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「囀る鳥は羽ばたかない」について 2巻第7話 序盤の神回 映画館デート

 私はこの回が「囀る」全体の中でもトップクラスに好きだ。

 百目鬼の矢代への想いが読者にはっきりと伝わる。その描かれ方が最高に素晴らしい。

 表紙は映画館で百目鬼に肩枕をしてもらう矢代。これはデートだったのだと、「The clouds gather」の特典を読んでわかった。


 百目鬼、久我、影山が3人で飲んでいる。久我が席を立ち、影山と二人になった百目鬼が尋ねる。

 「……先生は、頭のことをどう思っているんですか?」

 百目鬼は矢代が影山を好きなことを知っているから、影山が矢代をどう思っているのか知りたいのだ。

 高校時代から矢代を知っている影山が、矢代のことを語る。

「困った男だと思ってるし…、放っておけない奴だとも思ってる」

 「極道に入るのを止めたりはしなかったのか」と百目鬼に聞かれ、影山は、かつて今ならまだ間に合うと話した自分に、矢代が

「なるべくしてなったんじゃない。そこにしか道が残されていないだけだ」

と答えたことを話す。

 矢代が本当は極道をやめたいと思っているのかどうか、というのは今も続く疑問だ。
 おそらく、ゆくゆくは後継者にしようと考え、矢代を自分の近くに置いておきたがる道心会幹部三角の誘いに、矢代はいい返事をしない。その態度は7巻でも変わらず、第45話の七原との会話でも矢代が自分の組を持ちたがっていないことがわかる。
 1巻第2話で「抜けるにはひと踏ん張りいるわな…」と雨降る窓の外を眺めていた頃からずっと、極道の世界で生きていくことを望んでいないように見える。
 この先、矢代はヤクザをやめるのだろうか。そして三角は、それを許すのだろうか。

 影山は、矢代について非常に重要で本質的なことを語る。

「矢代の自己完結は、ガキの頃から備わった自己防衛なんだろうな」
「あいつだけは高校の時のガキのままの気がしてる」

 私がこの言葉の本当の意味を理解したのは、第46話を読んでからのことだった。(第46話 感想 その2参照)

 「頭はあなたのことを大事に思っています」
 「多分あなたとの関係をこの先も…」

 と矢代が直接言えないようなことを百目鬼が言い出したところで、それまで影山と百目鬼の会話を陰で立ち聞きしていた矢代が現れる。

 久我「別に来なくてもいいだろ?」
 矢代「お前らがあんまり楽しそうだったから、嫌がらせに来たんだよ」

 この場面を読んだ時、久我と影山と一緒に楽しそうに飲んでいる百目鬼のところに、矢代も混じりたかったのかなと感じていた。その印象が正しかったのだと、第3巻巻末の書下ろしを読んでわかった。

 バーを出て、矢代は百目鬼の運転する車で煙草を吸いながら、

 お前はまだ 俺を可哀想だと思ったままなんだな
 俺は多分 昔の自分より自分てもんを分かっているし そこそこの共感だってできるよ

 と、影山に心の中で答える。
 矢代は普段は冷静で有能だし、敵対する相手との駆け引きも上手いので、この時は私も矢代の考えに同意していた。

 突然、矢代が車を降りて歩き出す。矢代を追いかけようと焦ったあまり、横断歩道の真ん中で百目鬼の靴が脱げてしまう。
 そんな百目鬼を見て、振り返った矢代が言う。

「バァカ、どんだけ慌ててんだよ」

 百目鬼を可愛いと思っているのだ。

 眩しいほどネオンの輝く夜の新宿で、雑踏の中を歩く矢代を追いかけながら、百目鬼は思う。

どうして 分からないんだろう
こんなに綺麗で こんなに一途な人が傍にいるのに
どうして 気付かないんだろう
どうして 俺は 
こんなに腹が立って 少し苦しいんだろう

 ここは「囀る」屈指の名場面だ。
 映画でもきわめて印象的なシーンになっていた。
 羽多野渉さんの演技も素晴らしかった。
 最後の問いの答えは明白だ。
 ≪なぜなら、百目鬼が矢代を好きになってしまったから≫
 読者にこう答えさせることで、百目鬼の矢代への気持ちがストレートに伝わってくる。
 なんという心憎い表現方法だろう。

 矢代が向かった先は、真誠会が買い取って改修した場末の映画館だった。百目鬼を連れて中に入り、二人はポルノを見る。
 百目鬼は隣に座った矢代が気になってしまい、スクリーンに映った裸の女が妄想の中で矢代の姿にすり替わる。

矢代「百目鬼、シャクらして」
百目鬼「今日は、勘弁してください」

 百目鬼の表情から、矢代にシャクられたら勃ってしまいそうだから断ったのだと読者にはわかる。
 しかし、もちろん、そんなことは矢代にはわからない。

矢代「…まあ、そんなに嫌んなったんなら、もうしねぇけど」
百目鬼「嫌とかでは…ないです」(本音)
矢代「あー……じゃあ、ちょっとその辺の奴のをシャクってくる」

 席を立とうとした矢代の右腕を、百目鬼が掴んで引き留める。

百目鬼「ここにいて下さい。お願いします」
矢代「嫌だね」

 私はこのやり取りに痺れた。

 一人残された百目鬼がしょんぼりしていると、矢代が帰って来る。百目鬼の膝の上に缶ジュースが投げられる。矢代が二人分買ってきてくれたのだ。

矢代「お前も俺の言うこと聞かねーし腹立つ」
百目鬼「……」
矢代「でも、可愛かったから許す」

矢代「自販機、売り切れててそんな甘ったるいのしか残ってなかった」
百目鬼「…いただきます」

 百目鬼は矢代が買ってくれたレモンスカッシュのプルタブを開ける。

 飲んだら 口の中に広がる味がわかる 甘くて少し…

 私は馴染みがなかったのですぐには気づけなかったのだが、このレモンスカッシュは、缶のデザインから不〇家の製品であることが知っている人にはすぐわかる。百目鬼は子供の頃に飲んだことがあったのだろう。
 ≪甘くて少し…酸っぱい≫
 まるで初恋かファーストキスの味の表現だ。
 なんという初々しさ、なんというときめき。

「ちょっと寝るから、肩貸せ」

 と言って、矢代が百目鬼の左肩に頭を乗せる。

 矢代に肩枕をしながら、百目鬼はドキドキしている。
 ああ、百目鬼は恋に落ちてしまったんだなと、もはや疑いようもなく、はっきりわかる…。

 映画が終わると朝になっている。矢代が中にジャケットを忘れたので、百目鬼が取りに行く。
 一人になった矢代は映画館の前で煙草を吸う。

「…つーか。シャクらせねーくせにここにいろって…何!?」

と矢代は思う。
 私は「好きだからだよ」と勝手に答える。
 無防備な矢代に、フードを被り拳銃を持った男が近づく。
 次にどういう展開になるのか、わかり過ぎて怖かった。


追記:これを書いた後に、私は生まれて初めて不〇家のレモンスカッシュを飲んだのですが、甘さ控えめで美味しかったです。でも、私が思っていたより酸っぱくなくて驚きました。むしろ後味に少し苦みがあるような。
「甘くて、少し…」の後は「ほろ苦い」なのかもしれません。その方が、百目鬼の心境にも合うような気がしました。

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