【創立70周年記念企画】エッセイ「東京創元社、私の一冊」その6:「フロスト警部の男気に惚れた!」高野秀行
東京創元社では創立70周年を記念して、全国の書店様で2024年4月と7月、そして11月の3回「創立70周年フェア」を開催します。そのうち7月のフェアでは『創立70周年記念小冊子』という文庫本サイズのブックレットを作成し、配布しました(2024年10月現在、小冊子の配布は終了しております)。
その中で「東京創元社、私の一冊」というテーマで小説家、編集者、声優、ライター、詩人、歌人等、各方面で活躍される総勢15名の皆様に小社で刊行している書籍を1冊お選びいただき、その本にまつわるエッセイを執筆いただきました。Web東京創元社マガジンでは、そのエッセイをおひとりずつご紹介させていただきます。
「フロスト警部の男気に惚れた!」
高野秀行(たかの・ひでゆき/ノンフィクション作家)
『クリスマスのフロスト』R・D・ウィングフィールド/芹澤恵訳(創元推理文庫)
現実の生活でも「謎」が三度の飯より好きな私は当然ミステリ小説も好き。そして、これまで読んできたミステリの中で最も愛しているのはR・D・ウィングフィールドのジャック・フロスト警部シリーズである。
最初に第一作の『クリスマスのフロスト』を読んでその破天荒なユーモアとプロットの超絶的緻密さに衝撃を受け、急いで第二作『フロスト日和』を読破。しかし、その時点ではまだ第三作以降の作品が翻訳されていなかった。いてもたってもいられず、原書のペーパーバックを買い求めた。フロストシリーズは英語の原文でもとてもリズムがいいし、ダジャレもわかりやすいという利点などもあり、残りの長篇四作をさして時間をかけずに読んでしまった。全部読んでしまうと「フロストロス」になり、邦訳で既読だった初期の二作も原書で再読した。さらにその後もシリーズを通算三回は読み直していると思う。
このシリーズは何がそれほどまで魅力的なのか。まず警部の下品かつ愉快なジョークやドジぶり、それから周囲が警部のデタラメぶりに振り回されるさまが笑える。常に三つ以上の事件が同時進行していき、思いがけない場面で伏線が回収されるのも快感だ。そして最後には謎解きの醍醐味をたっぷりと味わえる。でもそれだけではない。
ドタバタ劇でありつつ、決してコージーミステリの軽さに流れない。事件自体は陰惨で、たいてい少年少女の連続殺人や連続レイプ殺人である。さらに特異なのは、謎解きにさして関係がないのに、検屍のシーンと遺族に死体発見の報告に行くシーンが丹念に描かれること。フロストシリーズの基盤は意外にもリアリズムなのだ。
しかも行くのはいつも警部本人。「いいよ、おれが行くから」と誰もが嫌がる役目を引き受ける。特に遺族への報告は悲惨かつみじめだ。当然ながら家族は悲嘆に暮れ、ときには怒りの矛先がフロストに向けられる。でも警部は黙って頭を垂れ、ただただ自分の無力を深く嘆く。そしてこの無念さが次なる警部の暴走につながるというありえない連鎖。
フロストシリーズはここが本当に凄いと思う。ミステリ史上、こんなにデタラメで、こんなに男気のある探偵や刑事はいない。私なんぞはいつも「警部、俺はどこまでもついていきますよ!」とデントン署に赴任した新米刑事みたいな気持ちになってしまうのである。
* * *
■高野秀行(たかの・ひでゆき)
ノンフィクション作家。1966年、東京都生まれ。1989年、早稲田大学探検部時代の探検行を著した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。2013年刊の『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞と第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。そのほかの著書に『アヘン王国潜入記』『ワセダ三畳青春記』『謎のアジア納豆』『語学の天才まで一億光年』などがある。
本記事は東京創元社編集部編『東京創元社 創立70周年記念小冊子』に掲載されたエッセイ「東京創元社、私の一冊」の一部を転載したものです。