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「囀る鳥は羽ばたかない」について 2巻第8話

 第7話と第8話は、物語全体にとって重要な回と言える。
 矢代の過去と内面の一端が読者に明かされ、百目鬼が矢代への想いを自覚し、二人の関係が変化していくターニングポイントとなる。

 第7話の終わりに誰もが予想した通り、映画館の前で矢代が銃で撃たれる。
 右腕と右脇腹に2発食らっても、矢代は動じることもなく

「おい兄ちゃん、まだ死んでねぇ…どうするよ…あ?」

と相手を煽る余裕すらある。
 3発目の銃弾が矢代の左肩をかすめる。
 こんな至近距離で外すなんてど素人かと思うような銃の腕だが、矢代を狙った殺し屋は、わざと急所を外すように命令されていたのだった。(3巻第13話)

「俺の命狙ってんだろ? だったら、ちゃんとタマ狙えよホラ…」

 矢代が殺し屋の腕を掴んで、銃口を自分の股間に向けさせたところに、上着を取って来た百目鬼が現れる。
 この場面の矢代は、3発も銃で撃たれたというのに、少しも動揺することなく、冷静で堂々としてかっこいいのだが、同時に、「別に死んでも構わない」と思っているように見えた。

 出血がひどく、意識を失っていく矢代の腕を自分のネクタイで止血しながら、百目鬼が矢代の体を抱きかかえる。

「嫌だ…っ、頭……、…嫌だ…っ」

 撃たれた矢代よりも、百目鬼の方がずっと動揺している。

 救急車内でかすかに意識を取り戻した矢代は、自分の傍らで震えながら祈るように座っている百目鬼を見て、

 ホントかわいー奴…

 と思う。

 朦朧とする矢白の脳裏には、過去の光景が浮かび上がる。

 矢代が養父に性的虐待を受けた過去が、ここで読者に明らかになる。
 今まで矢代の口から「そういうの芽生える前に父親にやられてたしなあ。あ、義理のな」(1巻第1話)、「おじさんも小さい頃、男の人にさんざん犯されちゃってね」(1巻第2話)と語られてはいたものの、それが具体的にどのようなものであったのか、読者にはわからなかった。

「可愛いなぁ、坊主は。可愛い奴だ。可愛い…」
「坊主…おじさんのコレ、気持ちいだろ?」

 狭い和室で小学生くらいの矢代が義父に後ろから犯されている。
 矢代は嫌がって泣いているのに、口に布を詰められていて声を出すこともできない。
 畳に滴り落ちる、男の白い精液と矢代の赤い血液。
 襖の隙間から、隣の部屋で眠っている母の背中が見える。
 幼い矢代は助けを求められない。
 肉体的にも精神的にも圧倒的な強者である大人が、家庭という密室の中で幼い子供を犯す。
 子供は逆らうことも、逃げることもできず、「おまえも気持ちいいだろう?」と共犯者になることを強いられる。
 多くの子供は、一番助けてほしいと思っている母親にすら、むしろ最も身近で大切な母親だからこそ、「信じてもらえなかったらどうしよう」「父親がこんなことをしていると知ったら母が傷つくのではないか」「自分が我慢すればいいんだ」と思って、打ち明けることができない。
 恐ろしいことに、矢代と同じような虐待を受けている子供は、現実に存在する。
 おそらく、私がこれを書いているこの瞬間にも、日本のどこかで苦しんでいる子供達が確かにいる。
「囀る」はBL漫画で、何度新宿に行っても矢代には会えないし、矢代や百目鬼のようなヤクザは現実には存在しないけれど、矢代(と葵)が受けた性的虐待だけは架空の出来事と捉えることができない。
 急に個人的な話で恐縮だが、私はこのような虐待に間接的に関わる仕事をしているので、このシーンを読む度にとてもつらくなり、何とかして矢代を助けに行きたくなる。
 ドラマCDでも映画でも、声が入るとより生々しくて、耳を塞ぎたくなるほどだった。

 読者の私がつらくて仕方がないのに、当事者である矢代は、虐待された過去から目を背けない。

ああ… なんてもん見せやがる
俺は 全部受け入れて生きてきた
何の憂いもない 誰のせいにもしていない
俺の人生は誰かのせいであってはならない

 とても潔く、強く、かっこいい。

 性的虐待を受けて傷ついたのは「義父のせい」なのに、矢代はそう思わない(ようにしている)。
 誰も助けてくれず、寂しくて孤独で痛かっただろうに。
 自分の人生が、≪誰かのせいでダメになった≫と考えるのは容易いし、事実そういうこともあるだろう。
 現代では「親ガチャ」という言葉があるが、親や生まれ育った家庭環境というものは、その人の人生に大きな影響を及ぼす。

 それでも矢代は、親を恨むこともなく(義父は恨んでいいと思うが)、「俺の人生は誰かのせいであってはならない」と断じることができるのだ。
 矢代のこういうところが魅力ではあるけれど、本当はこの虐待の傷は矢代の心の奥深くに残っていて、それが5巻第25話、読者が待ちに待った矢代と百目鬼のセックスシーンの最中に現れる。
 そして、矢代も読者もそれまでの陶酔を粉々に打ち砕かれ、まるで氷水を浴びせられたかのような気持ちにさせられるのだ。

 「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」のラストで、影山のコンタクトケースを握りしめ、一人夕陽の差す部屋で泣く矢代の姿に、象徴的なモノローグが重なる。

人間を好きになる孤独を知った
それが〝男″だという絶望も知った
俺は もう十分知った

 映画「The clouds gather」はこの場面で終わる。新垣さんの演技が素晴らしすぎて、声も出なかった。
「俺はもう十分知った」、≪だから、いつ死んでもいい≫と言っているように聞こえるのが悲しい。
 矢代がいつか、この孤独と絶望から抜け出すことを願っている。

 矢代は一命をとりとめ、病院で治療を受けることになる。

 せっかく一緒にいたのに用心棒の百目鬼が矢代を守れなかったので、七原にボコボコにされる。
 百目鬼は言い訳もせず、ただ殴られている。

 百目鬼「………全部、自分のせいです」

七原「てめぇがいつまでも宙ぶらりんだから、こんなことになったんじゃねぇのか?」
  「一本詰めろ。話はそれからだ」

 ヤクザのケジメとして、七原が百目鬼に指を詰めるように迫る。
 BL漫画とは思えない、シビアな展開に驚いた。ヤクザ映画や「ウシジマくん」の世界そのものだ。

 目の前に置かれた短刀を、百目鬼はためらいもなく握る。

そうだ。俺が悪い。
俺が頭を守れなかった。俺が弱いからいけない。
怖くはない。俺が怖いのは

 ≪矢代を失うこと≫

 百目鬼が左手の小指を詰めた時、矢代の部下たちと読者は、矢代のために極道で生きていく百目鬼の覚悟を知った。
 そして、おそらく百目鬼自身も、この時はっきりと自覚したのだろう。

…何でもします
鉄砲玉になれというならなります
だから

 ≪矢代の側にいたい≫と。


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