乾杯はシェアの合図
私たちが最後に「乾杯」したのは、去年の夏の終わり頃。神宮前の、控えめな佇まいのビストロで。
出会ってからの4人の時間
私たちの出会いは、青山にあるワインスクールのG教室だ。ワインスクールというとおしゃれなイメージだったが、土曜の夕方のクラスのクラスメートはもっぱら「平日は仕事が忙しくて来られない会社員」か「休日くらいは趣味に打ち込めるマダム」かで、お世辞にもおしゃれな面々とは言えない。
かくいう私も例に漏れず、仕事で摩耗するサラリーマンKだった。
このG教室に集まるクラスメートのほとんどは、前の期の「STEP1」のコースからの持ち上がり。実力を過信して「STEP2」から乱入する私は完全にアウェイだった。
最初は後悔しないでもなかった。授業には全然ついていけそうになかった。しかし、一段飛ばしで階段を登ろうとヒィヒィ言う私に、幸運なことに3人の個性的な友人が手を差し伸べてくれたのだ。
私たち4人が互いに惹かれ合ったのは今思うと必然だったかもしれない。40代以上のクラスメートが多い中、私たちはいわゆるアラサーで、クラスの中では飛び抜けて若かった。(私もまだ20代だった)
バックグラウンドも性格も全く異なる4人は、お互いを面白がった。
ワインの知識はバラバラだった。もっとも浅学だったのは私だったことに間違いないが、彼女たちは私の突拍子もない発言すらおもしろがり、そこから学ぼうともしてくれた。
授業のカリキュラムは半年で終わったが、その後も私たち4人は月に一度は予定を合わせて、あちこちにワインを飲みに行った。時には山梨や長野に足を伸ばしてワイナリーを訪ねた。
ワインを共にする時間
私たちはいつも、きまってワインを選ぶのに時間をかけた。いや、時間をかけたかったわけではないのだが、「やっぱり最初はシャンパーニュかな?」「こっちのアロマティックな白ワインも気になるけど…」「待って!イギリスのスパークリングワインがあるよ!飲んだことある?!」なんて話していると、なかなか決まらないのだ。
ワインを選ぶのに20分もかかったあとにようやく食事を選ぶのだが、食事については脚色なく1分で選び終えるので、思わず自分たちでも笑ってしまう。
そうしてじっくり時間をかけて選んだ一杯が、目の前に運ばれてくる。
「乾杯!」
そうそう、この時を楽しみに待っていたのだ。
しかし、本当の楽しみは、実はこのあとのこと。
経験を、時間を、感想を、グラスとともにシェアする
お店でワインを飲むとき、4人もいればボトル3本くらいは開けられる。たいがい、バイザグラスで注文するよりも、ボトルで注文する方がコスパは良い。
でも私たちは決まって、バイザグラスで飲むのだ。
だって色々飲みたいじゃない。
だから私たちは、いつもばらばらのワインで乾杯する。
一人はシャンパーニュ、ひとりはカヴァ、もうひとりと私は別々の白ワインで始める。
「乾杯!」
それはシェアの始まりの合図。お行儀が悪いのは百も承知。私たちはお互いのグラスを交換しあって色々なワインを楽しむ。ひとつひとつのワインの感想を述べ合う。
ねぇこのシャンパーニュのセパージュは何かな?
この前飲んだソーヴィニヨン・ブランよりも酸が穏やかに感じない?
なんだか「南仏!」って感じの味がする〜
この造り手って前に先生がおすすめしてたやつ?
この前上司にワインを贈ったんだけど、こういうタイプが好みだったのかも
ねぇねぇこのワインを造ってるところに行ってみたいな!
目の前のワインのことにとどまらず、過去の思い出から最近の出来事、そしてこれからやりたいことや行きたいところ。乾杯とともに、ワインとともに、記憶も思いもとめどなく溢れてくる。私たちはそれをお互いに共有しあう。そうして過ごす夜は、毎回あっという間に過ぎ去るので時間感覚が狂うようにも感じる。
途切れ
去年の春、私は妊娠した。
私のつわりが落ち着いたあとも、私たちは一緒に飲みに行った。もちろん私はジュースやノンアルコールのビールをいただくのだが、他の3人のワインの香りはいつも嗅がせてもらっていた。
実際のところ、飲めなくったって十分楽しかった。香りは私だって楽しめるし、味わいはみんなが表現してくれるから、口の中に液体がないこと以外はいつもと変わらないのだ。
夏も終わりに近づいた頃、私は里帰り出産のために地元に帰って無事に出産した。その後徐々に新型コロナウイルスの影響が深刻化してきた。
私の育児が軌道に乗って余裕が出てきた春先、やっと私たちはオンラインで再会することができた。お昼間だけど、ワインでも飲みながら(私は相変わらず飲めないが)話そうよ!と集まった。
ところがいざ集まってみると、相談したわけでもないのに、誰もワインを用意していなかったので驚いた。もちろん、乾杯はできなかった。ただただお互いの最近の話をして、それはそれで楽しく過ごした。
通話を切ってから、私はふと気付いた。
私たちにとってワインを飲み、乾杯することの意味とは、グラスを掲げ合うことや液体を口に含むことを指すのではなく、同じものを飲んで感想を言い合ったり、ワインを分け合ったりする、「シェアする」という行為全体だということに。
だからなんだか、誰もこの2次元的な空間で乾杯をする気になれなかったのではないかと思う。
リモートワークやオンライン化が加速する中、人同士のふれあいもバーチャルなものなっていくだろう。オンライン飲み会の手軽さも確かに良いものだ。
しかし、私は、盃を共にすることは単に会の始まりの合図ではないということに気付いてしまった。
少なくともいつかワインをクラウド上で共有できる日がくるまで、私たちはビストロに集まってワイングラスを交換しながら、過去や未来や現在をシェアしあうのだと思う。
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