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フィンランドのテーブル、我が城に来る【六月の一週間の日記】

翻訳家の村井理子さんの日記を読んで、余りにも面白くて、自分もやってみたくなってしまったので、一週間の日記を書いてみる試み。

6月3日(月) ガイガディアムが食べたい

久しぶりに出社した。3週間ぶりだった。先週まで体調が悪かったので、病み上がりのリハビリだ、と理由づけて、午前中は家でのんびり働き、お昼を食べて、15時頃に出社した。重役出勤極まりない。
18時半くらいに仕事があらかた終わったので帰ろうとしたら、同期の金融に詳しいマッチョに捕まり、金融講座が始まってしまった。普通に勉強になったけれど、結局オフィスを出たのは21時前だった。

帰りの電車で、無性に、タイ料理屋の、鶏肉のにんにく胡椒炒めが食べたくなった。ガイガディアムという料理。にんにくと胡椒のパンチが効いていて、大層美味しいのだ。

もう、そのことしか考えられなくなったので、途中下車をして、タイ料理屋さんのカウンターで夜ごはんにした。
お店の外のテラス席はグループで来ている人々でにぎわっていて一瞬怯んだけど、中のカウンター席は一人で来てる人たちが並んでいて居心地が良かった。ガイガディアムは、とってもおいしかった。ガパオライスまで頼んでしまったので、満腹の腹を抱えて帰る。

6月4日(火) フィンランドのテーブル、我が城に来る

4月の中旬にオーダーしたテーブルが、ついにフィンランドから、我が城たる家にやってきた。受け取るために、在宅勤務にした。
仕事を早めに片づけて、定時から1時間くらいで退勤ボタンを押した。

テーブルは、組み立てられる前の状態で、天板と脚が別々にやってきていた。
段ボール箱を丁重にあけて天板と脚を眺め、しばらく嬉しさにひたる。
その後、父から借りた電動ドライバーで脚をつけて組み立てた。出来上がったテーブルに頬をつけて上半身を預ける。すべすべで、木のいいにおいがする。嬉しい。

このテーブルは、父母から独立記念、ということで贈ってもらった。「資金提供者には命名権がある」というよくわからない主張により、名前も両親によって付けられた。名前は、父と母のニックネームをもとに付けられて、意外とおしゃれで結構気に入っている。これからよろしくね、とフィンランド語で話しかけてみたりする。

6月5日(水) かろやかで、格好よく優しい、仕事のできる、とぼけた、人に

10時から対面で会議がある日だったので、9時に出社した。
前々から一人暮らしはなかなか静かだという話を聞いてもらっていた先輩に、仕事の話の後に「遂に、無意識でぬいぐるみに話しかけていました。」とチャットすると、「やばいですね。笑  何かあったら、というか、何かある前に、電話でもしてください」とおどけた顔文字のリアクションと共に返事が来た。

先輩は、前に相談事を持ちかけたときに「話したければ話してくれればいいし、話したくなかったら話さなくていいし、忘れろと言われたら、忘れるので」と言ってくれた人で、私もこんな大人になりたいなあ、と常々思っている。仕事もそれはもう、できる。指示出しはときどき雑だけども、それも、信頼してくれているようで嬉しい。(のか、単に適度に雑な人間である可能性も、ある。それはそれで、好もしい。)

退勤後、近くのビルでドーナツのイベントをやっていると聞きつけたので、同期と偵察に行った。夜19時だったので、もうイベントは終わっていた。終わってたねー、と言って駅で別れた。

でも、私はすっかりとドーナツの気分になってしまった。一度思い浮かべてしまったドーナツの食感、甘さ、形の良さがあたまにこびりついて離れなかった。最寄りの駅のドーナツ屋に寄って、食べながら歩いた。

それから、思い立って、区の図書カードも作った。新しいカードで、群ようこの猫に関するエッセイを借りた。かろやかで、とぼけていて、よみやすい。素敵だ。
かろやかで、格好よく優しい、仕事のできる、とぼけた、人になりたい。

6月6日(木) 母のヒップホップ鑑賞

朝、ラインを開くと、父から連絡が来ていた。借りていた電動ドライバーを明日使いたいから返してほしい、という連絡だった。在宅で働く予定だったので、夜に返しに行くねー、と返事をした。

夕方、家に行くと、父は会社の懇親会で家にはおらず、弟もバイトで帰ってきて居なかったので、母と二人で夜ごはんを食べた。

母は、なかなか優雅な暮らしをしているようだったので、暮らしの手帖に載れるのではないか?と話す。特集のタイトル考えなきゃ、と言うと、母は、母の名前を冠したタイトルを提示してくるので、栗原はるみレベルにならないと、名前を冠した特集は無理だよ、とやんわりと制す。

その後、母は、最近習ったというヒップホップのステップをベランダで披露してくれた。夜空を背景に、奇怪な動きをするシルエットが浮かび上がっていて、とても怪しかった。二人でげらげらと笑った。

6月7日(金) そぞろ漕ぎ

朝起きたときから、今日はメンタルの調子があんまりよくない日だな、と思っていたら、10時頃にパートナーから電話がかかってきた。
今、仕事時間中だけど?と思いながら、在宅だったのでしぶしぶ出ると、彼は、得意のナンセンスな冗談を繰り出したかと思えば、何度も話し合った議題についてまた持ち出してきて、うんざりとしてしまった。(今は、何故またその議題を持ち出してきたのかもわかるけれど、その時は仕事時間中だったのも相まって、不快になってしまった)
もともと調子は良くなかったのに、電話で拍車がかかってしまって、夜までむしゃくしゃとした気持ちは続いた。

仕事を終えた後、外に出よう、と、本を買いに駅の方に出かけた。最近は宝石の国を少しずつ買って、手元で読み直している。今日は4巻を購入した。それから、本屋の近くのお花屋さんもまだ開いていたので、紫の小さなつぼみのついた花を買った。

帰り、思い立ってレンタル自転車を借りて、そぞろ歩きならぬそぞろ漕ぎをした。もちろん、まわりには気を付けて。
いろんな家があった。ギリシア建築みたいな家とか、大きな魚の絵が壁に描かれた家とか。夜の涼しい空気の中で自転車を滑らせていると、気分はいくらかましになった。家に戻って、ラベンダーの入浴剤を入れて湯船につかった。

6月8日(土) 疲弊と柑橘のジュース

大学の知り合いに2年ぶりに会った。
今年の4月から私と同業種に就職したという。お昼に待ち合わせ、スープカレーを食べて高架下を散歩して、コーヒーフロートを飲んだ。その後、電車で移動して、また公園を散歩した。

駅で別れて、私はその後一人でサウナに行こうと思っていたが、酷く疲れていたので家に帰ることにした。
酷く疲れていた。なんでかな、と考えて、ワンテンポ遅れて、ああ、私は、今日会った人とあまりにも合わなくて、それで疲れてしまったのだな、と気が付いた。ずかずかと人の領域に踏み込んで来ようとする感じが、人を外身によって判断していることが、値踏みされている感じが、嫌だった。

私がnoteを書いていることがなんとなくバレて、でも、「noteはごめん、人には教えていないんだ」と、言ったのに、探された。時間をおいて3回ぐらい探された。嫌で、しばらくアカウント名を変えた。
もし、見ていたら、ごめん。けど、どうか、二度とここには来ないで。

別に、読まれて困ることを書いている訳ではないし、仮に誰に読まれても、私の本名が明かされても、問題のないことを書こうと意識している。
けれど、ここは、私にとっては、現実の世界とはまた別の、居場所だから。可能な限り、侵さないでほしい。

疲れていたが、カフェに行くくらいの元気はあったので、駅最寄りのカフェに入って柑橘のジュースを飲んだ。ジュースはちゃんと、おいしかった。
甘いものは、どんなときでも、甘い。

6月9日(日) そうめんパーティーと、母からの指輪

母とお昼過ぎから夜まで出掛ける予定があった。
ただ、金曜日のこともあったので、パートナーとは1回早めに会った方がいいなと思って、時間を縫ってお昼に会うことにした。

私の家まで会いにきてくれることになったので、そうめんを準備して出迎えた。
薬味にと、茄子の煮浸しと、錦糸卵と、からあげも作った。試しにそれらをグラタン皿に載せたら、意外となかなかいい感じになった。

パートナーとは直接会って話し、わだかまりはほどけた。こういった微妙な機微の読み取りが求められるコミュニケーションは、対面に限る。
その後、昨日のことも話すと、「僕は、あなたが、あなた自身だから好きなんだよ」と目を見て言われ、少しだけ泣いた。そうめんも「うん、おいしい」と言って、おかわりをしてくれた。

パートナーは、私が文章を書いているのを知っていて、でも、「それは君のプライベートな空間でしょ」と、探さないでいてくれている。ものすごい胆力だと思う。感謝している。私なら、出会った初日からネトストになりかねない。(最悪)
もし見ていても、全然いいけれども。見てる?大好きだよー。

それから、母と出掛けた。
母は、以前から少しずつお金を貯めてくれていたようで、テーブルとはまた別で独立記念で指輪を贈りたい、と言ってくれていた。散々悩んで決めた指輪を、今日は、遂に買いに行く日だった。

迷った末に決めたのは「結び目」という意味のある指輪だった。
きっと、見るたびに家族を、私の大切な家族との繋がりを思い出せるだろうから、というのが、選んだ理由だった。

物凄い値段の指輪だった。とてもではないが、私にはポンと買える代物ではない。しばらくはそのことに茫然としてしまっていたし、正直、今でも茫然としている。

母は、お金をしっかりと稼ぐが、浪費をするタイプではない。幼いころから、私に物を買い与えて甘やかすようなタイプでもなかった。必需品以外の物を買ってもらった記憶は、誕生日などを除いて数えるほどしかない。
帰り道、私の母は、なんてお金の使い方が格好良いのだろう、と思った。

家に帰って、そっと包みを開いて指輪をはめた。指輪は、私の指で優しく輝いていた。
それを見ながら、私は、この指輪に見合う、母のような人間になろうと、静かに誓う。一生、大切にする。

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