大切なクリエイターにはお金を落とそう

今回は「自分の大切な文化を守るためには、好きなクリエイターさんにはお金を落とそう」という筆者の考え方の話。

近年サブスク的な部分で文化に触れるコトができるような体勢が整備されてきた。さして高くもない金額を払えば、色々な音楽を聞き放題って、消費者側から見ればほんとにありがたいサービスで、ある意味気軽に様々な文化に触れるコトができるようになったのである。なんなら広告を見れば、無料で音楽を楽しめたりしてしまう。

このサブスク化って文化を発展させているようで、実は危険な一面があるなぁっと筆者としては思っている。

「気軽に」って言葉はライトユーザーを増やすにはとても素敵なコトなのだが、本当に価値のある文化を守っていくには諸刃の剣だったりする様に思うのだ。

「ライトユーザー向けコンテンツ」が評価されやすい時代

音楽なんかでは傾向が顕著だと思うのだが、再生回数が評価に直結するような風潮が強くなってきた。「YouTubeで○○億回再生」とか「TikTokで話題の曲」とかが宣伝文句として一般化している。

この評価方法って基本的にはライトユーザーが適当にポチッしやすいようなコンテンツに有利に働く。スマホ片手にぽちぽちしてる人のほとんどはライトユーザーな訳で、大衆向けエンターテインメントがより評価されやすくなる構造になりやすいわけだ。ちょっと極端な例だが「disk union」でレコードを選んでる客層と、スマホ片手にぽちぽちしてる客層と、二分するなら明らかに後者が影響力が強くなってきている世の中ではある。

こうなってくると、もう「アートよりエンタメ」な作品ばかりが再生産されやすくなるワケで、ライトユーザーが増えるというプラスの側面と同時に、ヘビィユーザーの影響力が下がるという筆者的にはマイナスとしか思えない側面がある。

「ちょっと気になって」と「本気の好き」は同じじゃない。

「ちょっと気になって」と「本気の好き」の区別がつかないのも、サブスク的なダウンロードし放題の危険さの一つだと思う。いくらダウンロードしても同額のサービスは「ちょっと気になって」でダウンロードができる気軽さが武器で、アルバム1枚買うのに3000円かかった時代とは「購入」の意味合いが大きく変わっている。

作り手側から見ると「ちょっと気になって」と「本気の好き」は同じではないだろう。ただダウンロード数からその違いなんて判断できない。作り手にだって生活がある以上、「ちょっと気になって」を取りにいく気持ちにだってなるだろう。

ただ筆者的には「ちょっと気になって優先」が積み重なっていた先の音楽文化に明るい未来が見いだせない。大衆受けする量産型音楽ばかりの世の中って面白いのだろうか。

大切なクリエイターにはお金を落とそう

だから筆者は好きなアーティストにはダウンロードだけじゃなく、お金を落とす。音楽がサブスク化している現代だからこそ、ライブに行くし、グッズを買うし、大切なクリエイターにはお金を落とそう。それが彼らの生活費になり、次の作品を生み出すことにつながるのだ。

とくにインディーズのアーティストの場合、ライブとグッズの売り上げは活動継続期間と直結する。「いつも聴いているんです」よりも「CDもってるしライブも行ったことあります」が彼らの新曲を生み出すことにつながる。

筆者は常に思っている。ライブやグッズは「ただダウンロードだけしてる曲よりも、このアーティストの方が優れていると思う」という意思表明であると。

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