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「囀る鳥は羽ばたかない」 2巻第10話 矢代がヤクザになった理由

2巻第10話

  第10話は内容が濃いので、今回の感想は長いです。

 1ページ目から、真誠会のヤクザに犯される矢代。ソファに押し付けられて、太腿を抱えられている。とてもエロくて、可愛い。矢代に誘われたら、つい手を出してしまう男の気持ちがわかる。
 矢代が組の人間を次々とたぶらかすので、下へのケジメがつかないと天羽が三角に苦言を呈する。
「お前ヤクザフェチかなんかか?」と三角に聞かれた矢代は、

「アンタら、基本男を好きになるとかないでしょ。男なんかに突っ込むのは、性欲処理しかないはずだって自覚してる」
「だから俺を蔑む。暴力をふるう。汚い言葉で罵って、口では殺すとか怒鳴りながら下半身は必死で動かしている。たまんねーよ」

と答える。(このコマで後ろから犯される矢代の姿もまた…)

 ここで矢代は、≪蔑まれたり、暴力を振るわれたり、罵られたりしながら、犯されたい≫と言っていることになるのだが、三角は矢代の本心に気づいているようだ。

人間嫌いもそこまで行くといっそ清々しいな
「お前みたいのはな、大方、家庭環境が原因て決まってる。酔ってんじゃねぇガキが」

 三角の指摘は的を射ている。矢代の人間嫌いは、性的虐待を受けたこと、親に愛情を持って養育されなかったことに起因している。

 三角は滞納していた家賃を肩代わりし、矢代のアパートを引き払わせた。天羽が持ってきた矢代の荷物は紙袋1つだった。

 矢代は袋の中を探り、「コンタクトケース…なかったですか」と尋ねる。
天羽に「洋服くらいしか持って来ていない。あとは大家の方で捨てるだろう」と言われた時、矢代は悲しそうな顔をする。
 矢代にとって、影山のコンタクトケースは失えない、大切なものなのだ。

 この後、矢代は家にコンタクトケースを探しに行く。
 そのことで当時真誠会の若頭(現在の矢代のポジション)だった平田に「勝手に動いてんじゃねぇ」と、殴られる。
 無事矢代がコンタクトケースを取り戻せたかどうかわからず心配になるのだが、4巻第17話で矢代の寝室の引き出しに入っていたことで、ずっと矢代が大事に持っていたことが判明する。
 コンタクトケースのエピソードだけで、矢代がどれだけ長い間、影山を想っていたかがわかる。
 ヨネダ先生のこういう表現の仕方が凄いと思う。


 平田に預けられた矢代は、ヤクザの世界を目の当たりにする。

どこに行っても金。
表沙汰にはできない素人のモメ事、恐喝、詐欺。
よくもまぁと思うほど他人の事に首を突っ込み金をむしり取る。
金が「力」なのだと理解した。

 「金が力」はヤクザの世界だけではない。資本主義社会に生きる私たちは、こういう世界からそう遠くないところにいる。

 平田の部下が自分の女の部屋で、女にフェラさせながら、
「よぉ。おめぇも犯ってみるか、この女」、「ホモでもしゃぶられりゃ勃つだろ」と矢代を誘う。

 面倒なので否定もしないが 俺はホモではない
 当然のことながら勃つ 物足りないだけで

 矢代が真の同性愛者でないことは、「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」の冒頭で語られている。
「セックスをする上でのみ限りなくホモなのでタチが悪い」「女との能動的なセックスでは快楽は得難い」と矢代は自覚している。

 平田の部下とその女と3Pしながら矢代は思う。

女の中も悪くはなかったが 慣れ親しんだ熱と硬さと圧迫感が 堪らなく愛しかった

 初めてこの部分を読んだ時、矢代は、性的には男に犯されるのが好きで、精神的には男も女も好きではないのかな、と思っていた。
 でも、矢代のセックスが「自傷行為に近い」ものであることを知った今では、性的虐待を受けた自分を守るために、「男に犯されるのが好き」になったのかと考えている。

 平田の部下は次第に矢代に惚れてしまい、小遣いを与えたり、キスしたりするようになる。矢代にはそれだけ魅力があるから仕方ないと私は思うのだが、自分を女のように扱う男に対して、矢代は

向けられる性欲の中の好意に 吐き気がした

と嫌悪感を感じる。

 矢代はセックス中に相手の好意を感じると、「吐き気」がする。
 このことは、5巻第24話で、百目鬼が矢代に優しく触れて、キスをする場面でも再現される。

「…やめろ…そんな触りかた…吐きそう…っ」


 そう言われても、百目鬼は≪身体中舐めて ひとつ残らず 自分のものにするみたいに≫矢代に口づけ、愛撫することをやめない。

 「吐いても、絶対にやめません」

 と言って。
 結局、この時矢代は吐くことはないのだが、矢代のこの「吐き気」の意味について私はずっと考えている。

 好意に対する≪拒否≫なのだろうか。なぜ矢代は好意を拒まなければならないのだろうか。養父が矢代を犯す時に≪好意≫を持っていたとは思えないが、性的虐待の傷と関係があるのか。
 そして、次に百目鬼と性行為をする時、矢代はこの「吐き気」を再び感じることになるのだろうか。

 自分に好意を持ち始めた男を疎ましく思った矢代は、わざと平田に見つかるような所でフェラをする。(第10話は矢代のエロシーンが盛りだくさんで、私の性癖に次々と刺さるので、読みながらずっとドキドキしている)
 「ホモ嫌い」の平田は男を破門にし、矢代も半殺しにされて左腕を(おそらく)骨折する。
 矢代の狙い通り、平田の部下の男とは別れることになる。
 平田の別の部下の部屋に居候しながら、矢代は新聞を読んでいる。株で金を作るために。


 三角に「まだ組に義理(金のこと)入れる必要はねぇけど」と言われた矢代は

まだってなんだ まだって 俺はヤクザじゃない

 と、ヤクザの三角に拾われながら、まだヤクザになりたくないと思っている。

 そんな頃、真誠会が地上げしようとしている土地が、影山の家が所有している病院跡地だと知る。
 ヤクザに脅されて困っている影山の姿を、矢代は卒業式以来初めて目にする。

 矢代はイカサマ麻雀と株で稼いだ金を握りしめ、「結局この道しかないだろー…ちゅーちょすんな」と、三角の家へ出向き、玄関先で土下座して、「あの土地から、手を引いて貰えませんか」と頼む。

 理由を言うように三角に迫られても、「お願いします。手ぇ引いてください」と繰り返すばかりなので、三角は当然怒る。

「お前分かっててやってんだよな? そんなもんで俺が引くわけねぇと」
 借金返済のために用意した金を三角に直接渡さず、〝終わったら″渡して欲しいと天羽に頼むところがかっこいい。

 三角は天羽に矢代と病院の関係を調べさせ、矢代と影山が友人だったことを知る。
「友人…な。そんなもんがいるとは思えんが…。どっちにしても青臭ぇ理由だな」
≪どっちにしても≫とは、本当に友人だったとしても、矢代が影山に特別な感情を持っていたとしても、と言う意味だ。
 天羽も「債務者以外の土下座は久しく見ていません」と矢代を見直す。

 三角の家の前で矢代が待っている。

三角「毎日しつこいな。お前も」
矢代「帰って来ない日もありました」

 矢代は毎晩三角の家で待っていたのだ。影山を助けるために。

「おかしな奴だな、お前も。他人なんかどーでもいいって顔してるくせに、他人のために土下座なんかする。お前は絶対に理解されん」

 と三角は言うけれど、三角自身は矢代の気持ちをよくわかっていると思う。

 「上に立てばカネと権力さえあれば事足りる。だが、だからこそ裏切りもある

 このセリフは、物語の今後の展開を暗示している。

 三角は矢代を気に入った理由を語る。

三角「初めて雀荘でお前を見た時な、勃ちそうになって無性に腹が立った」
矢代「や……なんか意外だなー…って」

 ここは私も意外だった。
 この後の矢代に対する態度を見ていると男とも経験があるのだろうが、三角は基本的には異性愛者だから、よほど矢代に性的魅力があるのか。七原も矢代のセックスを覗いて興奮しているようだし。

三角「お前自分に頓着ねぇよなぁ。ヤってっ時結構やらしーぞ。顔とか色々」(やっぱりそうか。私も男だったら矢代とやりたいくらいだ)
矢代「そうですか。そりゃあ良かった!」
三角「何が良かっただか。分かるぞ、俺には…」

 この「分かるぞ」は、何が「分かる」と言っているのだろうか。
 私は、三角には、矢代が男とセックスすることを楽しんでいるわけではないことが分かっているのではないか、と考えている。
 矢代が性的虐待を受けたことでどれほど傷ついているかは知らなくても、なんとなく、矢代が自虐的に男と寝ていることに気づいているのではないだろうか。
 だから「最初の一年程愛人よろしく体の関係もあったが」(1巻第1話)、その後は肉体関係を持たなくなってしまった。矢代を性的にではなく、人間として気に入っているからというのもあるだろうが、無意識とはいえ、矢代の自傷行為の道具になるなんて面白くないだろうから。

「お前基本どーでもいい奴としかヤれねぇからな」
「惚れた相手と一度も寝たことないもんなぁ」(2巻第6話)

も真実だ。

「マゾだのよく分からんが、する必要のねぇ痛い思いなんてするもんじゃねぇ」

 矢代にはこのアドバイスをちゃんと聞いて欲しい。

 三角は人を見る目がある。矢代が人間嫌いなことも、影山のために土下座までするほど惚れた相手を大切にするところも、百目鬼が矢代の好みであることも、すぐに見抜いた。

三角「困ったことにお前を気に入っている。人間として」
  「お前を正式に組員にする。俺と親子の盃を交わすことになるが、異論はあるか?」
矢代「ありません」

 矢代は覚悟を決めて、諦めたような顔をしている。

 ヨネダ先生は、物語の決定的なシーンになると、人物の向こう側からライトが差すような絵を描かれる。
 
 こうして、三角に気に入られて拾われた矢代は、極道の世界に入り、のちに真誠会若頭になった。結局、矢代にはこの道しかなかったのかもしれないけれど、矢代は望んでヤクザの世界に入ったわけではない。
 
 最後の一押しをしたのは、影山を助けたいという想いだったのだ。
 矢代は影山のためにヤクザになったんだな、と思うと、再会した影山に「今ならまだ間に合う」と極道から足を洗うように言われて、
「ヤクザの俺がそんなに嫌なら、いっそ知らない人間だと思ってくれて構わない」と答えた時、矢代はどんな気持ちだったろうと切なくなる。
 影山が真実を知る日は来ないのだろうと私は考えている。
 矢代は大切な人のためなら、自分を犠牲にするところがある。だから、8巻以降で百目鬼のために矢代が危険な目に遭わないか、大切なものを失わないか、心配になる。

「ヤりたくなったら、俺のところに来い。相手してやる」
「お前に力がつけば好きにヤればいい」

 と三角に言われた矢代は、早速三角の股間に顔をうずめる。「俺にはこれしかない」とでもいうように、悲し気な表情をしたまま。

 竜崎は、最近雀荘で見かけなくなった矢代を気にしている。松原組の仲間から、矢代が真誠会に入り、ヤクザになったことを聞かされて意外そうな顔する。

 ……そして、物語は過去から現在に戻る。
 竜崎は矢代が襲撃された記事の乗った新聞を前に
「簡単に撃たれてんじゃねぇよ。マヌケェ」
 とつぶやく。刺客を差し向けたのは自分なのに、矢代が心配なのだ。
 さすがにまだこの時点では、矢代は事件の背景には気づいていないだろうから、竜崎の言う「てめえ」は平田の事だと思った。
 平田は矢代を狙った犯人が竜崎だと七原に教える。七原に竜崎を襲わせることが、平田の狙いだった。

 影山が矢代の見舞いに来る。通りかかった三角が影山に矢代の病室を教え、挨拶をする。大物のヤクザらしく、とても礼儀正しく。三角は影山と矢代の関係を知っているが、余計なことは言わない。前半の回想シーンがあるからこそ、この場面が生きる。

 病室に入ると、矢代が起きている。襲撃されて以来、初めて矢代がしゃべるので、読者もほっとする。

「死ぬって思ったら…〝ああ俺って生きてたんだな″って実感しちまって。変だよなぁ…」
「走馬灯っつーの? 良いことがひとつも出てこねーの。あんだぜ?ひとつやふたつや…みっつや…よっつ…」

 と矢代は言うけれど、可愛そうになるくらい一つもいい思い出が出てこない。矢代の目に浮かぶのは、倒れた自分を心配して震える百目鬼の姿だけなのだ。

 矢代は影山から、百目鬼が小指を落としたことを知らされる。
 矢代には、それが極道の世界のケジメだとわかっていただろう。でも、自分のために、百目鬼が取り返しのつかない傷を負った事を残念に思っているように見える。仕方のないこととはいえ、百目鬼にそこまでさせてしまった。こんなことになる前に、ヤクザの世界から足を洗わせてやりたかったと思っているのではないだろうか。


 七原が百目鬼を西新宿の歩道橋に呼び出す。

 七原「お前が指なんか落とさねぇって言やぁ、じゃあヤクザやめちまえって半殺しにしてカタギに戻れたかもしんねぇ」

百目鬼「俺には…っ、ここしかありません…っ。頭と同じ世界にいたい。あの人の役に立ちたい。今の俺には、それ以上に大事なことがありません

 百目鬼は矢代のために、極道の世界で生きる覚悟を決めた。矢代が影山のために極道に入ったように。

 この想いは6巻飛ぶ鳥は言葉を持たないでも、繰り返し語られる。そして、百目鬼は今も極道の世界にいる。

七原「にしてもなぁ…。惚れるかフツー、あんなきっつい人によぅ」
百目鬼「…変でしょうか。俺にはぜんぶ 綺麗に見えるんです

 この時初めて、百目鬼は矢代に惚れていることをはっきり認める。
 百目鬼は、矢代の後姿を思い出す。おそらく、2巻第7話でネオン輝く夜の新宿を歩いた時の矢代だろう。

 七原「前話したろ。マジ惚れしたヤツ、首切ってたっての。せいぜいバレねぇようにしろよ?」
 百目鬼「……はい」
 七原「そういや俺も、なんだかんだいってもう10年あの人の下についてるな。人のこと言えねーか」

 七原も百目鬼とは違った意味で、矢代に≪惚れている≫。七原はずっと矢代を側で見てきた分、矢代の性格を知っている。七原の忠告は、この先現実のものとなる。
 ヤクザの世界に生きる者として、厳しい面もあるけれど、七原は百目鬼の矢代に惹かれる気持ちもよくわかっていて、6巻でも「本音としちゃ、なんとかしてやりてーって思うよ」と言ってくれるところが、読者の救いとなる。

 その夜、百目鬼が矢代の病室を訪れる。
 矢代の寝顔を見て、黙って立ち去ろうとした百目鬼を、実は起きていた矢代が呼び止める。

「見るだけ見て、勝手にいなくなるんじゃねぇよ。百目鬼ィ」

 矢代にいつもの調子で話しかけられたことで安心したからか、百目鬼は言葉もなく、手で顔を覆って泣いてしまう。
 それほど、矢代を心配していたのだ。矢代が撃たれて倒れた時、このまま目を開けなかったらどうしようと思ったことだろう。
 寝たふりをしていた矢代も、泣く百目鬼も可愛い。
 矢代が「泣くなよ」と慰めるのが、胸に沁みる。

 

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