『ぼくは強迫性障害』で採用されなかった部分の原稿

 『ぼくは強迫性障害』という本を出版した時、編集の関係で出版された本から削られた部分があるので、それを公開します。
 確かに致命的に重要な部分ではなく、なければないで本として成立すると思うのですが、あったらあったで面白いと思う読者もいそうなので、そこはなかなか難しいところだったと思います。
 下記の原稿です。

 第2章 私の強迫性障害体験記
 ―私の症状はこんな感じでした―

 この章では、原則として子どもの頃から時間を追って自分の体験をたどっていきます。治療に関することは、原則として第3章にゆずり、どんな症状があってどんなことに困っていたのかを中心に書きます。
 できるだけ強迫性障害という病気と関係のあることにしぼって書くようにしますが、あまりにもしぼりすぎるとわけがわからなくなってしまいそう。なので、直接関係がないこともある程度は出てくるかもしれません。
 なお、この章では、強迫観念のことを「こだわり君」と書きます。なんとなく自分の実感にぴったりくる名称なので、このように呼ぶことにしました。

1 こだわり君の登場以前 
 気違い踊りをやっていた頃
 小・中・高の学生時代とかそれ以前には、まだ強迫性障害は発症していなかったと思います。
 でも、「もしかしたら病気と全然関係がないとは言い切れないかも」と思うことがあるのでそれについて書いていきます。
 私の目から見ると自分の父はかなり神経質で怒りっぽく、自分の父親をこんなふうに書くとバチがあたりそうですが、今ふうに言えば「ムダに怖い人」だったかもしれません。自分の思いどおりにならないとイライラする度合いが普通の人よりも大きかったように思います。「なんだかおっかないけど、何を怒っているんだろう。変だなあ」と子ども心にも不思議に思うことが時々ありました。
 これも、自分の強迫性障害発症と多少は関係がありそうな感じがしています。
 もちろん、科学的に証明できるようなことではないのですが、ネットで検索してみると、「厳格な親に育てられるとこの病気にかかりやすくなる」という趣旨の記述を見ることができます。

 それと、これはさらに無関係なことかもしれませんが、小学校5年の頃によく友だち2人と3人組で体育館の裏に行き「気違い踊り」というのをやっていました。今考えてみると、なんであんな変なことをしていたのか不思議なのですが、そのときは面白がってやっていたのでしょう。
 「わー、気違い気違い」と言いながら、目を大きく見開き手足をへんなふうに動かす踊りでした。「誰々君の方が気違いじみていていい」とかなんとか、お互いの踊りを批評しあったものです。
 また、「気違いの歌」という歌謡曲の替え歌を3人で考えて、それを休み時間などに歌っていました。「気違いになあれば、気違いに戻る」とかいう変な歌詞でした。ちなみにその歌は今でもだいたい覚えていて、家の近くのスナックでたまに歌うのですが、変な歌なので途中で止められたりします。
 いわゆる気違いといった場合には重度の統合失調症を指す場合が多いようなので、強迫性障害という病気はちょっと違うかもしれませんが、なにやら現在を予言しているような感じではあります。

 もう一つ印象に残っていることは、やはり小学校5年頃の図工の時間に「将来なりたいものを書く」というテーマで何か書くことになった時、乞食になる絵を描いたことがありました。これは、もちろん自分一人だけで、ほかの人は弁護士とかプロ野球選手とかもっと普通のことを描いていたと思います。
 なんでそんな絵を描いたのか、もちろん当たるも八卦当たらぬも八卦の推測をすることしかできないのですが。自分の父親が公務員で、家にいるとき仕事が面白くなさそうにしていたことと関係があるのかもしれません。「宮仕えではない自由な立場への憧れを表した」絵と言えなくもないと思います。
 そして、当然というべきか、その絵を描いた私は教師から怒られました。
 「図工というのは、うまい絵を描くのが目的なのに、絵の内容によって怒られるとは、納得がいかない」「道徳の時間ではなく図工の時間じゃないか」と子ども心に思ったものです。

 ところで、こうしたことを、最近実家に帰った時に母親に話すことがあります。
 そうすると、「確かに、なんだか気違いとか言っていたと思う。あれは嫌だった」「乞食の絵のこともなんとなく覚えている。『もっとなんとかならないかな』と思っていた」などと言われます。
 そう言われれば確かにそうなのでしょう。
 この話は、だいたいこの程度で終わるのですが、以前はこういう話を親としたことがないのに、病気がよくなってきたらするようになりました。また、こういう話を親とすることで、多少病気がよくなっていくような気がします。
 あまり、知的に考察し断定的に結論を出すことができるようなことでもないし、意図的に治療に役立てることができる種類のことでもありませんが、こうしたことも意外と大切なのかもしれません。
 それと、父は子供の頃、普段は神経質で怖い人だったのですが、酒を飲むと面白い人に変身し「うっちっちっちっちっち、うっちっちっちっち」というわざとらしい変な笑い方をする人でした。
 最近私は、なぜか、家の近くの飲み屋で父と同じような「うっちっちっちっち」という笑い方をするようになってきました。そうすると、なぜかいい気分になるし、病気がよくなったことを実感できます。
 客観的に証明できることでもないのですが、こういったことを考えてみると私の強迫性障害は、「親との関係性」にも原因があるような気もします。
 パーソナリティ障害や愛着障害などは、親との関係が大きな要因であると言われることが多いようですが、強迫性障害にも似ている要素があるのかもしれません。

※ 次の話:『ぼくは強迫性障害』で採用されなかった部分の原稿(その2)

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