TOKYO RABBIT RECORDSやってます!

noteがええと色んなところで聞くので、ブログみたいな感覚で書いてみようと思いました。

で、書くなら音楽の仕事をしているので、今、僕が体感してきた音楽の世界の話を思いつく順にして行こうかなと思います。

まず音楽業界!と言えば、レコード会社!って感じですが、レコードなんてあんまり今普及していないのに、その名前のまま”レコード会社”って呼ばれ続けているシュールな分野の会社だなーと思いつつも、やっぱり音楽家を目指している人の集合体なのでとてもエネルギーが集まっていて、活力を与えられるとか、競争があったり良い部分が沢山ある組織集団なのだと思います。そして、ミュージシャン目指している人なら、最初はやっぱり何かに属すことで安心をするというか、自信にも繋がる。だから、僕もユニバーサルミュージックパブリッシングという、これは僕は作家なので音楽出版社(音楽著作権を管理する会社)なのですが、そこの専属作家という肩書きを貰って、契約書を交わし、マネージメントをお任せしてひたすら曲を書き続ける、そんな日々を3年弱過ごしたこともありました。

曲を書き続ける日々の中で、感じた問題点は、大きく二つ。一つは、何故肝心な音楽を作っている作家やミュージシャンが頂く対価に対して、そこで働く勿論サラリーマンとして出勤しなくてはならないし時間的拘束はあるにせよスタッフは、大手だとまあまあ良い待遇なわけです。一戸建てのローンなんかも組めちゃって完済していたり。それを見て、え?もう少し僕や僕の後輩ミュージシャンの将来を考えて、助けて頂くことってできないのでしょうか?と(笑)これが本音でした。つまり、パワーバランスが悪かった。なので、これでは音楽が育たないと正直感じました。

もう一つは、音楽をビジネス化することにおいて一番必要と思ったことは、やっぱりその音楽を知らしめる発信力であって、会社に求める一番のことは宣伝力なのにも関わらず財布の紐は割ときつく、それは差し置いてクリエイティブの方面で自分の力を発揮しようとするスタッフがとても多かったということでした。ただ、ものを作るという分野においては、やはり自分の周りのフリーで戦っているクリエイターと比べてしまうと「ん?」って思ってしまう的外れな見解も多く、やはり創作とはどこまでも能力、才能の世界だとも同時に知りました。ただ人はモノを作ることが大好きです。そりゃ楽しいですから!そして、会社に守られたそのスタッフは力を付けているので、モノを作りたがるんですね。クリエイティブを任せて貰えない。これでは、結果、勝てないと感じました。

なので、大きな看板を捨てて、僕は小さなTOKYO RABBIT RECORDSという手作りレーベルを設立することにしました。

しかし、作りました!と言っても、どうすんねん!?そもそもレーベルって何じゃ?と。音楽著作権って何じゃ?と。勿論、ゼロから(笑)いつもそんな感じです。でも、まあ、ワクワクしていたし、楽しく過ごしていれば何とかなるもんだろ!と。とりあえず音楽ってどうやって売るんだろう?とまず思ったので、レコード会社の宣伝部の就職面接を片っぱしから受けました。レコード会社に潜り込んでなる早でノウハウを覚えてやろうと思ったんですね(笑)コソ泥の考え方です。で、面接で「僕は曲を書いて今までやってきました!」と。「でも、音楽がどう売られているかは知らないので知りたい」と。「これからは宣伝に特化して生きてゆきます!」とw兎に角、会社に入れろと(笑)俯瞰してみると、今書きながら、ふざけた奴だと思われたんだろうなーと解ってくるのですが・・・その時は、もう情熱だけで突っ走っておりました。それでキングレコードとか最終面接くらいまで行ったんだけどやっぱりバレたんだろうね!落ちまして・・・(笑)SONYの宣伝部の人はちょっとthe男みたいな体育会系の感じだったので、女の腐ったみたいな性格した僕は多分合わないだろうと落とされて・・・。フォーライフミュージックも落ちて、、、ただ、フォーライフに関しては昔、僕はBARでとあるおっさんに絡まれて号泣したことがあり、それが元フォーライフの杏里さんのプロデュースもしていた佐野さんというおっさんだったのだが(その話は長いからまた今度)共通の知り合いがいたお陰で、世間話がとても弾んだ。あと、宇田川さんという元フォーライフの社員で吉田拓郎さんの事務所の社長をしていたおじ様にも可愛がって貰って、僕の作家デビュー曲だった「月に照らされて」の歌詞なんかは、当時支離滅裂に時制が行き来してたのだが「お前これめちゃくちゃだな!」と相当直してもらって、それで平原綾香さんが選んでくれたんだから、まあ「ツキに照らされて」つまり、ツキにツキまくっていたわけだ(笑)そんな思い出話も弾み、あ、勿論不合格だったのだが、来週も餃子を食べに行く村松さんというおじさんと仲良くなったのだった。

そして、村松さんに助けてもらいながら、TOKYO RABBIT RECORDSが始まったのでした。

続く。。。


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