【エッセイ】とかく暑がりは生きづらい
暑い、、、この季節の悩みといえばそう、、、暑いのだ。
筆者は生粋の暑がりで、他人様の体感と季節が1つ位ずれている。筆者クラスの暑がりともなると、年がら年中暑さと戦っている。夏が地獄なのはもちろんのコトだが、春や秋も他人様の夏クラスに汗をかくし、冬は冬で暖房との戦いが待っている。文明が発展するのはいいコトだが、せっかくの気持ちのいい季節まで暑くなるのは、筆者からすれば恐怖でしかない。暑さとの戦い方は365日続くのだ。
暑がりが戦わなければならない相手がもうひとつある。世間の目だ。
「長袖って寒くて着るんじゃなくて、世間の目を気にして着ることおおいよね」は暑がり仲間の共通認識。体感気温的には半袖シャツで過ごしたいのに、世間からの奇異の目を避けるために長袖を着る季節っていうのがあるのだ。今の季節はまさにそう。シャツの袖をまくって過ごしたいが、周りがまだまだコートを着ているのを見ると、しぶしぶジャケットを羽織るしかない、、、、春先はそんな季節なのだ。
しかもこの時期の室内は暖房もまだまだ残っていて、暖房と世間の目のダブルパンチ、僕らはいつだって汗だくだ。
しかも昨今はコロナのせいで、体温が高い=悪に近い図式が出来上がっていて、この季節に汗をかいてるだけで疑いの眼差しが向けられる。代謝がいいんだから、お主らよりは健康じゃっと言いたくなるコトもしばしばある。
寒がりは厚着をするなりヒートテックを着るなりの対応策がある。感覚的には比較的に市民権を得ている気もする。暑がりはどうだろうか、全裸になろうと暑いものは暑い、対応策に限界があるのだ。しかも薄着ある時の奇異の目は、まだまだ市民権を得られていないコトを表している。
とかく暑がりは生きづらい。そんなことを汗だくで歩きながら考えた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?