もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第1話 仕事の仕方と学び方(その2)

 10年くらい前に流行った『もしドラ』を意識して書いた小説です。
 自分がよく行くスナックで行われていることを脚色して書きました。
 『もしドラ』と違って、テーマごとに違う話が展開する短編連作です。

※ ひとつ前の話→もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第1話 仕事の仕方と学び方

 次の日の7時半に店に集まったのは、反省会の席にいたマスター、ルカ、エリコの3人だった。ルカは、この訓練をすることを決めた席にいたし、店の中心的なメンバーなので、なんとなく来なければいけないような気がしてきてしまった。
「じゃあ、おれが沢田さんの役をやるので、まずはルカから」
 マスターは沢田さんの物マネをして、ほっぺを膨らませつつ手をぶらぶらさせる変なポーズをしながら言った。
「大登場おー、ぼくのこのポーズかっこいいでしょう」
「マスター、似てる。すごい。そっくり」
「感心している場合ではない。これは訓練だ。劇みたいにその場面の役になりきってやらないとだめだ。ちゃんとやろう。…ぼくのこのポーズかっこいいでしょう」
「変なポーズ」
「おい、こら、やる気があるのか」
「でも、ここで言いたいことを言っておけば、本人の前では言わないでもすむから、それはそれでいんじゃないでしょうか」
「それじゃあなんにもならない。わざとらしくない言い方になるように練習するのが目的だ。やり直し」
「はーい」
 ということでやり直した。
 再びマスターが沢田さんの変なポーズの物まねから始めた。
「ぼくのこのポーズ。かっこいいでしょう」
「カッコいい」
「うーんまあまあだな。どんどん練習しよう。今度はエリコだ」
 そんなふうにしてマスターの特訓は続いた。

 何十回も練習して、マスターは満足そうである。
「これだけ練習すれば大丈夫だ」
「でも、一人のお客さんだけのためにこんなに時間をかけて練習する必要あるのかしら」
 ルカは素朴な疑問を口にする。
「いや、典型的な変な人の対策を万全にしておけば、それが他のことにも応用がきく。今日はよく頑張った」
「でも、かえって欲求不満が心にたまって、本人を目の前にして本音を言ってしまいそう」
「拙者もそう思うのでござる」
 マスターは二人の顔をじっと見つめ、真剣な口調で言った。
「ちゃんと練習の成果を生かさないとだめだ。なんのために練習したんだ」
「はーい」
 二人は気の抜けたビールのような返事をした。
 ルカは、仕事とは言えなんでこんなことを練習しなければいけないのか少し疑問に思った。

 その日も、9時過ぎると店はだんだんと混んできた。
 そろそろ沢田さんが来る時間だ。
 ルカはどうも落ち着かない。それにしても変なことを練習させられたものだ。
 まあ、どうしても嫌だったら訓練に参加しなければすむことなのに参加したのだから、そこは、仕事熱心というか、自分が仕事が面白くなってきている証拠なのかもしれない。が、それにしてもマスターも変なことに真剣になる人だ。でも、変なことが、本当は大切なことなのかもしれない。
この店はわりと繁盛しているので、方向性は間違っていないのかもしれないが、さすがにあれはかなり極端なのではないか。
 ドアが開いた。が、別のお客さんだった。この方は50代くらいのやはり常連のお客さま。
(なんだ)
 とつぶやいたのは、心の中だけ。大きな声で「いらっしゃいませ」と言うことができた。
 5分くらいしたらまたドアが開き、背の高い若い男の子が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
 と反射的に言ったが、それはお客さんではなかった。氷屋さんの集金で、マスターがお金を払ってくれた。
「まいど」と元気に言ってから引き揚げて行った。
 そしてさらにその10分くらい後、またドアが開いた。
 待ちに待った、というわけでもないが、いよいよ沢田さんが登場。
 予想通り、「大登場おー」と言いながら、ほっぺを膨らませて手をぶらぶらさせ、いつも通り「ぼくのこのポーズかっこいいでしょう」と言った。
 ルカは思わず「カッコ悪い」といいそうになったが、なんとか思いとどまった。そして頑張って「カッコいい」と言うことができた。でも、明らかにわざとらしい言い方になっている。
(くそー、あれだけ練習させられては欲求不満がたまって「カッコ悪い」と言いそうになるに決まっているではないか)
 ルカは、心中穏やかではない。
「今日は、調子が悪いね。なんかけっこうわざとらしい言い方になっているよ」
「そうですか。気のせいでしょう。カッコいい―」
 今度は、なかなかいい言い方で言えたと思うが、相手に指摘されて言い直しているようではいけない。完全な大失敗だ。

 その日は店が2時半に終わり、「少しだけ反省会をしよう」ということになった。メンバーは昨日と同じ、マスター・ルカ・エリコの3人で、場所も昨日と同じ居酒屋。
「今日は失敗した。でもあれだけ練習させられると欲求不満がたまってかえってうまくいかなくなる」
 ルカは正直に不満をぶちまけた。
「いやー、まあ、仕方がない。今日はうまくいかなかったけど、練習したことは無駄じゃあない。ちゃんと練習してきたことは沢田さんにも伝わっているはずだ」
「むだでしょう」
「拙者もあまり意味がなかったと思うのでござる」
「いや、絶対むだじゃない。練習するとかえってできなくなる場合があるということがわかったのは大きな収穫だ。自分を見つめることができた」
「スナックのマスターが学校の先生みたいなことを言っている」
「うるさい。自分の言葉とか行動とか表情などに自覚的になる、自分に対して客観的な視点をもつ、ということ自体にも大きな意味があったんだ」
「なんだか禅問答みたいでござる」
「まー、しかし、少し違うやり方を工夫してみるのも一つの手かな。いろいろな学び方を試してみて、その結果がどうなのか検証することは大事だからな。まったくおんなじ場面を想定して練習してみる方法もあるけど、もっと一般的な意味で演技力を身につけるようにする方法もある。本日からは、演劇の練習を取り入れる。『劇団おしゃれ猫』結成」
「だれが入るの」
「もちろん、ここにいる二人は決定だ。ほかのみんなにもメールで知らせておく」
「それで、脚本とか小道具はどうするの」
「それは、各自持ち寄ることにしよう」
 というわけで、『劇団おしゃれ猫』なるものが結成されることになった。
 
 その日の夜7時半に店に集まったのも、例によってマスター・ルカ・エリコの3人だった。
「さあ、君たち、脚本は考えてきたかな」
 マスターはやけに張り切っている。
「もちろん」
「考えてきたでござる」
「じゃあ、ルカのやつから見せてもらおう」
 マスターはルカが書いて来た紙を受け取って読み始めた。

 昔々、あるところに、カメとカメをいじめている子供たちがいました。

「うーん、浦島太郎の話か、それじゃあ、まずカメの役と子どもの役と浦島太郎の役がいるな」
「マスターがカメでどうでしょうか。あとでカメが浦島太郎を背中に乗せることになります。私たちは、か弱い女性なので背中に人を乗せたりできません」
「賛成でござる」
「うーん、参ったな。俺がカメか…」
 と言いつつ、マスターの眼が輝き、口元が緩んでいる。
「…それで、浦島は誰がやるんだ」
「拙者ではいかがかな」
「エリコちゃんはボーイッシュだから、男の子の役にはちょうどいい。そうすると、残りは子どもね。私はカメをいじめている子どもの役」
「まあ、しょうがない。それで始めよう」
 マスターは、言うが早いか床に這いつくばり、「僕はカメですよ。わんわん。じゃあなかったカメは鳴かないのか。失敗失敗、大失敗」などと不気味な独り言をいいながらカメのようにはいはいを始めた。どう考えても「参ったな」「しょうがない」なんて思ってるようには思えない。楽しんでいるみたいだ。もしかしたらマスターはドMなのか?
 そう思ったルカは、「おい、カメ。どっから来た。開店前にスナックに勝手に入りこむとはいい度胸だ。カメのくせにずうずうしいにもほどがある。成敗してくれるわ」などといいながら、たまたま店のスミに置いてあった子供用の黄色いプラスチック製バットを持って来て、マスターの背中や頭をポカポカたたき始めた。
「イテテテ、もっといっぱいたたいて。あ―、気持ちがいい。いけね。俺は何を言っているのだ。早く―、浦島―、浦島、早く出てきて我を助けよ。イテテテ。さあ―、浦島―――。出番だ。出あえ出あえ―――」
 マスターはニヤニヤとにやけながら、セリフを棒読みした。
「あっ、そうだ。私の出番でござる。遅くなって悪かった。おい、そこの子ども、カメだって命のある同じ地球上の生き物だ。同じ地球にへばりついている仲間なのだ。弱いものいじめは卑怯でござる」
 エリコはそう言って、ルカの持っているプラスチック製バットを奪い、ルカの頭をポカポカと叩きまくった。
「やめろ。おい馬鹿もん。浦島はただ単にカメを助けるだけだ。イテテテ。浦島太郎が子どもの頭をたたくなんて脚本に出ていない。ちゃんと脚本に従うのだ。演劇の基本は脚本なのだ。イテテテ。ちゃんと脚本に―、脚本に従え――」
 ルカは、絶叫した。
 と、その時、ドアが開き何者かが店の中をのぞいた。
「まだ、開店していません。申し訳ありません。あと少ししたら開店します」
 マスターが床に這いつくばったまま、あわて気味にいつもの営業トークのしゃべり方で言うと、ドアが閉まった。
「まずい、今変なところを見られた。いけね、もう8時か、開店の準備を急ごう」
 というマスターの声を聞き、ルカとエリコは、あわててカラオケ・テレビの画面をつけたり、掃除機をかけたりして開店の準備を始めた。
「今、だれだった」
「拙者が見た記憶によればフッ君だったようでござる」
「ああ、フッ君か。フッ君だったら、女の子とばかり話して店のお客さん同士で話すことはないから、変な噂が広まることもない。ひと安心だ」
 フッ君というのは、30歳くらいで比較的早い時間によく来るお客さんだ。いつもキチンとしたスーツを着ている優男で、店の女の子としか話さない。職業は会計士をやっているらしい。
「でも、拙者たちが『さっきなにやってたんだ』なんて聞かれたらどうするのでござるか」
「まあ、『童心に帰ってバットを持って遊んでいたんだ』とかなんとか適当に答えておけばいい」
「わかったでござる」

※ 次の話→もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第1話 仕事の仕方と学び方(その3)

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