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「囀る鳥は羽ばたかない」 6巻巻末描き下ろし 飛ぶ鳥は言葉を持たない

飛ぶ鳥は言葉を持たない


 わずか10ページの巻末描き下ろしに込められた意味は深い。
 この中で、七原は矢代について物語のキーポイントとなる発言をする。
 矢代との関わりをなくしたくない百目鬼は、これからも極道の世界で生きることを決意するのだった。



 怪我の治療を終えた矢代は、百目鬼のことを忘れた振りをして、関係を断ち切ると決めた。

「憶えてねぇ。誰のこと言ってんのか分かんねぇ。頭打ったせいじゃねぇの?」

 矢代のセリフが嘘だとわかっていても、七原と杉本は黙って顔を見合わせるだけだ。

 七原は百目鬼を病院の屋上に呼び出す。
 青空の下、久しぶりに顔を合わせた二人は互いの回復を喜ぶが、和やかなひと時はすぐに終わる。

「頭のことだけどよ」と、七原が切り出す。

「頭打って憶えてないって言ってんだわ。お前のこと」

 当然、百目鬼はショックを受ける。

 百目鬼は矢代に銃口を向けられた時のことを思い出す。
 矢代は百目鬼を引き離すために、容赦なく引き金を引いた。
(本心ではとてもつらかっただろうと私は思っている)
 

百目鬼「…嘘、ですよね」

 七原も百目鬼も、百目鬼を捨てるために矢代が記憶を失った振りをしているとわかっている。

「影山先生んとこで会った時からおかしかった」と七原が言うのは、七原たちが矢代と影山医院で合流した時のことだ。(5巻第28話)

七原「それに百目鬼の奴は何やってんすか!!」
矢代「あいつはもーいんんだよ」
七原「? もういいって何スか?」
矢代「捨ててきたらもういい

 七原は「それって…」と言いかけるが、影山が現れて会話は途切れる。
「あいつから連絡きても何も教えんなよー」と矢代が念を押す。

 この時、七原と杉本は、矢代と百目鬼の間に何かがあったことを察した。


七原「お前なあ、頭があんな下手くそな嘘つくのとか珍しいんだからな」

 百目鬼は傷ついて暗い表情をしている。
 そうまでして矢代は自分から離れたいのか…と落胆しているのだろう。

七原「どこまでやったか正直に言ってみろ」
百目鬼「言えません」
七原「まさか最後までしてねぇだろうな」
百目鬼「言えません」(=やりました)

「これでキッチリ足洗えよ」とカタギに戻るように諭す七原に、百目鬼は

「この世界にいなければ、頭との関わりがなくなってしまいます」

と答えるのだが、私にはまだ百目鬼の考えがわからない。

 確かに、いつも矢代の傍にいて、矢代を守り、役に立ちたいと思うなら極道の世界にいなければならないが、甘栗からこっそり矢代の情報を得てはいても、他の組に所属して4年間も矢代の前に姿すら見せない現状(7巻以降)のどこが「矢代と関わっている」のだろうか。

 こんなに長い間、矢代と接することもないのなら、カタギに戻って生活していても同じではないか。
 一体、この4年間、桜一家で百目鬼は何をしていたのか。
 7巻以降の百目鬼の行動や考えがわからない今の私は、こう思ってしまう。
 物語が進行したら、この疑問もきっと解決するのだろう。

 どこまでも矢代に拘る百目鬼に、七原は半ば呆れながらも、同情している。

 そして、この場面で七原は、矢代について非常に重要なことを言う。

「頭はよ、マジなやつダメたっつったろ?」
「俺の知る限り、特別な人間とかいたことねえし。基本人間嫌いなとこあるし」

(矢代はあんなに魅力的なのに、この時点で36歳、7巻以降は40歳になるまで、なんと誰とも付き合ったことがないのだ…。人間嫌いなのは幼少期に親を信じて頼ることができなかったという成育歴が大きく影響しているだろう)

「ガキン頃からヤってたって聞いたことあっけどよ。もしさ…、もしガキが、望まねえ形でんなことしてたんなら、そうじゃねえもんもねじ曲げられてそうなるかもしんねえよな

 ≪子供が望まない形で男とセックスさせられていたのなら、男とセックスするのが好きでなくても、男とセックスするようになる(そのことが好きになる)かもしれない≫

 この言葉を聞いて、百目鬼は自分とした後に矢代が涙を流したことを思い出す。
 矢代は本当は男とセックスするのが好きではないのだと百目鬼は気づいた。

「あの人にとって男とヤんのは、タバコみてえなモンなのかもな。やめたくてもやめらんねぇ

 矢代は男との暴力的なセックスに、タバコ(ニコチン)のように依存しているのではないかと。

 百目鬼の脳裏には、今まで矢代が自分だけに見せた様々な姿が浮かぶ。

 「男が好きなわけじゃねーとか言いながら、やっぱあんだよな。そういうの。ガッカリだわ」(1巻第3話)

「お前は、優しそうな普通のセックスしそうだから嫌だ」(1巻第3話)

「お前が可愛い。でも怖い」(5巻第23話)

「お前は、嫌だ」(5巻第24話)

「お前を、どうにもできない」(5巻第24話)

 なぜ百目鬼(ヨネダ先生)は、たくさんある矢代との会話からこの場面を選んだのか。そこがポイントだと思う。

 特に「お前は、嫌だ」と「お前を、どうにもできない」は、物語の時系列とは順番が入れ替わっている。

 ≪男(百目鬼)が好きなわけではない、男(百目鬼)とセックスしたくない≫という拒絶と、≪百目鬼が可愛い、好きだ≫という愛情。
 矢代の中の矛盾した感情が、最後の「お前を、どうにもできない」という混乱に収斂されているのではないかと私は考えている。

 ここで百目鬼は何かに気づき、驚いたような顔をしている。

 百目鬼は、矢代が男とセックスしたくてしているのではないこと、でも、もう自分ではそれをやめられなくなっていること、がわかったのではないかと思う。

 もしかしたら、≪矢代が自分に惹かれているかもしれない≫、ということにも。
 しかし、「矢代が自分を愛している」とまでは自覚していないだろう。
 本当は、百目鬼が傍にいたら、矢代はそれまでの自分でいられなくなるほど百目鬼を愛しているから別れようとしているのだが、百目鬼にそんなことがわかるはずもない。

 通常のマンガであれば、この場面で百目鬼のモノローグが入るので、百目鬼が何に気づき、これからどうしようと思っているのかがわかり、読者はこんなにも悩まなくていい。
 しかし、「囀る」では百目鬼の心情を説明する文字がないから、私たちは百目鬼の表情を頼りに、なんとか自分の想像力で物語を理解しようとする。
 ≪この時、百目鬼が何に気づいたのか≫には様々な解釈があるが、まだ答えはわからない。


「七原さん」

 寂しそうな表情の百目鬼がこの後なんと言ったのか、本編ではわからなった。
 ドラマCDではこう続く。

「わかりました。俺は、頭の前からいなくなればいいんですね」 

 6巻第35話で七原が「百目鬼も”わかりました”って諦めた顔してたな」と言ったのはこの場面のことだ。
「囀る」のドラマCDには時々、状況を補足するために本編にはないセリフが入っているので気を抜くことができない。


 夕暮れになって空が暗くなるまで、百目鬼は屋上のベンチに座ったまま考え込んでいた。
 松葉杖をつきながら歩き出し、階段を降りていく。
 何かを決意したような強く、鋭い眼差しで、行く先を見据えながら…。


 第34話で百目鬼が大空に羽ばたいていく鳥を窓から見つめるシーンには、清々しささえ感じた。
 もしこの場面で物語が終わるのならば、百目鬼はカタギに戻るのだろうと私は思った。

 しかし、「飛ぶ鳥は言葉を持たない」は、一転、暗闇に向かって百目鬼が降りていく場面で終わる。
 百目鬼がこれからも極道の世界に留まり、その闇の中で生きていくことを暗示しているかのようだ。

 この後、百目鬼は三角の元を訪れて、部下にしてほしいと再三頼むもののにべもなく断られ、見かねた天羽が百目鬼を綱川の所に連れて行く。
 仁姫の誘拐事件での活躍によって百目鬼は綱川に気に入られ、現在まで4年間、桜一家の組員として働いている。
 矢代との関わりを保つために「身も心も立派な極道になった」(7巻第42話)わけだが、果たして百目鬼の本当の目的は何なのだろうか。
 すべてが明らかになる時が楽しみだ。


 これで「囀る」第1話~第48話の全話レビューが終わりました。
 次回は今後の予想について書こうと思います。

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