなくなっちゃった」「雰囲気変わるね」などと、性的なニュアンスの言葉をかけられました。閉店時間も近づいており、私たちの周りにはすでに他に客がいない状態でした。そうした行為に困惑し私が「先生は結婚しているじゃないですか」と問うたところAは「君はそんな形式にこだわるんだね」と言い、それに対し自らは「愛の人」であると称しました。Aも私もお酒はほとんど飲んでおらず、酔ってはいなかったと思います。
閉店時間になり店を出た後、歩いて自宅の前まで送られました。そこでAは「応援のハグをしてあげる」と言って私に抱きつき、耳と首にキスをしてきました。耳元で「一つになりたい」「体中にキスしたい」「きれいだね」などの言葉を囁きました。その間、勃起した股間を体に強く押し付けてきました。
Aは、唇にキスをする、部屋に上がり込むなど、決定的なことは絶対にしようとしませんでした。Aの自分に対するこれまでの言動を彼の恋愛感情によるものとしてなんとか納得しようとしていた自分としては、そのためにいっそうAの意図が理解できず非常に混乱したのだと思います。上のような行為がなされた後もしばらく自宅前で話をしましたが、別れ際には「君と僕は世間から見れば学生と教師で立場が違うから」「僕には息子もいるから、息子のために頑張る」などと、Aは先程の自分の行為をなかったことにするような発言をされたため、私はいっそう混乱してしまいました。

翌日は土曜で授業もなかったため、昨夜の出来事について誰にも相談することができないまま「あれはなんだったんだろう」と一日中思い悩みました。その中で「きっとAは離婚して私と結婚するつもりなんだ」と、せめてもの誠実さを信じて思い込もうとしていた記憶もあります。冷静な状況判断ができなくなっていたのだと思います。その間Aからは連絡がなかったため、その日の夜に自分からメールをしましたが、昨夜の件について直接問いただすことは怖くてできませんでした。Aからの返事でもそのことには一切触れられず、また月曜にゼミ発表に関する相談をすると「指導教官に聞いてください」と、これまでとは打って変わって突き放すような対応をされました。

こうしたAの態度に接して、私はこれまでAによって恋愛感情をほのめかしながらなされてきた言動が、私のAに対する信頼(学問的な尊敬や、妻子を持つ身でもある大学教員が自らの立場を危うくするようなことはしないはずだという思い込み)を利用した明確なハラスメントであったと、ようやく自覚するに至りました。そこで私は、自分がAの行為によって深く傷ついたことをメールで伝えました。するとAは自分の過ちを認めるようなことは一切書かず、ただ「これからは先生として見てください」と、私が一方的に不適切な感情を抱いていたかのような返信があっただけでした。
それ以来、私はAが講師を努める読書会にも参加することができなくなり、また学内でAと顔を合わせることに強い恐怖を抱くようになりました(実際にすれ違った際には、こちらを恨むような目で睨んできました)。

こうした一連の行為について、私は2016年12月9日付で、大学のキャンパス・ハラスメント防止に関する委員会に申し立てを行いました。その際には学内の教員が務める複数人の相談員に経緯の説明をしました。その際、Aが私の歯の間に詰まった食べ物を手で取った行為に触れた際、一人の相談員が「変わった性癖だね」と、行為を矮小化し茶化すような言葉を返してきたことが記憶に残っています。
そして一年後の2017年12月13日付で、ようやく委員会からの審議結果を知らせる書面を受け取りました。しかしその内容は、私がAに対し恋愛感情を抱いていたという前提でAの行為に対し「寛容」であったと断定し、双方の証言の食い違いを理由にハラスメント認定を拒否するあまりにも酷いものでした。
私は教授と学生という権力の非対称性を等閑視する委員会のあり方に、結局は大学側を守るための機関に過ぎないという、強い憤りを覚えました。

私はその後、別の大学の大学院に進学して修士号を取得、現在は大学を離れて働いています。

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