今日マチ子先生インタビュー【センネン画報/みかこさん/アノネ、】
とある日常の一場面を、瑞々しいタッチで切り取る作品。一方で、個人ではどうにもならない暴力の渦を描いた「戦争シリーズ」と称される作品。今日マチ子先生は「叙情と残酷」という、一見相反するテーマを描き続けてきた漫画家です。ご多忙の中、たっぷりと語って頂いた内容を、余すことなくお伝えします。
美大のご出身とのことですが、絵は小さい頃から描かれていたのでしょうか?
今日マチ子先生(以下敬称略):美大を目指したのは中学3年生からなんですけど、特に何になろうと思っていたわけではなく、「アートの勉強をしたい、美大に行ってアーティストになれれば」、とぼんやりと考えながら、美大受験を決めました。当時からイラストや漫画もどきを描くのは好きでしたけど、漫画も人から勧められたのを読むくらいでとりわけ好きというわけでもなかったし、熱心に描いていたわけではありませんでした。
高校時代はどのような活動を?
今日:高校時代は美大予備校に通い、ひたすらデッサンをして画力をつける毎日でした。それで浪人することもなく、無事に大学に受かりました。学科自体はいわゆる現代アートをやるような学科でした。自分はその中でも、ミニコミ――今でいうフリーペーパーに近いものでしょうか――それを在学中ずっと作っていました。大学の課題も、メディア研究という名目でそのミニコミ誌を提出していました。その紙面で描いていたのが、文章とイラストだったので、今の基礎になっているのかなと思っています。
いわゆるフリーペーパーといっても、ちゃんと何号分かたまってから、まとめて本にして売っていたりもしていたので、そのときから絵と文章でお金を稼ぐというのは考えていました。
記事のネタ探しはどのようにされていたのでしょうか?
今日:出来るだけ色んなところに出かけるようにしていました。在学中に、都築響一さん(写真家でフリーの編集者)のもとへインターンに行っていたことがあるんです。期間は短かったんですけど、都築さんの、必ずその場所に取材に行ってとことん取材しまくる、記事も文字数が溢れるくらいいっぱい書く、という姿勢に影響を受けている部分はあります。自分も、その場所に行って自分で考えたことを書こうと心がけていました。
『Juicy Fruits』では「ガーリー」というのがテーマだったので、そういう味つけを加えつつ、かなり積極的に取材をしていましたね。土日は大抵、取材に行くようにしていました。
実際にその場所に足を運ぶというのは、今の漫画制作にも活かされているのでしょうか。
今日:そうですね、モデルにする場所があるときは今でも必ずそこに取材に行ってから描くようにしています。
そのミニコミ誌『Juicy Fruits』は、通算200号まで出されたとか。そこまで継続して続けられた秘訣は何だったのでしょうか?
今日:もちろん自分も、色々手を出してみた中で、継続して出来なかったこともたくさんあります。その中で続いたのが、ミニコミだったというだけですね。ただ、10回くらい続いてしまえば、あとは続けるしかないというか。ファンの方もついてくれるので、その人たちのためにも描き続けなければならなくなります。それに、認知されるためには続けていくことしかないので、ひたすらそこだけは、粘り強く頑張ろうと思っていました。
『Juicy Fruits』が200号を迎えてから、『センネン画報』を立ち上げるまでの経緯は?
今日:『Juicy Fruits』は大学を卒業したぐらいでやめて、しばらくライターをやったりイラストレーターをやったり、何が自分に向いているのかと、模索していました。その中で、バイト先の仕事として描いた漫画が読者からの反響が良かったというのもあり、自分でもしっかりと描いてみたいなと思い、そこから『センネン画報』をスタートしました。
そこから、漫画という表現手段を使うようになったわけですね。
今日:ただ、今まで漫画もそれほど読んでいないし、とりわけ好きだったわけでもなかったので、描くとオリジナルというか、不思議な表現になっていたのが、千枚二千枚と描いている内に、今の形になっていきました。
『センネン画報』では途中、作風が変わったのに合わせて、絵柄もそれまでとはがらっと変わって行きました。意識して変えたところがあるのでしょうか?
今日:むしろ『センネン画報』の初期の頃は、下手くそ風に見せるのが好きで、わざと面白漫画風に描いていたのがあります。ただ途中からそういう気取りが段々つまらなくなってしまって、自分にとって一番ふつうで描きやすいように描いているのが、今の絵柄になります。
『センネン画報』でも、継続して描き続けていったことが、人気を獲得していくきっかけになったのでしょうか。
今日:そうですね、認知されるというのに合わせて、自分の力が次第についていきます。やめてしまったらそうはならなかったと思います。同じことのように見えても、繰り返すことで、ブラッシュアップされていくことが非常に多かったです。
継続して作品を出し続けるというのは、漫画家志望者にとっては、乗り越えないといけない大きな壁の一つなような気がします。
今日:ただ、何事も継続しないと成就しないので、やめてしまうということは、その人には向いていなかったか、向いていないと言わないまでも、まだその時期ではなかっただけだと思います。別に続けられなかったことを悔やむ必要はないんですけど、一度続けられたことは大事にした方が良いでしょうね。
継続し続けた結果が、ほぼ日漫画大賞や、メディア芸術祭にて07・08年の2年連続審査委員会推薦作品(10年にも選考)の選出に繋がっていくのでしょうか。ちなみに、受賞されたときのお気持ちは?
今日:どうなんでしょうね、誰かに褒められるためにやっていた訳でもなかったので、思いがけないごほうびをいただけたような気持ちです。
受賞されたことで環境に変化は?
今日:その当時はウェブ漫画というもの自体が珍しかったせいか、意外と何もなくて、単行本化するまでにはもうちょっと時間があった気がします。
少し変わったことといえば、私のやっていることに対して世間の見る目が変わったというか、受賞したということで、今まで落書きだと思っていた人が「これは漫画である」という風に思ってくれるようになったことかもしれません。
ある意味、日の目を見たというか。
今日:自分で言うのはおこがましいかもしれませんが、ネットでの評判はそれなりにありまして、受賞するよりも先に、耳の早い人達からウェブ漫画でのお仕事が来ていました。なので、受賞は本当にあとからついてきたというか……。
『センネン画報』が書籍化された後は、紙の雑誌に活動の場をシフトされています。
今日:『センネン画報』は漫画である、と言ってくれる人が多くなり、そうすると私もいわゆる漫画という表現に興味が出てきて、ストーリーものを描きたいと思うようになりました。私の中では、『センネン画報』は完全に昔の作品なのですが、『センネン画報』のイメージが強すぎて、キラキラした青春を描く、いうなれば「オシャレな漫画」を描く人、みたいにしか捉えられなかったのがすごく悔しくて。そこから、本当はここまで出来るんだよというのを見せるためにも、最近はストーリーの方にも力を入れるようになりました。
今お使いになっている画材は?
今日:ミリペンですね。以前はボールペンで描いていたんですが、紙の目に詰まってしまうストレスが大きいし疲れるし……。おまけにミリペンでも同じ線が出せたので、今は変えてしまいました。
フリーハンドで描かれたコマが特徴的だと思うのですが、なぜこのスタイルにしたのでしょうか。
今日:なぜと聞かれても、「これが一番、絵とのバランス良いから」としか言えないですね。
フリーハンドにすると、「優しさ」みたいな部分が強調されるので、戦争とかの場合は枠をちゃんと引くようにしています。
カラーのときの色塗りは、ほとんどがコピックでしょうか。
今日:それにもたいした理由があるわけでもなく、中学生ぐらいに買って以来、なんとなく買い足していって、家に一番たくさんある画材がコピックになってしまったというのと、描きやすいという理由で、今もコピックを使っています。本当は、コピックは退色しやすいので、別のカラーインクを使った方がいいんですけど、とにかく今は手早く仕上げないといけないので、色はコピックです。
現在複数の連載をお持ちですが、作業の効率は重要なのでしょうか?
今日:最近特にそうなんですけど、ストーリーを重視して描いているところがあるので、絵に時間をかけるよりは、ストーリーを練ることに時間をかけたいと思っています。
今はストーリーにかける時間が一番多いのでしょうか。
今日:そうですね、物語全体の中での1話分というのを考えたいのですが、急いで話を作ると、どうしても伏線とかが張れなくなってきますし。机の前に座っているよりも、むしろ日常生活の中でずっとストーリーを考えている時間の方が長いかもしれません。
確かに絵柄も非常にシンプルで、効率の良い描き方ですよね。一方で、少ない線でディティールをきちんと捉えていくところから、画力の高さを感じます。
今日:いっぱい描きこんでいるのが上手いと思われがちですけど、私の場合はそうは思わないですね。全部細かく描くというのが、必ずしも自分のやりたいことと合っているわけではないので。美大の教育を受けているので、いわゆるデッサンとか、ちゃんと描こうと思えば正確に描くこともできるんですよ(笑) 漫画のうまさとは、いかにデフォルメしていくかというところだと思っています。ただ、下手なままデフォルメしていっても見づらい絵になっていってしまうので、その後ろにちゃんと物を見たりデッサンしたりという地道な訓練が入っていないといけないんです。そこは自分でも気をつけるようにしています。
日常のきらめき―『みかこさん』を中心に
ここからは、いわゆる「物語」について、『みかこさん』に代表されるような日常がベースの話と、現在精力的に取り組まれている「戦争シリーズ」の2つに分けてお聞きしていきます。
まずは『みかこさん』を中心に。『みかこさん』では、みかこさんが赤、緑川君が文字通り緑というテーマカラーがありますが、そのようなギミックを取り入れた理由は?
今日:そもそもがウェブでの連載かつカラー漫画というお話だったので、何かカラーとしての仕掛けがあればいいなと思いまして。それ以外にもカラーならではの表現というのはこだわっています。
カラーと白黒漫画では、描いているときの意識の違いはありますか?
今日:カラーのときは、色が持つ情報量が多いので、ページ1枚あたりの読む時間が白黒のときよりも長いと私は思っています。たとえば『みかこさん』は4ページですけど、カラーなので普通のモノクロ24ページと同じくらいの時間をかけて読めるようなテンポになるようにしています。話の流れも、一直線に進むのではなく、出来るだけひと呼吸置くように心がけていますね。
毎回、日常のアイテムがモチーフとして上手く利用されています。そういったモチーフを、どうやって見つけてくるのでしょうか。
今日:毎回モチーフとなるものを使う、というのは連載が始まる前から決めていました。ただ、毎週見つけるのがかなり大変で苦労しています。それでも、回を重ねるごとに、前使ったアイテムをもう1回出すということが可能になるので、そういった楽しさが出てきました。前は楽しい気持ちを出すために使ったアイテムが、今回は逆に悲しい気持ちを表したり、別の意味を持たせて出すのが面白くて、最近は2回目3回目と出すようにしています:
モチーフを決めてからストーリーができるのか、ストーリーができてからモチーフが決まるのか、どちらでしょうか。
今日:どっちとも言えないところはありますが、連載ものということで、ストーリーを進める必要があります。ストーリーを進めないといけない回に、どうしても物が当てはめられない状況というか、状況を一度言葉で説明しないと読者に伝わらない回というのが、回数を重ねると出てきてしまうときがあります。そういう意味では、物語が先行しないといけないというのはあります。ただ、基本的には「物ありき」というか、みかこさん的な視点で描くようにはしています。
ちなみに、そういったモチーフをストーリーに昇華するという手法の先が、現在『ジャンプ改』で連載中の『みつあみの神様』に繋がるのかな、と。
今日:あれは、一切人間が語らないので、かなり苦労しながら作っています。
あの作品は、「震災後のことを漫画にしてください」というオーダーを編集の方から受けたんですけど、自分としては震災を直接的に描きたいと思っていたわけではなかったので、どうしたものかと悩んでいました。そこで震災を思い返すうちに、津波で人が流されてしまったあとに、物だけが残っているという風景が強く記憶として残っていることに気づき、人間が先に死んで、物だけが残っていくという世界を描き始めました。
あと、物語は言葉を分解すると「『物』が『語る』」になるので、物が喋る話というのを考えたました。
『みかこさん』といえば、1巻で二人の繋がりというか、フラグを丹念に積み重ねた上で、2巻では恋愛漫画にあるまじき展開を見せ、読者を驚かせました。
今日:現実の恋愛だったらそうは上手くいかないので (笑) そもそも私があまり漫画を読んでいないので、恋愛漫画のノリが分からなかったのが、逆に幸いだったのかなと。私が少女漫画を読んだときに、「なんですぐ彼氏とくっついちゃうんだろう」といつも思いながら読んでいた疑問を込めたら、意外にウケてしまったというか。
最初からあの流れは狙っていたのでしょうか?
今日:いえ。『みかこさん』は毎週更新ですので、読者さんの反応も見ながらお話を作っています。
ちなみに、物語の着地点は既に見えているのでしょうか。
今日:そうですね、予想以上に連載が伸びたのですが、連載開始から既に終わりは決めていました。
「戦争シリーズ」を描き続ける理由
ここからは、いわゆる「戦争シリーズ」について。『cocoon』のあとがきなどで、「自分は『叙情と残酷』を描きたい」と仰っていました。一見すると相反するような2つを描きたいと思うのは何故なのでしょうか。
今日:そもそも『cocoon』は、編集さんの企画というか、熱意に押されて描き始めたんですけど、自分でも思いのほか『残酷さ』というモチーフがいいなと思い、それ以来「戦争」というモチーフで作品を描いています。
今まで『センネン画報』にしろ『みかこさん』にしろ、日常の感覚が作品のベースにありました。一方そんな「日常」に敵対するというか、壊すものが「戦争」なんですよね。「戦争」が嫌いだと思うからこその日常の素晴らしさだったりする。日常に対するものを、一度自分の中できちんと戦って向き合っていかないと、自分が描く日常というものにもリアリティが出ないというか、私が描く「日常」はずっとふわふわしたもので説得力が出ないんじゃないかと思っていました。
それまでの作風から考えると、大胆な挑戦だと思われます。
今日:私が『センネン画報』を出したあとに、私に直接「影響を受けました」と言ってくださる、シンプルで可愛い絵柄でふわっとした日常を描くような人が明らかに増えたんです。ただ、それを見ていて私は納得出来なくて、こういうふわふわ可愛いのは自分の描きたいものではなかったはずだと、ずっともやもやしていました。そんなときに、ちょうど戦争というテーマがきたわけです。
現在連載中の『アノネ、』では、アンネとヒトラーを「日記」と「スケッチブック」という真っ白な本で繋ぐという驚きのアイディアが。どのようにして思いつかれたのでしょうか?
今日:『cocoon』を描いているときに、次はアンネでいこうというのは決まっていました。あとは、『cocoon』で上手くいかなかったことを解決するにはどうしたらいいのか考えた上でのアイディアです。
私は別に、戦争反対ということを訴えるために漫画を描いているわけではなく、純粋にストーリーを楽しんで欲しいという気持ちで描いていたんです。けれど、扱っているテーマがテーマだからなのか、いわゆる平和主義者的な捉え方をされてしまうことが多く、そこに目が行きすぎて、ストーリーやキャラクターの面白さにあまり注目が行かなかったんです。
その結果、アンネとヒトラーという、絶対に会わせちゃいけない2人を会わせるということを思いつきました。
ある種、すごく漫画的なギミックとして取り入れた訳ですね。
今日:そうですね。今は戦争漫画って、平和を訴える道徳的に正しい漫画か、もしくは完全にバトルものだったり、兵器や軍服萌えの方向に行くしかないので、完全に煮詰まっている状態だと思います。自分はそこじゃないものを描きたいなというのがあり、エンターテインメントの方にもっていくような気持ちで使っています。
ストーリーの面白さに目を向けてもらうためのギミックなわけですね。
今日:ただ、ストーリーとしての面白さもある一方で、読者の方が戦争を考え直すきっかけにもなってほしいと思っているので、そのバランスを考えた上で作品を作っていこうと思っています。
たとえば「戦争はいけないものだ」という考えに留まるのではなく、その先を考えてほしいということでしょうか。
今日:煮詰まっているというのは、「戦争反対」という意見に読者が飽きちゃっているというか、「またかよ」と思ってしまうところがあると思うので、それだけじゃない考えというか、考えるきっかけだけでも与えていけば、自由に思考を巡らせてもらえるかなと。自分が戦争について意見をあれこれ言いたいわけではないのですが、考えるきっかけというのは絶対に与えていかないといけないと思っています。
ちなみに『アノネ、』で出てくるキャラクターが、全員日本人の名前なのはなぜでしょうか?
今日:フィクションであるということ、エンタメであるということを印象づけたかったことが1つ。また、舞台として60~70年代の少女漫画的な世界観というか、日本なんだけど日本じゃない、ある種のファンタジーとしての昔の少女漫画を再現してみたかったというのがありますね。
前作の『cocoon』では「繭」、『アノネ、』では「四角い部屋」と、女の子を囲うものがモチーフとして継続して使われています。
今日:キューブが一体何であるかというのもテーマの1つになっていて、今回はかなり重層的な意味を持たせています。また「四角い部屋」に関しては、閉じ込められて守られているというよりも「別世界に飛ばされる」というものなので、前作の「繭」とはまたちょっと意味合いが違うのではないかなと。
主人公が、主人公的な振る舞いをしつつもだんだんと主人公じゃなくなっていくという展開なので、別世界で少しずつ人格が乖離していくと言った方が正しいでしょうか。
それと前作でもやりたかったことの1つなんですけど、主人公が途中から空気が読めない感じになっているのが読み取れると思います。空気が読めないことによって、自分を守っているということなんですけどね。全部に対して裏切る主人公というのを描ければと思っています。
戦争シリーズ関連では、現在ブログで継続して描かれている『いちご戦争』という連作があります。始められたきっかけはあるのでしょうか?
今日:ちょうど今戦争をテーマにしているので、自分の中も戦争状態にするというか、創作の中で自分でも戦争を体験しようと思いまして、いわゆるきれいなものや楽しいものがない、戦争しかない世界を、期間限定でやろうと思って始めました。とりあえずは、作品番号が2000番になるまでは戦争中だということに決めています。周りから見たら何をやっているのか分かりづらいし、何で楽しくもない絵を描き続けているんだと思われてしまうかもしれないんですけど、私だって戦争なんて描くのは嫌なんですけど、ちょっと嫌なことをあえて継続してやってみようかなと。それをやらないとキラキラした世界には行き着けないと思っているので。
以前から使われている「お菓子」というモチーフが、『いちご戦争』では全面的に使われていますが、何故なのでしょうか。
今日:「なくてもいいのにやめられないもの」というのが、私の中では戦争と繋がるところがありまして。お菓子は見てくれもいいし、食べているその一瞬は高揚感がありますよね。戦争も見かけはカッコいいし、勝てば嬉しいし。なくてもいいのに起こってしまうし、欲しがってしまう中毒性があるのは同じなのではないかなと。
読者の多くも戦争を体験していないなか、同じように直接体験しているわけではないマチ子先生が、「戦争」をテーマにし続ける理由は?
今日:興味がないと、怖いものは避けて通りたいじゃないですか。たまに、ひめゆりを知らない若い人に会いますし、戦争漫画というだけで読むのをやめてしまうファンの方もいるぐらいなので……。でも、こういうことは実際に起こったし、これからも起こるかもしれないということは、頭のどこかに入れておかないと、戦争はどこかで必ず起きてしまうものだと思っています。誰かが思い出して言わないと、どんどん楽しいものにしか目が行かないので、そのうち戦争が起こるということに対して嫌悪感すら抱かなくなるんじゃないかと。
戦争体験者もいつかは確実にいなくなってしまいますし、日本がいつまでも戦争が起きない国だということも揺らいできています。嫌われてもいいから言い続けないといけないという気持ちは、死んだ人達をモデルに描いているので、そういう人達の気持ちを汲み取ることへの責任感だとも思っています。
立ち止まらずに、変化し続ける。
近作では、秋田書店で新創刊された『motto!』にて、雑誌に載せる短編としては異例の長さである総計100ページの短編を掲載されていましたが、描いてみていかがでしたか?
今日:まずはよく描けたなと思います。今まで私は、1ページを描くのが得意な人と思われていたので、ちょっとそれがよくないなと思っていたところに、担当さんが100ページをやってみませんかと声を掛けてくれました。100ページ描き上げたと言えることが、今後の自分の糧になると思い引き受けました。
その作品は、『マームとジプシー』の代表であり演出家の藤田貴大さんと一緒にやっているんですけど、演劇のリズムを大事に描こうとしています。演劇と漫画って、はっきり言うと両極端というか、正反対の手法なんですよね。それを上手く融合させたかった作品なので、非常に有意義な作品になったと思います。なかなか読者には伝わりづらいかもしれないのですけど、意義があるというか、後々評価されるといいなと思っています。
正反対という部分を、もう少し詳しく教えてください。
今日:ほとんどの漫画って起承転結があるのが大前提な一方、演劇は起承転結が無くても作品が成り立つんです。例えば、桃太郎と出会って鬼退治しにいくまでが漫画だとしたら、演劇は鬼ヶ島に行くまでの瞬間をひたすらやっていても成立する。オチがなくても、そこに脚本や演出の人のやりたいことが表現されていれば成立するのが演劇なんですよね。
それを、どう融合させるのかが試みでした。最終的には漫画の形に落とし込むので、オチはつけないといけないんですけど、演劇的なリズム感や繰り返し、モノローグを多用したりという、演劇ならではのリズムを大事にしていきました。最終的に、漫画でも演劇でもない作品になればと思っています。
商業でも次々に新しいことに挑戦されていることに驚きが隠せません!
ちなみに、現在の『いちご戦争』が終わってからもブログでの作品公開は続けていくのでしょうか?
今日:商業誌で描かせていただけているのですが、本当の意味で自由に描くことができるのは、実は自分のブログ上でしかないんですよね。いざ商業誌で作品を発表しようというときに、練習しないで描き始めるみたいな状況になってしまうので、ブログでの自分勝手な表現というのは大事にしています。そこで失敗・成功したことが、後々の作品に活かされていくので、何らかの形で作品を載せてはいくと思います。
あまり人目を気にせずというか、誰かのために描くというよりも、自分の練習用という意味合いが強くはなるかと思います。
最後に、クリエイターを目指す学生の方にメッセージを。
今日:とにかく練習し続けることでしか上達の道はないので、漫画家になりたいと思ったら続けるしかないし、なったとしてもそれで生きていけるかと言われれば難しいところがあるので、続けていく気力や気合いは必要かなと思います。最近はpixiv等もあるので反応がすぐに返ってきやすい環境だとは思うのですが、誰も見ていなくても描き続けられる力だったり、そこにあまり惑わされないのも必要かなと思います。自分だけが描ける表現を見つけた人の方が強いので、誰かのためというより、自分が納得できるものを突き詰めていった方が、最終的には読者さんがついてきてくれると思います。