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#1 黄金の国に上陸。コロンブスの心境

広がる不安。拡大する感染者。

 2020年3月28日。今日の午前中に届いたヤンゴン日本人会からのメールニュースによれば、ミャンマーで新たに3名のコロナウイルス陽性患者が出たことが在ミャンマー日本大使館から発表になったそうだ。これでミャンマーでの感染者は8名になった。新たな3名の患者のうち、1名は過去14日間に海外渡航歴のないヤンゴン在住の60歳のミャンマー人女性でツアーガイドとしてフランス人旅行客に同行していたそうだ。
 これまの海外からの帰国者や旅行者、つまり海外で感染し、ミャンマーで発症した患者と異なり、ミャンマー国内で感染した初の患者となった。このニュースは「ミャンマーは暑いからウイルスは生きられない」という全く根拠のない通説を信じないまでも、心のどこか拠り所にしていたミャンマーで暮らす人たちに大きな衝撃を与えたことだろう。
 折しも、昨日、コロナ拡散防止への対応として、Tokyo Tomato Cafeが入居しているSan Yeik Nyein Ga Mone Pwintショッピングセンターの営業時間が短縮された。それを受けて、昨夜はスタッフ9人の勤務シフトを深夜までかかって組み直したばかりだ。「ヤンゴンにいるのが怖い。ティンジャン休暇の始まる前に田舎に帰りたい」と希望するスタッフもいたが、「ぎゅうぎゅう詰めのバスで長時間移動する方が危険だ。今はヤンゴンに留まれ」と説得した。しかし、こうなっては無理して彼らを留めるのは如何なものか?希望者は帰省させた方がいいのではないか?という思いが一日中、頭を巡っていた。

迫り来る営業自粛要請の危機

 夕方、メッセンジャーを使ってヤンゴンから電話がかかってきた。電話の主はTokyo Tomato Cafeの近所で「とんかつ」という名前のレストランを経営するミャンマー人の友人Win Min Tunさんだ。彼は日本で20年近く働いていたので日本語が堪能。日本人の思考様式もそれなりに理解している人である。ご近所の馴染みもあって、スタッフとの面談の通訳やお店の顧問のように色々と面倒を見てもらっている。良き相談相手であり、いろいろな情報をくれるありがたい存在である。
 「お店はこれからどうするんですか?」彼は心配して電話をくれたのだ。「とりあえずは営業を続けるしかないね。メニューは絞り込んだし、シフトも変えた」。「もしかしたら、レストランでの飲食は禁止になって、Take outとデリバリーだけの営業規制になるって噂もあるよ」「知ってる。facebookでそんな話を見た。もしそうなったら、営業は続けられないね」。
 デリバリーの代金は月末締めで翌月20日前後の支払いになる。そうなると、日銭収入がなくなるので、仕入れができない。たちまち、お店は資金ショートして立ちいかなる。
  「今は様子見るとしか言えないね」そう告げて僕は電話を切った。
 ほどなくしてメッセンジャーでお店から今日の営業報告が入る。本日の来店はミャンマー人のお客様が8人、欧米人が1人。計9人。お店の売上は32,200ks。デリバリーの売上は15,750ks。トータルで47,950ks。日本円で約3,400円。本日の支出は27,700ks。スタッフの給与は1日平均にすると約70,000ks。家賃光熱費は日当たり157,000ks。なので、今日だけをざっくり計算すると、206,750ks(約1万4500円)の赤字である。
 一週間ほど前から、ずっとこんな日が続いている。いったい、いつまでこの状態は続くのか?いくら赤字は慣れっこといっても、出口が見えないのは辛い。ましてや、今後の営業規制の噂もある。そして、僕はいま日本にいて、ミャンマーにはしばらく入国できない。あー、なんて日なんだ!

誰も待っていない地に1人で降り立つ

 2012年3月28日。8年前のちょうど今日、僕は初めてミャンマーを訪れた。バンコクを9時15分発のバンコク国際航空でヤンゴンへ。フライト時間は約1時間20分。タイとミャンマーでは時差が30分あるので、現地時間での到着は10時5分だった。
 飛行機を降りて、イミグレーションに向かう。現在は改築中の旧第2ターミナル。8年前はこのターミナルだけが国際線ターミナルだった。空港の到着ロビーとイミグレーションはグランドフロアー(日本式では1階)にあり、高い天井の吹き抜けになっていた。そして、空港の壁は外壁も含めて全てガラス張り。とても開放的で明るい空港だった。
 イミグレーションとロビーの間も透明な巨大なガラスの壁で仕切られていた。通路は1stフロアー(2階)にあり、そこからイミグレーションに降りるための長いエスカレーターがあった。エスカレーターに載ると、正面にロビーが見える。そして、目の前に広がる巨大なガラス壁にたくさんのミャンマー人がヤモリかイモリのようにべたーっとへばりついて、じっとこっちを見ている。彼らはきっと到着した客人を迎えに来ているのであろう。時折、何人かが僕の前後に人と手を振りながら笑って合図している。
 このエスカレーターがとにかく長い。1分、いやそんなに長くはないか?でも、20秒くらいはのっていたような気がする。その間、ずっと知人・客人を探すミャンマー人の熱い視線を浴び続けるのである。まるでサッカーの代表選手か有名アーティストになったかのような気分である。
 ざっと数えて、40〜50人はいただろうから、二十四の瞳どころか、百の瞳に見つめられる。また、一人一人の目力が強い。ガラス越しだから、余計にパワーを感じる。僕にとって、最初のミャンマーの印象(My First Impression of Myanmar)がこの無数の瞳であり、強烈に脳裏に焼き付いている。

初めて味わう人間関係の無重力状態と開放感

 ターミナルビルから一歩外に出ると、強烈な陽射しが、フラッシュを焚いたようにバシュッと照りつける。暑い。でも、暑さがバンコクとは少し違う。陽射しは強いけど、空気はカラッとしていて、身体にまとわりつくような暑さではない。どちらかと言えば、針で突かれたようなヒリヒリする感じの暑さだ。そして、何よりも空が広い。いまでもそうだが、ヤンゴン国際空港の正面には高い建物は全くなく、遠くまで視界が広がっている。うん、気持ちいい。
 そして、僕にはなんとも言えない達成感と充実感で身体中が満たされていた。というのも、この国に僕は誰一人として知り合いはいない。ホテルも予約していないので、待ってる人もいない。それどころか、僕はこの国のことをほとんど何も知らない。
 バンコクからのアポなし日帰りふらっと一人旅。この地に降り立つことだけが目的だったといっても過言ではない。だから、もう目標は達成された。「知ってる人が誰もいないって、なんて素敵なんだ」。全然寂しくなんかない。自由だ。僕はしばし、「人間関係の無重力状態」とも言える、なんとも言えない開放感を楽しんだ。この地に立つまで、この1週間、とにかくいろんな事件があった。様々な困難を切り抜けて実現した、ミャンマー初訪問である。
 あとはバンコクに帰る飛行機が出発するまでの時間を存分に楽しむだけ。とは言え、もちろんノープランである。あえて言えば、バンコクで知人に教えてもらった巨大な黄金の仏塔(のちにシュエダゴンパゴダと知るが当時は名前すら知らなかった)を見学するくらいである。

(明日に続く)




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