はじめに

 2020年3月24日。ついに、恐れていたことがミャンマー外務省から発表になった。
「 All foreign nationals traveling to Myanmar are required to present laboratory evidence of absence of COVID-19 infection issued no more than 72hours prior to the date of travel before boarding any airline to destined for Myanmar. They will be subject to a 14-days facility quarantine on their arrival in Myanmar.(ミャンマーに渡航するすべての外国人はミャンマー行きの航空機に搭乗する72時間前までに発行されたコビット19に感染していないという証明書の提示が義務付けられる。そして、ミャンマーに到着後、14日間、施設にて隔離される)」。

 つまり、実質、ミャンマーへの渡航・入国は不可能となった。この措置は、25日の午前0時より発行するとのことだ。
 もちろん、いつかこんな日が来ることは予想していたし、覚悟していた。だから、Thingyan(ティンジャン)と呼ばれる水祭りとそれに続く当地のお正月休み明けに予定していた次の渡航では、ANAの荷重制限いっぱい(23kg×3個口)の調味料や調理機器などとともに、持ち込み制限いっぱいの現金(10,000USD)を持って、ヤンゴンにわたるつもりだった。

 しかし、それは突然、訪れた。それまで、ミャンマーでは奇跡的にコロナウイルスの感染者はゼロだった。「ミャンマーは医療が発達していなくて、検査能力がないからゼロなんだ」「政府が感染者数を公表していないだけで、実はたくさんの感染者がいる。軍が極秘裏に隔離している」なんて噂がまことしやかに流布されていた。また、「隣国のラオスとともに中国と長い距離の国境を接しているミャンマーの感染者数ゼロは世界七不思議の一つ」とも揶揄されていた。

 前日の3月23日、ミャンマー初のコロナ感染者が2名、見つかった。アメリカとイギリスから帰国したミャンマー人がPCR検査で陽性と判明したのだ。その途端に、いわば国を閉じるに等しいこの措置である。正直、驚いた。
 予兆はあった。3月18日には、外国人に対して3月初旬から実施されていたインド国境に続き、中国、タイ、ラオスとの陸国境が封鎖された。20日には、翌日から4月30日まで、すべての外国人に対するe-visaとarrival visaの発給が停止され、中国、韓国に続いて、アメリカや欧州の感染者が拡大している国に14日以内に渡航歴のある人に14日間の隔離措置が発表になった。さらに、タイから帰国する出稼ぎ労働者に対して、自宅待機による2週間の隔離が義務付けられた。
 しかし、それらは人の往来が活発化するティンジャン休暇を睨んで、自国へのコロナ流入を防ぐ、必要最低限の措置に思えた。なぜなら、かつて世界最貧国という不名誉を過去に何度も授かり、未だ発展途上にあって、貿易は大幅な輸入超過。食料をはじめ、さなざまな物資を輸入に頼り、インフラや経済の様々な産業基盤を外国からの投資に依存しているこの国にとって、国を閉じることは死活問題だからである。少なくとも、日本とタイだけは最後まで門戸は開いたままだろうと少し楽観視していた。しかし、3月25日午前0時から、この門戸は固く閉ざされた。

椅子取りゲーム

 「ミャンマー人は世界一、椅子取りゲームが上手な国民だ」。雨期のはじめのとある日の朝、ヤンゴンでタクシーに乗っていて気づいたことだ。空がにわかに暗くなり、一滴、二滴、雨つぶが落ちてくる。すると、運転手は即座に全開の窓を閉め始める。僕もそれにつられて懸命にノブを回す。すると、バケツをひっくり返したような豪雨が容赦無く降り注ぐ。この間、ほんの数秒。少しでも、戸惑ったり、躊躇していると、あっという間にずぶ濡れになる。
 街中でも同じ光景が繰り広げられる。お店のスタッフは、即座に、表に出した椅子を店内にしまい、客は素早く店内に逃げ込む。市場では路上に広げた野菜や魚、肉を店主たちはあっという間に片付けて、建物の軒下に避難する。その手際の良さ、すばしっこさを思い出して、「もし、世界椅子取りゲーム選手権ってのがあったら、ミャンマーはずっと世界一だろうな」と思っている。
 そして、今回、コロナ騒動の中、その国民性を再び目の当たりすることになった。ある意味、あっぱれである。世界の状況を鑑みれば、賢明な措置だと思う。聞くところによれば、在ミャンマー日本大使館からは観光やビジネスで滞在中の在留邦人に対して、早期の帰国を推奨する通達が出されたそうである。ヤンゴンと成田を結ぶANAの直行便は連日、満席で価格も高騰していると聞く。現地はかなり混乱しているようだ。
 幸い、僕は18日に帰国し、今、渋谷の事務所でこれを書いている。しかし、ヤンゴンには2016年7月にオープンしたTokyo Tomato Cafeというお店がある。そこでは9人のミャンマー人スタッフが働いてくれている。このお店は自慢ではないが、オープン以来、先月(2020年2月)まで44ヶ月連続の赤字。今月も、あと数日残して、間違いなく赤字確定である。「ここまできたら、50ヶ月連続の高みを見てみたい」などと冗談交じりに嘯いていたが、どうやらそれも今回のコロナ騒動でほぼ確定だ。それどころか、先週から売上、来店客数が大幅に落ち込み、もはや風前の灯状態。来月は家賃はもちろん、給料も払えないかもしれない。まさに、創業以来の大ピンチである。
 正直、途方に暮れている。毎日、メッセンジャーでスタッフと連絡は取り合っている。幸いなのは、彼らはまだ比較的冷静で、パニックにはなっていないことだ。ショッピングセンターのいくつかの店は昨日から一時休業していると聞く。ただ、僕としては少ないとはいえ、来てくださるお客様の為にも、休業はしたくない。スタッフもそれをわかって努力してくれている。今、まさに経営者として僕自身の能力と覚悟が試されていると自覚している。
  「今、日本から彼らとお客様に対して何ができるのか?」毎日、それを考えては行動に移しているつもりだ。椅子取りゲーム第二ステージの音楽を注意深く聴きながら。
 そんな中、この機会にいままでのヤンゴンでの出来事を振り返って、まとめてみようと思い立った。それがこのノートを書きはじめた理由である。この8年間にわたる足跡。それは数々の椅子取りゲームの連続でもあった。とても多くの「まさか!」が連発され、自分でも笑ってしまうくらい、愉快な冒険であり、挑戦だった。もちろん、それはこの先もずっと続くのはいうまでもない。こんなことでゲームオーバーにはなりたくない。

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