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「囀る鳥は羽ばたかない」 第47話 感想 その2 (考察編)

第47話 感想 その2


 第47話を読んで一晩たった。

 まだ完全に気持ちが落ち着いているとは言えないが、今回明らかになった矢代の問題について考えてみたい。

 (感想その1はこちら)

四年前あのホテルで味を占めたこのクズ野郎に
その後ひとりでいるところをレイプされて以来
俺はずっとこうだ


 4年前、矢代はセフレだった刑事の先輩にあたる組対5課の井波とホテルで会った。

 情報提供の見返りに矢代を犯したいというのが井波の要求だった。(3巻第15話)

 この時、矢代は「ああ、さっさと済ませろよ」とあいかわらず投げやりな態度だったが、性行為を嫌がってはいなかった。つまり、矢代の感覚では「レイプ」ではない。

 コトの後、井波が「アソコは触ってもねぇのに、大喜びでだらだら溢れさせやがって、気色悪ィ」(3巻第16話)と言っていたことからも、井波に犯されている最中、矢代はちゃんと勃起して射精もしていたことがわかる。

 井波が去った後、百目鬼と二人きりのホテルの部屋で、矢代は嘘か本当か「気持ち良かったからどうでもいいけど…」と言っている。


 しかし、「その後ひとりでいるところをレイプされた」時は違ったのだ。


 まず、これはいつの事なのか。

 3巻で井波と会ってから6巻の終わりまでの間では、もちろんない。
 この頃、矢代は平田に命を狙われていてそれどころではなく、ずっと側に百目鬼や七原がいた。

 当然、6巻第35話で矢代が病院を退院して以降、7巻までの4年間で起きた出来事だということになる。

 
 私は、今まで自ら望んでしていたはずの「男に無理やり犯されること」を「レイプされた」と考えるようになった矢代の変化にも驚いた。

 なぜ、矢代は井波にレイプされて何も感じないカラダになったのか。

 レイプされたことが引き金となったのだろうが、「試しに店の客を数人引っ掛けてみたが結果は同じ」だったということは、合意の上のセックスでも矢代はもう勃たないと言うことなのだ。
 百目鬼以外が相手では……。

 レイプされて勃たない、何も感じない、あるいは痛みや苦しみを感じる、というのは、ある意味普通の感覚だ。

 矢代はやっと、「痛いのが好き」という思い込みからリセットされて、本当の姿を取り戻しつつあるのではないか。

 私には、矢代が「レイプされて何も感じないカラダになった」ことは、再生への第一歩に見える

 どうして矢代はこうなったのか。

 それは、5巻で百目鬼とセックスしたからだ。

 5巻第23話~第25話で、矢代は生まれて初めて好きな人とセックスをした。

 矢代は自分から「せっかくだし、セックスするか」(4巻第22話)と言い出したくせに、いざとなると「…やっぱ、ヤんの。やめる…」「…お前は、嫌だ…」(5巻第24話)と怖気づいてしまう。

 百目鬼に抱かれている時、矢代は処女のように緊張しているなと思っていた。

 いつものように、どうでもいい相手と痛みを感じるためにヤる時とは全然違って、百目鬼の指や舌の刺激にビクビクしているように見えた。

 矢代は百目鬼の愛撫に反応して、何度も何度も射精している。痛くなくても、自分はこんなに気持ちよくなれるのだと思い知ったことだろう。

第25話で、

「……壊す…な。俺を」と矢代は言った。

 百目鬼は「壊しません。絶対に」と答える。

 それに対し、矢代はこう思う。

「違う。そうじゃない」と。


 この「違う。そうじゃない」をどう解釈すべきか、私はずっと迷っていた。

 でも、47話を読んだ今なら、その意味がわかる。

 百目鬼が矢代を「壊しません。絶対に」と思って大切にすればするほど、既存の矢代は壊れてしまうのだ。

 一足飛びに書いてしまうことになるが、6巻第34話で平田を石で殴打した後、うつ伏せに倒れたままの百目鬼に矢代がかけた言葉…。
 上空を飛ぶ飛行機の轟音でかき消されたその台詞。
 私は、

「……お、まえは、俺を壊した

 だと思っている。

 

 百目鬼とセックスした時に、矢代の中で自分を守っていた核の部分が壊れてしまった。いい意味で。

 好きな相手と優しい普通のセックスをして、それが気持ちいいことだと知ってしまったために、今まで自分が快感を得ていると思い込んでいたレイプを気持ちいいと思えなくなってしまったのだ。

 第25話で百目鬼と一つになった時、

「ああ、どうして今」

と矢代が過去の虐待を思い出したことの意味がわかった。

 

 虐待の苦しみから自分を守るために「痛いのが好きだ」「痛くないと感じないんだ」と思い込んでいたことに、矢代はこの時確かに気づいたのだ。

 日常的に繰り返される性的虐待によって、自分の魂を殺されてしまわないように、矢代は体に与えられる刺激に少しずつ無感覚に、そして逆に、それを快感だと思い込むようになっていったのだろう。

 でも、心の底で、本当の矢代は、つらくて苦しくて、助けを求めていたはずだ。

 百目鬼とセックスしたことで、矢代の抑圧された無意識が一部解放されて、過去の虐待を「あれはつらいことだったんだ」と再認識したのだと思う。

 だから、矢代は百目鬼に抱かれた後、「泣いた」のだ。

 レイプされた時の苦しみに素直に反応して、ようやく泣けたのだと思う。

 矢代が傷ついた自分を守るために纏っていた鎧に、大きなひびが入った瞬間だったのだろう。

 それでも、矢代はこの時は、開きかけて溢れ出そうになった過去の苦しみにもう一度蓋をして、「こいつを受け入れたら、俺は俺と言う人間を手放さなきゃならない」(6巻第32話)と百目鬼を突き放すことで、従来の自分に戻ろうとした。
 しかし、第47話を読んで、結局もう戻ることはできなかったのだとわかった。

 好きでもない相手と痛みを感じるだけの性行為をしても、矢代は勃起することができない。
 矢代がここまで追い詰められていたとは思わなかったが、むしろそのことで、これから進むべき方向が定まったように見える。

 これでようやく、矢代が過去の傷を乗り越える道が見えてきたと私は考えている。

 矢代が過去の虐待の傷から立ち直り、他者と本当の意味で関わることのできる人間に成長するためには、一度今までの自分を壊して、再生していくしかない。

 その過程の苦しみを、今、矢代と我々読者は味わっているのだと第46話読了後に感じた。その考えは少しも変わってはいない。

 矢代はもう変わり始めている。確かな希望を感じた。


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