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精霊の国日本 東京神社 袖摺そですり稲荷神社

ご神仏メッカである浅草をまわっている途中にあるから、と立ち寄った神社。
けれど、結構すごい由来がありました。

(境内の掲示板より)
今より約八百年前、源頼朝卿が伊豆に蟄居のときのこと、兵糧でもある米穀に乏しくならぬよう稲荷の神体を彫刻し、豆州北条に一社を建立したのが当社のおこりと云われています。後に伊勢新九郎(後の北條早雲)が小田原城に移った際に、その神体を城内へ遷座したところ多くの奇瑞が顕れたといいます。このことから開運稲荷と尊称されました。
小田原城落城に至り、この稲荷に信心あつかった小西半右衛門という者の夢に稲荷の神があらわれ「我を供奉して隅田の辺に下るべし」と御告げがあり、天正十八年、小西は神体と鈴とをもって当所に仮殿を設けることにしました。仮殿を建てんとしたところ土中より一仏が出現し、洗い清め見ると十一面観音であり、実に稲荷の本地仏なりと喜び本社へ移し奉りました。
のちに奇瑞あらたなることから、徳川四代将軍家綱公より町屋御免を賜り、当地へ遷座しました。霊験あらたかにして諸穀の豊穣を司り、願望を成就せしめ一切の災を除く故に、参拝の輩は群集をなし神籬にそですり通うことから「神寿里稲荷」が守号となり、「袖摺稲荷」と変化しました

【時系列でまとめてみる】
①(伊豆時代) 1160年(平治2年/永暦元年)~1180年
源頼朝卿が伊豆に蟄居(14~34才)のとき稲荷の神体を彫刻し、一社を建立

②(小田原城内時代)明応4年(1495年)頃か? 伊勢新九郎(後の北條早雲)が小田原城に移った際に、その神体を城内へ遷座した。
多くの奇瑞が顕れ、「開運稲荷」と尊称

③(隅田川べり時代)1590年 小田原城落城、隅田川べり へ移転

④(現地時代)1651年 - 1680年  徳川四代将軍家綱公より町屋御免を賜り当地へ遷座「神寿里稲荷」→「袖摺稲荷」

ということで、こちらのお稲荷様は4回場所を移動しています。
私が気になったのは③の隅田川にやってきたくだり。落城によって関東に来た「小西半右衛門」は、落ち武者じゃん、と。
落ち武者の神様は隅田川べりに他にもあります。歩いていこうと思ったら袖摺稲荷神社から34分のところ。結構近いところにある。

川中島の戦い(最も激戦だった第4次・1561永禄4年)から落ちのびてきた武者衆が祀った神様。こちらは多分、戦の最中に逃げ出してきているので当地に来てから勧請したのだと思います。刀塚には「もう人を殺したくない」始祖の思いを感じました。

一方、こちらは難攻不落だった小田原城を豊臣秀吉が20万人の大軍勢で取り囲み一夜城を築き3ヶ月をかけて無血開城させた戦い。


精神戦の大きい戦い。けれど、やっぱり敗者の人間はもちろん、崇敬していた神仏は・・・「戦勝祈願」も叶えてきた神様たちは、敵方の人間によって破壊されることが多かったんじゃないかと思うのです。


徳川家康も、秀吉を祀る豊国神社とその墓である豊国廟を廃止しています。秀吉は神ではなくなり、秀吉の遺体そのものは、阿弥陀ヶ嶽山頂の豊国廟に残されたまま放置され、1897(明治31)年の秀吉300年祭の整備中にぼろぼろになったミイラ状態で見つかったとか。


もう一つ、高尾山登山道にある千代田稲荷神社ももとは江戸城内にあり歴代の将軍家にも鎮護の神として厚く永く敬われていました。

が、明治維新の際、無血開城した江戸城。そして女官である滝山により千代田稲荷様は城外に遷された・・・。滝山も、神様が維新政府に破壊されることを恐れたんじゃないでしょうか。実際明治政府は「神仏分離令」を発令してそれまで幕府の守りを受けていた仏教の地位を落としています。

扉写真の鈴は新しいものだから、小西半右衛門が持ち出した鈴ではないようですね。彼がその後どうなったのかわかりませんが、お稲荷様の本堂を建てて大切に祀ったからこそ、この神様がここに残っているのだと思います。
今はビルの谷間に鎮座する神様。

階段を昇って参拝する東京スタイルです。

狛狐様は優しげな表情。

建物の二階にまであげて、残っている。
東京の神社って、残っていることがすごいと思うんですよね。人が多ければ多くなるほど乱れていくのではなく、秩序を保っているのは神仏を大切にしたから、というのもあるんじゃないかと感じます。


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最寄り駅は浅草駅。





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