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こぼれ話 モンゴルの双子は同じ名前

現地のモンゴル人と話して、初めて知ったモンゴルならではの文化や生活事情がたくさんあった。
深くはないが、面白かったので紹介していく。



モンゴルの双子は名前が同じ

仲良くなったモンゴル人の男の子が、双子だった。
アディヤくんという。日曜日という意味らしい。
妹の名前はなんというの?と聞いたら、アディヤだよ!と返ってきた。

ん?同じ名前?驚いて聞き返すと、モンゴルでは、双子に同じ名前をつけるんだ!と教えてくれた。

正確には、同じ名前の下に、男の子らしい響きと、女の子らしい響きをつけるらしい。日本人における〜子と〜太郎的な感じだろうか。
アディヤくんたちの場合は、アディヤバートルくんとアディヤスレンちゃんだ。

ただし、互いにはアディヤと呼び合うし、友達も男アディヤと女アディヤと呼ぶらしい。よく混乱しないねえと感心すると、普通のことだからねとはにかんだ笑顔で答えてくれた。

さらに、滞在した遊牧民宅で再び双子に出会った。
今度は9歳の男の子たちである。
ちょっとわくわくしながら名前を聞くと、トゥルくんとトゥルシュンくんだった。

モンゴル語だったので、正確に聞き取れていないかもしれないが、やはり二人とも同じ名前である!
得たばかりの知識が早速実証されて、少しテンションが上がってしまったのであった。

馬を囲う柵で遊ぶ双子たち。一緒にサッカーやバレーをした。次に行くときは新しいボールを持っていきたい。

ゴミの多い草原

草原には、思ったよりゴミが多かった。特に、ビニール袋は、馬が驚いてしまうから危険だった。
ただ、草原に点在している遊牧民が出すゴミにしては、多すぎる。
疑問に思っていたら、ツーリストキャンプのツォクトさんがゴミの出所を教えてくれた。

モンゴルには、ゴミの焼却場がない。基本的に埋め立てて処理をする。その工場が近くのナライハという街にあるのだが、非常に強い強風でゴミが飛んでしまうのだという。廃棄物処理は、モンゴルの大きな社会問題だった。
草原のゴミを無くすには、廃棄物の処理方法を根本的に検討する必要があり、解決までの道のりは長そうだ。

丘からの景色は息を呑むほど美しい。ここまでゴミが飛んできてしまうのは悲しいことだ。

意外と近い遊牧民の移動

遊牧民とは、遊牧に従事し、草と水を求めて牧草地を季節的に移動して生活をする人々のことである。居住地は、季節に合わせて、冬営地、春営地、夏営地、秋営地と呼ばれる。

私がユウスケさん(モンゴル人の遊牧民)宅に滞在した時はちょうど春・秋営地の場所だった。冬営地はここから20キロはなれた山の麓、夏営地は冬営地と反対方向の山を超えた先にあるそうだ。

私は勝手な思い込みで、遊牧民は、自由気ままに草原を移動していくのだと思っていたので、移動先の場所がしっかり固定されていることに驚いた。
また、ユウスケさんが指を指して教えてくれた冬営地は、春営地からよく見える場所で、思っていたよりも近い。現代は車で移動することを考えれば、冬営地も夏営地も、割とすぐに行き来できる距離だ。毎回家を解体して建て直すという点を除けば、意外と定住に近いのだなと思った。

奥に見える山の麓が冬営地だ。

ところで、日本であれば家を建てるには土地を買う必要がある。だか、広い草原を移動して暮らす遊牧民生活に、私有地という概念を当てはめるのは難しい
気になって調べてみたら、やはり、モンゴルでも牧草地の所有権は度々議論がなされている問題のようだった。そもそも、社会主義国家だったモンゴル、1990年代前半までは、土地は国家のものだった。2003年に「申請をすれば、決められた大きさの土地の所有権を、無料で与える」法案が施行され、やっと国民が土地を所有することが可能になったのである。
一応、今は冬営地のゲルの単位で認められるらしいが、もともと遊牧民たちはあまり土地に執着がないようだし、どれくらいの人が土地を所有しているのかは不明である。日本にはない不動産の問題、とても面白いと思った。


医者の地位が低いモンゴル

アノカちゃんというモンゴル人の女の子と仲良くなった。一つ年下で、日本語が堪能で、とても聡明な子だ。
彼女の夢は、日本で医者になることだという。どうしてモンゴルでなくて日本なの?と聞くと、アノカちゃんは、「モンゴルでは医者のお給料がとても低いの。」と顔を曇らせた。
 
医者の給料が低い?高くはないにしても、低いなんてことあるだろうか。驚いて調べてみたが、本当だった。モンゴルに限らず、ロシアや中国などでも起こっている問題だ。

そもそも社会主義国では、医者も教師も工場労働者も皆給料は同じだ。加えて医療サービスは無料。しかし、医療施設や環境は整っておらず、サービスの質は良くない。当然国民の医者への信頼は下がり、医者の地位も低くなるのだ。

こうした背景から、資本主義に変わったいまでも、医者の地位は低いままで、依然として給料もあまり高くないのだった。

アノカちゃんは現在、日本の医学部入学に向けて勉強中だ。実は昨年受かったけど、お金が足りなくて行けなかったんだーと少し悲しげにいう姿に、胸が痛んだ。
アノカちゃんなら絶対大丈夫だよ!という無責任な励まししかできなかったが、彼女の夢が叶うことを心から祈っている。


モンゴルの宗教

乗馬をしていると、山の上に何か棒のようなものが立っていることに気がついた。
アディヤくんに聞いてみると、山の神様を祀っているのだという。川の神様もいるそうだ。
日本と同じ多神教だ。

一方で、モンゴル国民の多くはチベット仏教徒であり、寺院もポツポツとたっていた。
興味深かったのは、葬式だ。人が亡くなったときは寺院に行き、僧に方角を教えてもらい、その方角にある墓地に、亡くなった方を埋葬するのだという。家族の墓というものがないのが、新鮮であった。

現在は少ないが、鳥葬風葬をすることもあるという。日本と同じ仏教であっても、文化や暮らし方が違えば、葬送観も異なることを知った。


山神様を祀ってある。オボーというらしい。

草原を馬で駆ける

モンゴルに滞在していた間、丸3日間はがっつり乗馬をした。子供のころから乗馬を叩き込まれている遊牧民たちは手慣れたもので、自由自在に操るのだが、普段デスクワークしかしない私は、振り落とされないようにするだけで必死だ。

特に、慣れてない段階で走ると、どすんどすんと衝撃をもろに受け、身体中の内臓がひっくり返りそうになる。初日に馬が爆走し出した時は、もう嫌だと半泣きになった。

ただ、日数を重ねるとコツを掴んでくるもので、3日目には走るのが楽しくなった。スピードアップすると、両足を交互に出して走る走りから、両足を揃えたパカラッパカラッという走りになる。
何もない草原を風を切って走るのはこの上なく爽快で心地よく、いつまでも走っていたいと思った。

ちなみに、モンゴル滞在中に一番上手くなったモンゴル語は、「チュウ」である。行け!という意味だ。馬に向かって、チュ!チュチュ!チュチュチュチュ!!!と鋭く言うと馬が走り出す。
ただし、馬も人をわかっているのか、私が言ってもあまり反応せず、結局は遊牧民のチュか、口笛で走り出すのであった。

意外だが、モンゴルでは馬に名前をつけない。
色で呼ぶそうだ。

モンゴル相撲

乗馬の休憩をしていると、遊牧民たちが相撲を始めた。そう、モンゴルは言わずと知れた相撲強国である。モンゴル語ではブフといい、モンゴルの国技である。

廻しはないので、コートの腰巻きに手を掛けて戦う。遊牧民たちは、その後も、談笑しながら腰に手を回し、相撲をするそぶりを見せるなどしてじゃれあっていた。日本よりも相撲が生活に馴染んでいることを実感したのとともに、なんだか高校生男子みたいだなあと微笑ましく思ったのであった。

砂埃をあげて戦う遊牧民たち。これで勝敗が決まると思いきや、また持ち直して続くのであった。

馬の扱いは手慣れたものだ。
爆走しながらスマホだって使える。

他人のおじいちゃんと住む

滞在したユウスケさん一家には、おじいちゃんが一緒に住んでいた。しかし、よく聞いてみると血は繋がっていないらしい。
日本人からすると衝撃なのだが、遊牧生活ではよくあることで、ホト・アイルと言う文化だった。

複数の世帯が同じ場所にゲルを立て、協働で家畜の世話や牧草の管理を行い、場合によっては育児や家事も助け合いながら行うのだという。

実際、ユウスケさん宅でもおじいちゃんは食事を共にし、子供と遊び、まさに家族の一員だった。

一人では持続が難しい遊牧生活は、こうした緩やかな家族の拡張によって成り立っているのであった。


いつもにこにこ朗らかなおじいちゃん、ゲルの組み立てとなると顔つきが変わった。木材と布の山からあっという間にゲルを組み立てていく姿は、とても頼もしかった。


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