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「囀る鳥は羽ばたかない」 第1~48話 全話レビューを終えて


全話レビューを終えて


 2021年9月から約1年かけて書いた「囀る」第1~48話までの全話レビューが終わった。

 2022年1月に病気で入院し、その後体調が悪化して文章が書けなくなっていた時期があったので、それがなかったらもっと早く完成していたかもしれないが、とにかく何とか完遂できてよかった。

「囀る」をより深く理解するために、入手できる限りのヨネダ先生のインタビューや同人誌、過去作品を読み、「囀る」がどのような意図で作られた作品かを私なりに考え、できるだけきちんとした文章で書き残したかった。

 始めた頃は書き方が確立しておらず、今読むともう少し詳しく書いた方が良かったと思う部分があったり、7巻については駆け足だったりと不十分な点もあるが、ひとまず当初やりたかったことができた。

 すでに7巻まで発行されている漫画を1巻から振り返って1話ずつレビューするなんて生まれて初めての挑戦だったし、長時間労働(とりわけブラックというわけではなく、そういう業種なので)をこなしながら、よく諦めず書き続けられたものだなと我ながら思う。

 私を支えてくれたのは、作品への愛と情熱を絶えず生み出し続けてくれた「囀る」という物語の素晴らしさと、何より、記事を読んでくださった読者の方々の存在だった。

「たとえ誰も読んでくれなくてもかまわない」と思って書き始めたものの、もしも本当に読んでくださる方が一人もいなかったら、ここまで書き続けられるほど私はメンタルが強くない。

 記事を書く度にスキを押してくださる方や、温かい応援コメントにとても励まされた。

 まだレビューを開始してから間もない頃、「(囀るについて)いろいろ読みましたが、あなたの感想が一番好きです」というコメントを下さった方がいて(今はもうお気持ちが変わられているとしても)、感激した。

 私は10年遅れのファンなので、今更第1話から感想を書くことに恥ずかしさを感じていたから、「書いていいんだ」と勇気が出た。

 特に思い出深いのは第46話だ。

 第46話を読んだ時、私は激しいショックを受け、誇張表現でなく、神経が高ぶって一晩中一睡もできなかった。

 何とか自分を慰めようと、血反吐を吐くような思いで書いた第46話の感想を、たくさんの方が読んでくださったことはとても励みになった。

 病気になって入院し、心身ともにつらかった時、「囀る」ファンの方からTwitterでお見舞いの言葉をいただいたことにも救われた。

 リアルな私を知らない方から「一人じゃないですよ」と言っていただけて、大いに慰められた。

 韓国の「囀る」読者の方が、私の記事を読んで感想を下さった時には大変驚いた。
 日本語に慣れない方にとって決して読みやすいとは言えない、私の長くてわかりにくい文章を読んでくださっていることに感謝している。

「囀る」の感想を書いていなければ、このような喜びを味わうこともなかっただろう。

「囀る」が完結するまでは、何があっても生きていたいと思っていたが、今回、病気になって、文章を書くためには命だけでなく体力と集中力と思考力が必要なのだと痛感した。

 私はこの先、命と文章を書く力があるかぎり、「囀る」の感想を書き続けるつもりだ。
 
 いつの日か、読者の皆様と一緒にこの偉大な物語の結末を見届け、その感想を書くことができるのを楽しみにしている。

 もしも、その時まで読んでくださる方がお一人でもいらっしゃるのなら、私はこの上なく幸せだ。

今後の展開について

(第44話以降の内容を含みます)


 1年前に「結末を予想する」を書いた時、私は矢代と百目鬼のどちらかが死ぬのではないかと本気で心配していた。

「囀る」が甘いハッピーエンドを迎えるとは到底思えなかった。

 しかし、すでに何度も書かせていただいた通り、第46話を読んだ後、私の考えは一変し、「矢代は過去の虐待の傷を乗り越え、百目鬼と愛し合えるようになる。二人は生きて、幸せになれる」と信じられるようになった。

 このことを大前提として、私が気になっている点について少し予想を述べさせていただこうと思う。

①    矢代の右目のこと


 平田に頭を殴られて、矢代は外傷性視神経症を発症し、右目の視力を失った。
 今後矢代の視力が回復することはない。

 このことが物語にどう影響するのか。

 以前にも書いたが、私は中学生の頃「ベルサイユのばら」を読んで(リアルタイムではないです)、アンドレが失明し、その後オスカルをかばって死んだことに大きなショックを受け、またその後「炎の蜃気楼」でも直江が失明してから高耶をかばって死ぬというシーンを読んで以来、「目が見えなくなると、それが原因で致命的な怪我をして命を落とすのではないか」という不安が刻みこまれてしまった。

 少なくとも、右目を失明して「いいこと」が起きるとは思えない。

 片目を失明すると、視野が狭くなり、遠近感や立体感を掴むのが難しくなる。

 矢代がこれからヤクザの抗争に巻き込まれていくことを考えると、右側からの攻撃が見えなくて大きなケガをするか、銃を撃とうとした時に遠近感がつかめなくて決定的な場面で外してしまうかではないかと予想している。

 いずれにしても矢代の身に危険が及びそうだから、心配で仕方がない。

②    矢代と百目鬼はヤクザを辞めるのか


結末を予想する」では、矢代にとってヤクザでいることはそれほど悪いことでもなく、「カタギになること」は必須の条件ではないと思う、と書いたが、「囀る」を読み込むうちに、そもそも矢代はヤクザになりたくなかったのに影山を助けるために極道の世界に入ったこと、ヤクザでいることを肯定していないこと、7巻以降は三角の元(ヤクザの世界)に戻りたくないと思っていることがわかってきた。

 三角や七原は矢代にヤクザに戻ってほしがっているが、矢代を愛する百目鬼や竜崎は「矢代はヤクザに向いていない」と思っている。

 百目鬼が極道に留まるのは「矢代と関わっていたいから」であり、神谷に「俺に出世は期待しない方がいい」(7巻第38話)と言っていることからも、今はおとなしく桜一家の組員として働いているけれど、どこかで矢代の為に組と手を切る(裏切る?)可能性を感じる。

 最終的には、矢代も百目鬼も極道の世界から抜けるだろう、と予想している。
 だが、その道のりは楽ではなさそうだ。

 三角は矢代を、綱川は百目鬼を気に入っていて、自分の傍に置きたいと思っている。

 強力なヤクザの親分たちの手元から、矢代と百目鬼はどうやって離れるのだろうか。

③    矢代、百目鬼、三角の三角関係


 私は、三角にとって矢代は恋愛対象ではなく、「言うことを聞かなくて手を焼いているけれど、本当はとても可愛がっている一人息子」だと思っている。
 三角は矢代に自分の跡を継がせたい。

 平田や天羽が心底欲しいと思っても得られなかったポジションを、矢代は望んでもいないのに手に入れている。

 甘栗は矢代のことを「ヤリマンの孫娘」と言ったが(4巻第19話)、百目鬼が加わることで、三角(父)、矢代(息子から娘にチェンジ)、百目鬼(娘と結婚したい彼氏)の関係になると私は考えている。

 三角と百目鬼が矢代を取り合う構図になって、
 三角が「おまえ、この俺と矢代を張り合おうって言うのか?」と凄むシーンが見たい。(根拠のない妄想です)

 もしも、三角が矢代と対立するなら、最強の敵になってしまうけど(途中でそういう展開になるのではないかと予想している)、最終的には寛大なお父さんに戻って、矢代と百目鬼が結ばれることを許してあげると信じたい。


 一方で、矢代と綱川が百目鬼を取り合うという構図もある。
 百目鬼の本心(矢代の側にいたい)は揺らがないだろうが、矢代は素直に「俺を選べ」とは言えないだろうから、こちらも展開が楽しみだ。


④    矢代と百目鬼


 矢代と百目鬼がわかり合って結ばれる場面が、物語のクライマックスになるだろう。
 愛情を込めたセックスをしてほしい。もちろん、膝枕も。

 それがいつ、どういう形になるかはわからないが、必ず矢代はカタルシスを得て、人(百目鬼)を愛せるようになると思う。

 何度も書いているが、クラブのママの部屋を一人で訪れる場面が描かれようとも、私は「百目鬼には女はいない」と思っている。
 女がいる振りをしているだけだと。
 そうでなければ、7巻第37話での綱川との会話が物語の構成から浮いて、意味のないものになってしまう。
「百目鬼に女がいる」と誤解した矢代が、意地を張りながらも嫉妬する場面が楽しみだ。

 ヨネダ先生は、素直になれない受が泣いているところに攻が来て、二人がわかり合う、と言う展開がお好きなように思う。

 カカイル同人誌「続カカイル高校教師」では、物語の最後にイルカが教室で泣いているところにカカシがやって来る。

「それでも優しい恋をする」でも、逃げるようにマンションから去った出口が泣いているのを、追いかけてきた小野田が見つける。

 百目鬼に本当の気持ちが言えずに矢代がこっそり一人で泣いて、それを見つけた百目鬼が「何で泣いているんですか?」と問い詰め、矢代が我慢できなくなって本心を吐き出す、みたいな展開があるのではないだろうか。(完全に妄想です)

 いずれにしても、二人は結ばれて、ともに生きていく。
 私はそういう未来を信じている。

⑤ 影山のコンタクトケース(2022.9.21 追記)


 4巻第17話の感想の中で、「影山のコンタクトケースは、矢代がどれほど一途に人を好きになるかの象徴なのだ」と書いた。

 私は、まだ百目鬼があのコンタクトケースを持っていると思う。
 そして、もう一度物語に登場すると考えている。

 桜一家の組員となってから、百目鬼は矢代とセックスした思い出の古いアパートから、もう少しいいマンションに引っ越したことだろう。

 いつか矢代が百目鬼の部屋で、偶然コンタクトケースを見つけるのではないかと予想している。

 その時、百目鬼は何と言うだろうか。

「あなたの大切なものを無断で持ち出してすみません」と謝るのか。

 影山に対する恋がすでに過去のものになった矢代にとって、あのコンタクトケースはもはや以前ほどの重みを持っていないのかもしれないが、矢代はあれを再び手にした時、どんな反応を見せるだろう。
 

⑥「囀る」はあとどれくらい続くのか


 第48話を読んだ直後は、あと3~5年くらいかな、と漠然と考えていたが、第49話がまだ発表されていない上に、ヤクザパートだけでもだいぶかかりそうだから、完結までここから5~10年はかかると予想している。2030年頃?

 ヨネダ先生は7巻発売が予定されている頃のインタビューで「あと2~3巻で終わらせたい」とおっしゃっていたけれど(ダ・ヴィンチ 2020年7月)、おそらく長くなって全11-12巻くらいになるのではないだろうか。

 早く幸せな二人を見たい、でも「囀る」が終わって欲しくないというジレンマを抱えながら、続きを楽しみに待っている。

読んでくださった皆様へ


 今まで私の拙い感想、考察をお読みいただき、本当にありがとうございました!!

 全話レビューが終わりましたので、今後は「囀る」の最新話や単行本、映画などが発表された時に記事を書くと思います。

 これからもどうぞよろしくお願い致します。


おまけ

本音を言えば…


注意)「囀る」に関する批判的なことを一切聞きたくない方は、ここでストップしてください!


 私は1巻から6巻までの「囀る」が本当に大好きで、非の打ちどころのない素晴らしい作品だと思っているのですが、7巻以降の展開については、まだ受け入れられていません。

 先日、久しぶりに7巻を取り出して読んだ時、単行本があまりにも綺麗で驚きました。
 5巻や6巻は読み過ぎて表紙がはがれかけ、ずいぶん傷んでいるのに…。

 ああ、私は7巻が好きじゃないんだな、と改めて思いました。

 1~6巻では、ヤクザの暴力的な場面があったり、矢代が百目鬼にひどいことを言ったり、矢代と不特定多数の男や井波とのセックスシーンが入ったり、BL漫画として決して楽しい展開ばかりではありませんでしたが、所々に矢代と百目鬼の精神的あるいは肉体的な触れ合いがあって、私はキュンキュンしながら読むことができました。

 でも、7巻以降はそれがないのです。
 全体的に低調だな、と感じています。

 唯一、7巻第43話、お風呂場でふらついた矢代を百目鬼が支えた場面だけ、「あ!」と思いましたが、その後第44話では、百目鬼が矢代の髪を引っ張るシーン(私が最も許せない行為)が出てきますし、6巻までに感じていた純粋なときめきを感じることができないのです。

 やっぱり私は、百目鬼を愛しながらも突っ張っている(でも時々「肩貸せ」とか「膝枕してくんねーの」とか言って甘えてしまう)矢代と、罵られても蹴られても矢代についていくワンコ百目鬼の関係性が好きだったのかもしれません。

 いつか百目鬼の真意が明らかになれば、7巻以降の展開をまた違った目で見ることができるのかもしれませんが、正直第48話までは読んでいてつらいことの方が多く、「本誌を追うのをやめようかな」と思う方に共感してしまいます。

 ストーリーの甘い、辛い(からい、かつ、つらい)の絶妙なバランスが読者を引き付けると思うので、本音を言えば、今の展開はつら過ぎるのです…。

 早く矢代と百目鬼がいちゃつく姿を見て、癒されたいです。

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