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おげれつたなか先生「ハッピー・オブ・ジ・エンド」 こんなにも素晴らしいBLがある世界に生きることの喜び

はじめに

 
  何から書き始めていいのかわからないほど、感動している。

 心は激しく揺さぶられ、胸の中に溢れる言葉をどう綴っていいかわからない。


 おげれつたなか先生の「ハッピー・オブ・ジ・エンド」を読んだ。

 この作品はBL AWARD 2022 ディープ部門で第1位に輝いている傑作なので、すでにご存知の方も多いだろう。

 私はBL AWARDが発表される少し前に、ちるちるのツイッターで「人生で1番泣いたBL」の一つとして紹介されていたことをきっかけに、この作品と出会った。


 始めの数ページを読んだだけで、絵の美しさ、物語の面白さに引き込まれた。

 一気に読み終え、思った。

 この作品に出会えてよかった。やはり、BLはすばらしいと。


 実は、私は泣くことはなかった。こんなに感動しても泣けなくなったのは、それだけ年を取ったからかもしれない。

 でも、年齢を重ねて、たくさんの本や漫画を読んできたからこそ、こんなにも素晴らしい作品に出会えることがどれほど貴重なことなのかがわかる。


 生涯であと何度、こんな気持ちになれるだろう。


 私は1990年代に10代前半でBLと出会い、一時期はどっぷりとハマっていた。ここ15年ほどすっかりBLから離れていたのだが、2021年に原点回帰してこの世界に戻ってきた。


 長い間BLから離れていた私は「ハッピー・オブ・ジ・エンド」で初めておげれつたなか先生の作品を読んだ。

 おげれつ先生は2014年「恋とはバカであることだ」でデビューされて以来、たくさんの傑作を世に送り出されている。

 趣味でお書きになってPixivで無料公開されている「ヤリチン☆ビッチ部」はコミックス化され、累計100万部を超える人気作となっている。

 何かの間違いかと思うほどの強烈なペンネーム、そして代表作が「ヤリチン☆ビッチ部」ということで、一体どんな作品なのか恐る恐る読み始めたのだが、美しい絵と繊細な心理描写の虜となり、私は「ハッピー・オブ・ジ・エンド」読了後、電子書籍で入手できるものはすべて買って読んだ。

 どの作品もコミカルな部分とシリアスな表現のバランスがよく、なにより≪愛≫をとても丁寧に表現されているので、私はたちまちファンになった。「ヤリチン☆ビッチ部」も続きが楽しみだ。


  私はBL漫画を以下の5点に注目して評価している。

①    BL作品であることを抜きにしても、物語として面白いかどうか。

「いきなり、これ?」と思われるかもしれないが、傑作と言われる作品には必須の条件だと思う。

 ただ「二人の男性が出会って愛し合う」というだけではない、展開の意外性、恋愛以外の部分の設定、構成がしっかりしているかが大切なポイントだ。
 「ハッピー・オブ・ジ・エンド」は千紘と浩然がたとえ恋愛関係にならなくても(例えば友人だったとしても)面白かっただろうと思う。

②    登場人物、特に主役二人の人間としての魅力
 優れた作品は攻、受どちらも同じくらい人気が高い。千紘も浩然も美しいし可愛いし、クズと見せかけて、とても優しい。心に傷を抱えながらも、強く生きている。
 千紘はちょっとバカなところがあって、浩然はクール。二人のバランスがいい。

③    絵や構図の美しさ、画力
 これは好みも大きいと思うが、おげれつ先生はとにかく絵が上手い。

④    セリフ回し、モノローグを含めた言語表現
 私は個人的に、マンガではあまり文字で説明し過ぎない方が良いと思っている。
「ハッピー・オブ・ジ・エンド」はおげれつ先生の他の作品と比べても、言葉での説明、特にモノローグが少ない。その方が読者に想像の余地が残るし、何度も繰り返し読んで考える楽しみが与えられる。

⑤    その作品がBLでなくては味わえない部分があるか。

 ①と矛盾しているようだが、これこそが最重要な要素で、BLにはBLのファンタジーとしての不文律、BLだからこそ読者が期待するものがあると思う。(エロも含めて)
 もしも、千紘が女で二人が男女の関係になると、この物語は成り立たない。(ビールをかけるシーンとか、暴力的な部分とか、とても読んでいられない)
 BLだから千紘と浩然の関係が成立する。
 私がBLに求めるものは、端的に言ってしまえば、純愛とハッピーエンドだ。
 この物語には、私がBLに望むものが凝縮されていた。

「ハッピー・オブ・ジ・エンド」は上記すべての点において、非の打ちどころがなかった。


 とりわけ印象に残ったのは、手の表現だ。
 最初は千紘の手を振り払った浩然が、次第に手を握り返し、最後には自分から繋ぐようになる。
 これは二人の心の距離そのものを表している。
 漫画だから可能な、美しい描写だと思った。


 社会の片隅で身を寄せ合い、傷つき乾いた心をお互いへの愛情で慰め合う、優しく美しい二人。

 千紘と浩然が幸せになることで私も幸せになれる。

 この世界にBLがあってよかったとしみじみ感じた。


(ここから各話のあらすじ・感想になります。すでに私の記事をお読みの方はご存知かと思いますが、ネタバレを含むのととっても長いのでご注意ください)


ep.01


 柏木千紘は23歳、無職。
 付き合っていた男が自分に何も言わずに女と結婚したことで自暴自棄になっている。
 金も家もなく、とりあえず金を持っている男を引っ掛けようといつものバーに入り、カウンターに座った黒髪の美しい男ケイトと出会う。
 おげれつ先生が描くケイトがあまりにも神秘的で麗しいので、千紘が一目で恋に落ちたことがわかる。

 ケイトはこの時、猫を被っているのでとても可愛い。

「ねえ、千紘のこと、もっと知りたい。静かなとこで話そうよ」

とケイトの方から誘ってくる。千紘は喜んでホイホイとホテルについていく。

 ホテルでキスして抱き合う二人、さあこれから…とにやけて隙だらけの千紘は、ケイトに電マで殴られ、意識を失う。

 ゴミ捨て場に捨てられた千紘は、ケイトの友人加治の車に乗せられながら、このまま死ぬのかと不安になる。

 そして「どうせ死ぬなら、聞けばよかった」と涙を流す。

なんで結婚したんだ。俺のこと、好きじゃなかったのか。
なんで…なんで、俺を捨てたんだよ。

 4年間付き合っていた男・駿一に裏切られて、千紘は傷ついている。

 ケイトの家で目を覚ました千紘は、ケイトが自分を襲ったのは、千紘が麻布のタワマンでヒモをしていた時に盗んだ「黒いカード」を取り返すためだったと知る。
 カードを捨てた千紘に、ケイトはもう用はない。
 冷たく「もう消えて」と言い放つ。

 食べ物と酒をもらった千紘は、酔って泣きながら、ケイトと加治に駿一の結婚式に行ったことを話す。

 加治は「おめでとうだけは言うなって」と言うけれど、千紘は


好きな奴の あんな幸せそうな顔見て 「おめでとう」 しかねぇだろ

と思う。千紘は優しい。

 酔って寝てしまった千紘はぼんやりしたまま、ケイトと加治の会話を聞いている。

加治「…もう出たらしいから、気ぃつけろよ」
ケイト「分かってる」
加治「探されんぞ絶対…マツキさんにも助けてもらえよ」

 この会話は、ケイトの過去、引っ越しを繰り返す理由の布石となっている。

 ケイトが突然フェラを始めるので千紘は驚く。

「やりたいんじゃなかったっけ?」とケイトは平然としている。

 そして、うまい。

「プロの人か!?」と千紘が思うほどに。

 ケイトは10代の頃から風俗で働いていた元プロなのでうまいのだ。

 ケイトの舌技に千紘は堪えきれず、すぐにいってしまう。

 口にザーメンを入れたまま電話をするケイトの姿に、千紘と共に私もびっくりした。飲まずに吐き出していたけれど。

 ケイトは女の子を風俗にスカウトする仕事をしている。

 千紘はそれを知って、「クズの仕事じゃん。クズでも俺の方がマシじゃね」と無職のくせに言う。

「だから何?」とケイトは動じない。

 千紘がケイトの家を出ると外は雨。
 日曜日、道を歩く家族連れとすれ違って、千紘は過去を思い出す。

 ゲイであることを受け入れてくれない家族、「ずっと一緒にいる」と言いながら裏切った駿一、アシスタントをしていた頃「才能ねーよ」と罵倒したカメラマン、「アンタみたいなクズ好きよ」と言って自分をペットとして飼ったマツキ、……そしてケイトの黒い瞳。

 カメラを万引きしようとして、千紘は思う。

俺がこんなゴミになったのって 一体誰のせいなんだ?
誰のせいでもないよな わかってんだよ 本当は

 再びゴミ捨て場で寝ている千紘をケイトが見つける。

千紘「最後に…ヤらせろよ…」
ケイト「いいよ」

 金も仕事も家もなく、将来に対する希望も展望もない千紘。その日暮らしの「クズ」として生きていた。
 謎めいた美形のケイトに出会って、千紘は変わっていくことになる。

 二人の奇妙な共同生活が始まる。


ep.02


 千紘は雑用をする代わりにケイトの家に居候することになった。仕事も金もないけれど寝る場所ができた。

 ケイトは引っ越しを繰り返している。自分を探しているマヤに見つからないように。

 ボロアパートしか借りることができない理由は、ケイトの出自にある。

 引っ越しの片づけはすべて千紘にさせて、ケイトはカフェでテイクアウトしたコーヒーを飲んでいる。千紘の分は買ってきてくれない。(この時点での二人の関係性がよくわかる)

 ケイトはあまり家にいないし、最初の印象と違って「穏やか」で、千紘はこの生活にそれなりに満足しているようだ。

「あとはセックスができたらいいのにな~」と思っているのが可愛い。

 ケイトが落ちていたインスタントカメラを「プレゼント」と渡すと、千紘は「いや、ゴミじゃん」と言いながらも、フィルムがあと一枚残っていたことを喜ぶ。

 千紘の輝くような笑顔から目を逸らすケイト…。

 二人は写真を撮りに公園に出かける。

 ケイトが「千紘はいつからゲイだったの?」と尋ねる。
 ここで千紘の過去が語られる。

 千紘はわりと裕福な家で生まれ育った。ゲイであることを家族に受け入れてもらえなくて、実家とは疎遠になっている。家庭でも学校でも千紘は疎外感を感じていた。

 ゲイだとばれないように誰とも話さないようにしていた高校時代の千紘に、唯一「バイバイ」と声をかけていたのが駿一だった。
 たったこれだけで、千紘は駿一を好きになってしまったのだった。
 その後同窓会で再会して、駿一と体の関係を持った千紘は「はじめて恋人ができた」と思うけれど、駿一はバイセクシャルで、結局千紘には内緒で付き合っていた本命の彼女と結婚してしまう。
 駿一にとって千紘はセフレだったのだろうけど、駿一が「ずっと一緒にいる」と言ったことを、千紘は「嘘でも嬉しかった」と感じている。(ep.04)
 
 一方、ケイトには「母親」がいることがわかる。
 ケイトに向けたカメラのシャッターを切った瞬間、一斉に鳩が飛び立ち、驚いた千紘は噴水に落ちてしまう。

 ずぶ濡れになったことを子供にからかわれて千紘は苛立つ。

「子供とか苦手…俺の人生じゃどうしても手に入らないものだから苦手。家族とか、そういうの…」

 家族の中で邪魔者扱いされて育った千紘、学校でもゲイだとバレないように誰とも話さないようにしていたから友達もいない。
 この先「家族」を持つことを諦めているようだが、本当は何よりも家族の愛情を欲しているように見える。


 千紘はカメラを取りに実家に帰るのにも一人で行けず、ケイトについてきてもらう。
 知らない間に家の鍵が変わっていて、千紘は中に入ることができない。

 自棄になった千紘は裏庭から窓を割って不法侵入しようとするが、家の中の家族写真を見て動けなくなってしまう。

 幸せそうな家族の風景。その中に千紘はいない…。

 自分はもう、この家の家族ではないのだと思い知らされた千紘は、窓を割ろうとして手に持った石をぼとりと落とす。

 「もう いいや」

 舞い散る落ち葉が髪に降りかかり、千紘の睫毛を伝う一粒の涙が真珠のように光っている。

 千紘の悲しみをケイトは静かに受け止める。慰めの言葉はかけない。

ケイト「帰る?」
千紘「うん」


 その夜、明日はケイトが仕事でいないと聞いた千紘は寂しさを口に出す。


千紘「…ひとりの時、何考えればいいのかわかんねぇ。ぼーっとしてると嫌なことばっか思い出すし、死にたくなる」

ケイト「じゃあ、セックスしよう。何も考えなくていいだろ」

 急にケイトにキスされ、押し倒されて千紘は驚く。
 ケイトはセックスで千紘を慰めようとしているように私には思えた。
 これがケイトの優しさなのではないかと。

 はじめは千紘の方がやりたがっていたし、ケイトが中性的な美形なので、千紘が攻なのかと思った。

 ケイトの方が受っぽく見えて、実は千紘の方が受だったところにぐっときた。

 ケイトは攻、受どちらも経験があるから、たぶん千紘を相手に受もできるのだろう。私はこの二人ならリバでもいい。

 リバーシブル(BLにおいて攻、受が入れ替わること)はデリケートな問題で、好みの分かれるところではあるが。

 ケイトに犯されて感じている千紘がとても可愛いと思った。ケイトもそう思ったに違いない。

「…そういえば今、ゴムしてないから、今度からは千紘が用意しといて」

 二人とも結構ビッチだから、ゴムはした方が良いのに…と思いながら読んでいた。
 この後、千紘はなかなかゴムを用意することができない。そこが面白かった。

「人生はチョコレートの箱」と千紘は思う。
 千紘がゴミ箱のなかから見つけたチョコ(=ケイト)は、予想外に甘くておいしかったことだろう。


ep.03


 千紘は加治に缶ビールを奢ってもらった帰り、ケイトと「ケイトの母ちゃん」を見かける。

 ケイトの「母」はヤク中の立ちんぼで、ケイトから金を貰えるからケイトの事を覚えているフリをしている。
 ケイトはそれがわかっているのかもしれないが、それでもいい。誰にだって心の拠り所は必要だ。

 コンビニで加治に煙草を買ってもらいながら、千紘はコンドームを見つめる。買えないのが可愛い。

 千紘が酒臭いことにケイトは気づく。千紘を抑えつけて、指で犯しながら、加治と千紘が仲がいいのを気にしている様子だ。

 千紘がゴムを買っていないので、ケイトは挿入しないでやめてしまう。

「ないとつらいんじゃないの? そっちが」

 ケイトは受の経験があるからわかるのだろう。


 千紘が作った手料理を食べて、ケイトは

「店で食うのより味薄くて不味いけど、うまい」

と感想を言う。

 ケイトは初めて誰かの手料理を食べたのかもしれないと思った。
 箸の持ち方が変なのも、正しい持ち方を教えてもらえなかったからなのだろう。おげれつ先生は画力があるので、絵だけでいろいろなことが伝わる。

 二人は一緒にご飯を食べ、セックスをする。

 でも、千紘は

2か月以上一緒に住んでるけど、ケイトのこと母親がいるってこと以外何も知らない

のだった。

「何食いたい?」と聞かれて「オムライス」と答えたケイトに

「ガキかよ。簡単だし、いーけど」と千紘がほほ笑む。

 千紘の笑顔を眩しそうに眺めるケイト。でも次の瞬間、ケイトの顎には冷汗が滴ってる。(「汗」はこの後繰り返し出てくる)

 千紘は意を決して、隣に座ったケイトの左手に自分の右手を重ねる。

 すると、ケイトは千紘を突き飛ばし、

「何? 急に、ベタベタ、恋人みたいに。気持ち悪いからやめてくれ」

と怒る。(ひどい、と私は思った)

 千紘は傷ついて、俯いたまま

「別にそんなつもりじゃない」

 としょんぼりしている。

 翌日、ケイトの希望通りオムライスを作ってあげる千紘。ケチャップが家にないのでかかっていない。

 昨夜のことがあって、二人の間には微妙な空気が流れる。

ケイト「何か元気ないね」
千紘「べつに…ふつう」

 不意に、ケイトが千紘にお菓子についていたオモチャのペンダントを渡す。
 子供の頃に見たような、ハート形の、女の子がお姫様ごっこをする時に着けるようなキラキラした可愛いペンダントだ。

ケイト「プレゼントだよ」

「ダッせぇ」と言いながらも千紘は嬉しそうだ。

 普通の大人なら身に着けるのに抵抗がある品だが、千紘は美形だから何でも似合う。

 ケイトは千紘を慰めようとして、ペンダントをくれたのかなと思った。口では何も言わないけれど、昨日千紘を拒絶したことを悪いと思っているのだろう。


 一人で散歩中に、千紘は薬物で錯乱したケイトの「母」を見かける。
 暴れる彼女を押さえようとした千紘は、ケイトにもらったペンダントを引きちぎられてしまう。
 そこにケイトが通りかかり、最初は放っておこうとするが、警察が来る前に「母が元いた店の店長」を呼び、車で連れて行ってもらう。

「帰るぞ」と促すケイトに、千紘は

「俺、これから用事あるから、先帰ってて」と言い出す。

 ケイトは「用事なんてねぇえだろ」と不機嫌になりながらも、千紘を置いていく。

なんだ用事って 友達なんかいないくせに

 ケイトは千紘が自分以外の人間と仲良くすることを気にしている。
 千紘が加治にビールをおごってもらったと聞いた時や、(この後の出来事だが)自分がいない間に加治が家に来た時、なんだか不満そうだ。

 やっぱり千紘が気になるケイトは、

 ハム何買えばいいのか、わかんないや

と自分自身に言い訳をして、千紘のもとに戻る。

 千紘は雨に濡れることも厭わず、ケイトにもらったペンダントを探していたのだった。

ケイト「もしかして、俺があげたオモチャ、探してるの」
千紘「……」
ケイト「あんなの、ガラクタじゃんか」
千紘「ちがう」

 ここで「違う」と恥ずかしそうに答えた千紘の横顔が、私はこの1冊のコミックスの中で一番美しいと思う。ケイトもぐっときたに違いない。

 千紘への好意を自覚して、ケイトはまた汗をかいている。(ストレス反応なのか、この後も同じ反応を繰り返す)

 無事ペンダントが見つかって喜ぶ千紘の笑顔を見て、ケイトは珍しく「ムラッ」と欲情している。

 二人は帰る前にコンビニでコンドームを買う。

 千紘に選ばせておきながら千紘が「0.02」と「0.03」の間に手を伸ばすと(迷っているからかどちらを取ろうとしているのかよくわからない)、ケイトは「ハズレ」と言って千紘の手を掴む。

「俺が好きなのはこっちね」

 ケイトは薄いのが好きなのだ。

「選べって言ったのお前だろ」と千紘は恥ずかしそうにしている。可愛い。

「言っただけ、これからはちゃんと覚えてよ」

 ケイトはたまにこういう意地悪をする。そこがいい。


 コンドームを買ったので、久しぶりにケイトが千紘に挿入する。

 この時もケイトはちょっと意地悪で

「じゃあ、俺が入れやすいようにして。分かるよな? 千紘は…」

と千紘を自分から四つ這いにならせ、脚を開かせる。

 局部を露わにしたあられもない千紘の姿。
 おげれつ先生の画力なら、肝心な部分も正確に美しく描くことができるのに規制があるのが残念なくらいだ。

 二人は若いから、絶対にコンドームひと箱では足りないだろう。


 ケイトが自らの過去について千紘に話し始める。千紘が聞いたのではなく、ケイトから自発的に。

 ケイトの母は中国人で、風俗で働いていた。ケイトは客との間にできた子供だった。ケイトも母と同じ未成年専門の風俗で働くことになる。

 たぶんケイトは戸籍がないし、小学校すら行っているかどうか怪しい。

 千紘がヒモをしていたマツキもケイトの客で、まともな不動産屋からは家を借りることができないケイトの世話をしている。

 ケイトは自分の本当の名前を千紘に教える。

「浩然(ハオレン)」

 千紘の肩に頭をもたせかける浩然。二人の手と指先が重なる。
 心の距離が、少しずつ近づいていく。


ep.04


 浩然はマツキに高級焼き肉を奢ってもらいながら、マツキのペットだった頃の千紘の話を聞く。

 千紘はマツキが夜遅く帰ってくると、よく一人でベランダで煙草を吸いながら泣いていた。マツキはその泣き声が好きだったと言う。

マツキ「あの子、きっと一生不幸よ」

 微妙な顔のまま黙っているケイト。このセリフは、この後の展開の鍵となる。


 浩然のパソコンを使う許可をもらった千紘は久しぶりにラインを開く。お金がないのでスマホを持っていないのだ。

 自分を捨てて他の女と結婚した駿一からメッセージが来ていたことに気づき、驚く。

「久しぶり。元気?」

 千紘はつい「元気だよ」と返してしまう。直後にかかってきた電話には動揺して出ないものの、まだ駿一への気持ちが残っている。

 酒を飲んで寝てしまった千紘を帰宅した浩然が見つける。

 ログアウトしていない千紘のラインを見て、「千紘ってほんと馬鹿だなー」と浩然は思う。
 千紘が元カレと連絡を取り合っているのを知り、浩然はパソコンの前で固まる。


 駿一は再び千紘にラインを送って来て、飲みにいこうと誘う。駿一の目的が飲みに行くことではないのは明らかだ。「ヤリ目」だから、行っちゃダメ、と千紘自身もわかっているように思う。

 千紘は加治に駿一のことを相談する。

「やめとけ」と言う加治が正しいって、皆思っている。

加治「つーかさ、ケイトはいいのかよ?」
千紘「え? なんでハ(オレン)……、ケイト?」
加治「あー…、いいならいいんだよ別に」

 一緒に暮らし、時々セックスもするけれど、この時の千紘と浩然は「恋人」ではない。


 浩然はこのこと、どう言うんだろう。加治みたいにやめとけって言うのか。
 いや言わない。「行ってくればいいじゃん」とか言いそう。(そんなこと言わないよ)

 千紘はこう考えるのには理由がある。前に手を繋ごうとして払いのけられたこと、結構ショックだったのだ。

付き合っていないし、向こうはそのつもりも無いんだろうし

 千紘の気持ちを考えると、せつなくなる。
  
 千紘は駿一に未練があるのと同時に、聞きたいことがあった。


 どうして結婚したんだよ。本当は俺のことを


「どう思っていたのか、好きじゃなかったのか」と千紘は聞きたい。


 ラインで駿一と金曜日の夜に会う約束をした千紘。
 そこに浩然が帰って来る。
 千紘が慌ててパソコンを閉じたのを見て、浩然はさっきまで千紘が元カレと連絡を取っていたのだと察する。

 浩然は怒っている。

「飯より舐めてよ。フェラしろって言ってんの」

 千紘は戸惑いながらも、要求に応じる。

 千紘が浩然のペニスを咥えると、浩然は頭を抑えつけてイラマチオを強制する。

「後ろ向いて入れて自分で動け」と千紘をモノのように暴力的に扱う浩然。

「動くオナホみたいだな」とひどい言葉を投げつけて、千紘を傷つける。
 嫉妬もあるのだろうが、浩然は、懲りずに元カレの言いなりになろうとしている千紘に対して苛々しているように見える。
 でも、千紘の泣き顔を見てしまうと、これ以上できなくなって後ろから千紘を抱きしめるのだった。

「…泣くなよ、ズルいだろ」


 翌日、千紘は駿一と新宿で待ち合わせる。
 浩然はそれを知っていて(パソコンで千紘のラインを見たのだろう)加治を「焼肉を奢る」と言って連れ出して新宿に出かける。
 千紘と元カレが店に入るのを見つけた浩然は、「魚食いたくなった」と同じ店に入る。「やめとけってば!」という加治の制止も聞かずに。

 にこやかに話す千紘と駿一の斜め後ろの席に、すました表情の浩然と死んだような顔をした加治が座っている。

 駿一は悪びれもせずに「最近子供生まれてさー」「(セックス)レスんなって最悪だよ」「初めて風俗行ったの!」と笑顔で千紘に話す。
 自分の言葉が千紘をどれほど傷つけているか、駿一は気づいていない。

「…なんで、急に結婚したんだよ」

 千紘はついに、ずっと聞きたかったことを聞いた。ep.01で「死ぬなら聞けばよかった」と思っていたことだ。

 それに対して駿一は

「いやまぁ、色々あったんだよ。勿論、千紘のこと、ちゃんと好きだったし、本気だったよ?」

 と軽々しく答え、

「だからさー、この後ホテル行かない?」

と平気で誘う。

 千紘は、最初から最後まで駿一に愛されてなんかいなかった、それをわかっていたけれど認めてこなかっただけだと気づく。


 けど、誰かに好きでいて欲しい。好きなフリでもいい。

 千紘のこの気持ち、よくわかる。昔から好きで4年付き合っていた男。裏切られて捨てられても、まだ未練があって、嘘だとわかっていても「好きだ」と言われると抗えない。

 千紘は小さな声で「うん…」と答える。

 ああ、千紘、行っちゃダメ…と思いながらページを捲ると…

 次の瞬間、

 浩然が手に持った瓶を逆さにして、千紘の頭からビールをぶっかける。

 頭を冷やせと言うかのように。

 このシーン、本当にびっくりした。当分頭から離れないだろう。

 なんという引き留め方。

「1回捨てたゴミ、拾いに来たの? エコだね、アンタ」

 こう言いながら浩然が、千紘の肩に手をかけているところ、まだ見捨ててないって言う気持ちの表れだと思った。

「……お前も、ずっと不幸なゴミのままか」

 自分で自分を「不幸なゴミ」にするなと、浩然は言っている。

 そのまま店を出る浩然。

「千紘、大丈夫? シャワー浴びに行こう」とまだ千紘をホテルに誘う駿一に向かって、ついに千紘は

「行かない」

と言えた。

「もう二度と、駿一とは、どこにも行かない」と。

 やっと駿一への未練を断ち切れたのだった。千紘にとって、駿一に愛されていないことに気づきながらもそれを認めないようにしていた過去の自分と決別した瞬間でもあった。

 千紘は駿一が買ってきた花束を置き捨てて、浩然を追いかけていく。

 残された加治が顔を覆いながら、「肉…食いたかったな…」と思っているのが可愛い。

 千紘が浩然に追いつき、背後から浩然の手に触れる。

千紘「ゴミと動くオナホ、どっちがマシなんだろうな」
浩然「動くオナホに決まってるでしょ」

 浩然はもう千紘を振り払わない。汗が滴る手で震えながら、千紘の手を握り返す。

 元カレの言いなりになりかけた千紘を「行くな」と言わずに引き留めた浩然に痺れた。千紘の頭からビールをぶっかけたシーンは、私の中でBL史に残る名シーンとなった。


 

ep.05


 この回では浩然の過去が断片的に明らかになる。千紘の過去よりもっと壮絶だ。


 千紘が現像した写真を見て、何かに気づいた浩然はまた引っ越しを決める。前の仕事先の奴(マヤ)に見つかりたくないのだ。

 浩然は未成年専用の風俗を引退した後、マヤが経営するVIP専用のSMクラブで働いていた。
 これが本当にひどいクラブで、殴るとか縛るとか鞭で打つなどというものではない。

「痛い」とか「汚い」とか嫌なことは大体やれた

という浩然でも震えるほどの行為をする客もいた。

 相手を入院させるほどの残虐プレイなんて、いくら秘密の違法クラブで、客は金も地位もあって大抵のことはもみ消せるような立場なんだろうけれど、人間が人間に対してやっていいことではないと思う。

 お金を払ったら何をやってもいいと考えは間違っていると思うし、そんな残虐な行為でしか欲望を満たせない自分の異常性を内省したほうがいいと、読みながら私は怒っていた。

 浩然の美しい顔と体に跡が残らなくてよかった。でも、心には消えない傷が残っただろう。(と、2巻を読むまでは思っていた)

 浩然の雇い主「マヤ」は薬(おそらく違法ドラッグ)と店のことで逮捕され、浩然はSMクラブから解放されることになる。

 しかし、ep.01で加治との会話にあるようにマヤはすでに出所していて、浩然を探しているらしい。
 浩然はマヤから身を隠すために住所を転々としている。普通の所では賃貸契約を結べないから、マツキに助けてもらいながら。

 ある日、浩然は街角で自分を捨てた「母」を見かける。
 本当は浩然の母ではなく、面影の似た女だったのだろう。
 ヤク中の女は浩然が金を渡すと「母」のふりをして、浩然を抱きしめてくれた。
 浩然は「母」の腕に抱かれ、束の間の安らぎを感じるのだった。


 浩然の名前の由来を調べた千紘に「良い名前だな」と言われ、

「…じゃあ、千紘のは俺が今考えてあげる。なんで『千紘』っていうのか」

と返した浩然は、

「俺が呼びやすい名前だから」

 そう言って、珍しく屈託なく笑う。名前の由来として、こっち方が良いのでは…と思ってしまう。千紘も嬉しそうだ。

 二人の行く先に人だかりができている。浩然の「母」が薬で錯乱してビルから飛び降りたのだった。

 浩然は唯一の心の拠り所を失くしてしまう。


ep.06


「母」が死んでから、浩然は食事をとらず仕事にも行かなくなり、ずっと部屋で塞ぎ込んでいる。

 千紘はバイト先を世話してくれるように頼んだ加治に、

「いや、わざわざお前が働かなくても、次のヒモ先見つけて出て行きゃいいじゃん」

と言われてしまう。
 確かにその通りで、今までの千紘ならそうしていたのだろうけど。

 千紘が部屋に帰ると、浩然が布団も敷かずフローリングに横たわって寝ている。

 千紘は浩然の手に触れ、横顔にそっとキスをする。
 浩然を置いて出て行くことなんてできない。
 千紘は浩然を好きになってしまったのだから。


 レストランでのバイトの初日、千紘は偶然、客として店に来た兄の家族と会ってしまう。
 兄は千紘の姿を見た途端、コースをキャンセルして店を出ようとする。
 自分を拒絶し続ける兄に千紘は

「俺と…兄ちゃん、何が違ったの?」
「俺がゲイだから悪いのか? 何が違うんだよ!!」

と食ってかかり、兄に殴られる。

「二度と俺たちに関わるな!!」と言われて、千紘はまた傷つく。


 加治と飲みながら、千紘はバイトを1日でクビになったことを報告する。

 加治が彼女に浮気されて別れた事を聞いて、千紘は

「夜の子だろ?しょーがないじゃん」

と無神経なことを言う。

 ムッとした加治は

「お前には普通の恋愛のことなんか分かんねぇよな。だってお前ゲイなんだろ? ケイトもだっけ。俺はお前らと違って簡単じゃねぇの」

「それに、お前とケイトは、お互いなんも持ってないから、一緒にいられるんだよ

と言い返す。

「夜の子だから」「ゲイだから」、私たちはそんなふうにすぐに他人をカテゴライズして、偏見を持った眼差しで眺めるくせに、いざ自分がそういう枠に押し込められて評価されると反感を持つ。全く勝手なものだ。

 千紘は「…だよな。ごめん」と素直に謝る。

 こういうところが千紘のいいところだと思う。
 加治も言い過ぎたことを自覚して、申し訳なさそうに去って行く。

 お互いなんも持ってないから、一緒にいられる

 それでもいいよね?と私は思う。

 千紘と浩然は、過去に傷つき、心に欠落を抱えたまま生きている。
 その寂しさや悲しみをお互いの温かさで癒し合っている。

 呆然としながら、信号待ちをしている千紘。まるでこのまま車の列に飛び込んで行ってしまいそうで、心配になる。
 ハートのペンダントのチェーンが切れ、足元に落ちる。(その後もちゃんと千紘はペンダントをつけているから、また直したようだ)

 

 千紘がティッシュ配りのバイトから戻ると、浩然が起きている。
 たまには外に遊びに行こうと千紘が誘う。

 牛丼を食べる浩然は味を感じているようには見えない。おいしいとも不味いとも言わない。
 二人はアメ横の居酒屋で見知らぬ人にビールを奢ってもらう。

 上野の歩道橋で夜風に吹かれながら、浩然が話し出す。

「お母さんが死んだことが悲しいのか分からない」
「ただ、俺は、お母さんなら、本当の母親なら、俺を……」

 浩然は、何と続けるつもりだったのだろうか。

「俺を愛してくれた」?

 少しずつ元気が出た様子の浩然が、千紘を誘ってボーリングに行く。二人とも下手なのが可愛い。

 外に出ると夜が明けている。
 肌寒い、秋の早朝。
 営業時間前で人気のない不忍池のボート場で、二人は勝手にボートに乗る。
 朝の冷たい、清々しい空気がこちらにも伝わってくるようだ。遠くにはスカイツリーが見えている。

 千紘が浩然を乗せてボートを漕ぐ。

千紘「やばいから落ちんなよ」
浩然「うん、気をつける」


 そう言いながら浩然が近寄って来たので、千紘はバランスを崩しそうになる。
 浩然が唇を寄せ、優しくキスをする。

 二人は「楽しいね」と額を寄せ合う。

「もう、これ以上ない」

 そう言って、浩然は千紘の胸に縋り

「死にたい」

と呟く。

なんと美しく切なく、心に突き刺さるシーンだろう。

千紘は「何で」とか「そんなこと言うなよ」などとは言わず、ただ、

「……そっか」「そっかぁ」と浩然の苦しみをそのまま受け止める。


 ここまでの展開がまるで「最後のデート」のようなので、このまま二人が死んでしまうのではないかと不安になった。

 私も事あるごとに死にたくなるタイプだから、浩然の気持ちがよくわかる。

 浩然は唯一の心の支えだった「母」を失って絶望している。


 子供が弾くピアノの音が聞こえてくる。「森のくまさん」のたどたどしいメロディ。

 踏切を渡る途中で浩然が足を止め、線路の真ん中に横たわる。


千紘「浩然、もう始発動いてるし、危ねぇよ」

浩然「置いて行ってくれ。俺……ここで寝るから」(ここで死ぬから)

 
 瞼を閉じた浩然の隣に、千紘も寝転がる。


浩然「なんのつもり?」

千紘「俺も寝ようかな」(俺も死のうかな)

浩然「なんで?」

千紘「さぁな……考えんのも、もうめんどくせーよ」

 千紘は瞑目したまま笑みさえ浮かべている。
 美しい横顔には、迷いもためらいもないように見える。


 そこに電車が向かってくる。

 一瞬、一緒に死んでしまうのかと思った。千紘はそれでもいいと、本気だったと思う。

 間一髪、浩然が千紘を引きずって線路から脱出する。


浩然 「お前のせいだ。お前なんかがいるから、俺、もしかしたら、このまま生きて幸せになれるかもって、期待させられる

千紘「俺の……俺のせいでいい。いいから……一緒にいてよ

 二人は涙を流す。
 浩然は千紘を死なせたくなかった。千紘と出会ったことで、生きる希望が生まれた。
 でも、「生きて幸せになれるかも」という期待を裏切られることを恐れている。
 そんな浩然に、千紘は「一緒に生きよう」と言う。

 浩然は両手の痛みに気づく。千紘を助ける時に、地面で擦ったのだ。

「痛いよ、ちひろ」

 浩然が痛みを実感できた。千紘に痛いと言って抱きつけた。
 それは、なんと大きな変化だろう。

 二人がマンションに戻るとドアの前に加治が座り込んでいる。帰らない二人の身を案じていたのだった。

 仲直りする千紘と加治。

 浩然が千紘の袖を引っ張り、二人がぎゅっと手を繋ぐシーンで第1巻は終わる。

 ページの端の「to be continued」の文字がなかったら、これで終わりなのかと思った。
 ここで終わってもいいと思えるほど、完成されていると感じた。

 なんと美しく、救いのある物語だろうか。

 私は深く感動し、しばし呆然としていた。

 こんな満足感を与えてくれるのはBLだけだ。

おわりに

 

 私の記憶は高校時代に戻り、岡崎京子さんの漫画を思い出す。


「世界は喪失、欠如、不在、消失に満ちているわ。そして暴力。でも思考とエクリチュール、愛だけがそれを救済することができるのよ」

岡崎京子「Melody」


 この世には悲しみや不条理が溢れている。
 千紘も浩然もそれぞれに孤独と痛みを抱えている。お互いの欠落を愛で埋め、寄り添い合って生きている二人の存在が、私を救ってくれた。
 少なくとも私の個人的な世界は、思考とエクリチュール(「書くこと」は私にとって大きな救いだ)、愛、そしてBLが救済してくれる。

 この世にはこんなにも素晴らしいBLがある。

 BLがある世界に生きていてよかったと、心から思った。


 明日、「ハッピー・オブ・ジ・エンド」の第2巻が発売される。
 この先、二人を待ち受ける苦難がどんなものであっても、乗り越えて行ってほしいと願っている。
 二人が幸せになることで、私もまた幸せになれるのだから。


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