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【ハックス/ぼくらのよあけ】今井哲也先生インタビュー

新入生歓迎会にて放映されたかつての先輩の作品に魅了されてしまいアニメ研究会に入部、自身も「絵を動かす楽しさ」に目覚めていく女の子の半年を追った『ハックス!』。2038年という近未来の夏休みを舞台に、小学生の男の子と彼の元にやってきたお手伝いロボットが織り成す、友情と別れを描いた『ぼくらのよあけ』。今井哲也先生は、少年少女達の揺れ動く感情を、瑞々しいタッチで描いてきた漫画家である。
そして今井先生は、あの赤松健先生なども輩出した、中央大学アニメーションがご出身ということで、学生による創作サークルとも縁が深い。来月より新たな雑誌での連載を控える(取材当時)今井先生に加え、「公開インタビュー」ということで今井先生ファンの学生もお招きし、これまで/これからのことを学生全員で伺った!

アニ研時代の「思い出」

大学でアニメーション研究会を選んだ理由は何なのでしょうか?

今井:以前から漫画はずっと趣味で描いていました。ただ漫画って1人でも描けるんですよね。高校の時の漫研はそんなに活発でなくて、文化祭の時に年1回会誌を出すくらいでした。ほとんど全員が部活の掛け持ちをしていて、普段から常に漫画を描いている人は僕くらいしかいませんでした。学校の漫研のありがちな風景として、本気で描いている人ほど部室に来なくなる(笑) ある程度以上真剣に描き出すと話が合わなくなってきて、「君は凄いんだねわかったよ」と、相手が引いていく時がどこかでくるんです。 変な話、漫画家になってデビューして、東京に引越してくるまで周りに漫画を描いている友達はいませんでした。
そんな経験があったので、大学ではきちんと活動しているサークルを探そうと思ったんです。その中でアニ研は、毎年自主制作で作品を発表しているのを売りにしていました。自分が知らない世界を新しく勉強しようとも思い、アニ研に入ることを決めました。

先生はどんな新入生でしたか?

今井:大学入った頃は今と違い、アニメを全然見ておらず、むしろ美少女アニメとかを馬鹿にしていたぐらいです。「俺はもっと高尚に、創作ってものを考えているんだぜ」内心思っている、勘違いしている系の新入生でした。そのせいもあってアニ研に入ったものの、最初の頃はそんなに真面目に活動していませんでした。年2回、各大学が集まる合同の上映会と文化祭での上映があり、それぞれの作品を作るとなった時に、各部員に課せられる分の動画をやるぐらいでした。あのままでは痛い人のまま終わる、ギリギリの所でしたね……

そんな中、転機はどこにあったのでしょうか?

今井:文化祭で上映する作品は、3年生を中心としたメインの共同制作作品になっていたんです。代々文化祭が終わると3年生から役職の引き継ぎがあり、次の1年間で1本アニメを作るという流れでした。僕達の代では、監督を任された男がとにかく凄かった。自分でアイディアをポンポン出す上に、人一倍凄い量の作画をするような人でした。自分が出したアイディアを自分で勝手にどんどん絵に起こしちゃうんで、他の部員は彼と同じだけ描いて提出しないと、口を挟むことができないんですよ。監督本人も、口には出さないまま無言で動画を一杯描いて、やる気のないヤツを会室に入りづらくさせるということを平気でやる人でした。
監督の彼と、途中から僕も参加して、2人でひたすら制作するという環境ができあがったので、やる気のない人が黙って部室に来なくなるという……僕と監督は、むしろS心をくすぐられてその状況を楽しんでいる節がありましたね。

オタク系サークルとは思えないスパルタぶりですね……

今井:もう一つ彼の凄かった所として、「作品は、完成させなければ意味がない」というスタンスを取っていたところです。学生とかアマチュアの創作サークルですごく多いパターンとして、こだわりすぎていつまでも作品を完成できないことがあると思います。監督は、どんな酷い出来であろうが、スケジュールに間に合わせるために何度妥協しようが、とにかく作品を1本完成させる方がよっぽど大事だと初めから強調していました。オタク系サークルにいながら、このバランス感覚をどうやって身に着けたんだろうと不思議でしたね。

そのような監督の元でできた作品は、どのようなものだったのでしょうか?

今井:『魔法少女オイキムチX』という、キムチの国の妖精さんと、魔法のキムチで変身する魔法少女が怪人を倒すという作品でした。とにかくアニメのパロディが満載だったので、彼に振り落とされないためにはアニメを一杯見て勉強しないといけなかった。アニメを本格的に見始めたのがその頃ですね。
最近はtwitterで美少女アニメのことばかりつぶやいていますが、大学1年の時から僕の事を知っている同期は、最近の僕の発言を見て、結構引いています(笑)

「あのちょっとお高くとまっていた今井君が!」みたいな感じでしょうか(笑)
学生時代に、創作のために勉強したことは何かありますか?

今井:大学入って落ち着いてきた頃から、とにかく映画を色々見ていましたね。後は絵コンテ集とか、アニメの映像の作り方の本を読んでいました。富野由悠季監督の『映像の原則』とか、押井守監督の『パトレイバー2』のレイアウト集とか。その上でアニメ見たり映画を見たりと、創作に関しては映像のルールから学んでいきました。
僕の漫画って映像っぽいという感想を頂くことが多いんですけど、映像の作り方を土台にしてネームを起こしているからだと思います。

好きだった映像作品を具体的に教えて下さい。

今井:いわゆるミニシアター系の、しっとりした画面作りが好きでした。黒沢清監督や相米慎二監督の作品が凄く好きでしたね。相米監督の1カットがずっと続き、その場所の空気みたいなのが画面の中に落とし込まれている感じが好きでした。
あと細田守監督の『時をかける少女』は、絵コンテを何度も読み返しました。映像的にいって、その辺りが1番好みのベクトルとして強いですね。

制作したアニメで、担当した部門はどのような所なのでしょうか?

今井:ひたすらバイクを描いていました。
変身に使うキムチが、安くて不味いキムチだと力が出ないという設定があったんですけど、最初主人公が不味いキムチで変身してピンチに陥るんです。作中に「キムチの山田屋」という、架空の超美味しいキムチを作るメーカーがあって、携帯で山田屋に電話をかけ、バイクでその場にキムチを配送して貰う。しかもそのバイクでやってくるおっさんが超強くて、バイクで怪人をはねて瀕死にしちゃう(笑) 変身した魔法少女はトドメを刺すだけっていうストーリーでした。僕はその配達に来るおっさん担当でした。

先生自身は、どれくらいの枚数を描いたのでしょうか?

今井:詳しい数字は覚えていないですけど、完成した作品は30分くらいありました。OP・EDにA・Bパート、合間のCMまで作りました。そのアニメ自体が「キムチの山田屋」提供という体でやっていたので、実写班を作って、「キムチの山田屋」のCMまで作りました。作中でも主人公が、ひたすらキムチの山田屋を褒め称え続けるという(笑)

実際に作品を見てみたくなりました……それだけ枚数を描くと、画力もメキメキ向上するのでしょうか?

今井:作業量がとにかく多くて、流れ作業になってしまうので、劇的には上がりませんでしたね。ただ、「判断力」みたいなのが身に付いたのが大きかったです。
漫画の制作もそうですけど、何度も作品を描いている内に、自分の作画ペースが分かってくるんです。このページ数ならこれくらいの期間で終わるだろうという風にスケジュールを組み立てることができるようになります。その能力は、プロで仕事をする上でとても大事です。すごいアイディアが生まれて、とにかく描きたいと思っているんだけど、実際に描くとしたら作画的に締め切りには間に合わうのかどうかを、どこかで判断しないといけません。アニメの制作を通してその感覚が凄く鍛えられたので、その後プロで漫画を描くか描かないかという時にすごく自信になりました。

アニメ制作の他に、漫画の執筆はどのように行っていたのでしょうか?

今井:大学でバイトを始めたおかげで小遣いも増えたので、漫画を一杯買う様になりました。当時買っていたのは、モーニングやビッグコミック等の青年誌を中心に、アフタヌーンにコミックビームと、漫画好きの大学生が読むような系列の作品を読んでいて、自分の描く漫画の傾向も自然とそっち方向になりました。最初の持ち込みも、たしかアフタヌーンにビーム、スペリオールとかですね。4年になってから本格的に、アフタヌーンの四季賞に絞って投稿するようになりました。

漫画家になろうと思った時期っていつですか?また将来設計をどのように考えていましたか?

今井:文化祭が11月だったんですけど、その後クリスマスくらいに合同の上映会があって、そこにOP・EDを含めた完成版を持っていくことにしたんです。その制作に日夜明け暮れていたんですけど、それが終わったら3年の冬なんですよ。就活始めるにしても若干手遅れ感が漂い始めていました。しかも僕は文学部史学科という、そもそもが将来のことを考えているような人が行く学科じゃない(笑) そこで自分が何をしたいかとか、現実的に自分の手持ちのカードを冷静に考えた時に、実は漫画関係の仕事にならどこかしら潜れるだろうという感覚がありました。

残りの大学1年間で、単位は必修と卒論ぐらいしか残っていませんでした。じゃあ残りの時間を就活の変わりに、全部家に引き籠って漫画を描けば、それなりの物ができるんじゃないかと思い、実際に行動に移しました。

とにかく漫画家とアニメーター以外、他の職業のことを全然知らなかったせいで、自分がそれをやっているイメージがどうしても湧かなかった。大学が主催する最初の就活セミナーがあって、1番大きいホールにその年の就活生が全員集められて、心構えやらOBの成功談とかを聞くんですけど、別世界の事にしか感じられませんでした。一方で、普通に働き出したとしても、趣味で漫画・アニメを作るかもしれない。だったらそれを仕事にした方が、生き方として効率が良いんじゃないかと思いました。

周りが就活を始める時期で、初めて踏ん切りが付いた訳ですね?

今井:実際は大学を卒業してから連載デビューするまで2年近く掛かり、実家でアルバイトしていたんで、社会人としては不良でしたね。

その2年間で学んだことってありますか?

今井:おそらく全ての新人さんが通る道なんですけど、最初に学ぶのは「自分がその作品に思い入れがあるかどうか、『どれだけ頑張って描いたのか』、というのは、読者にとって一切関係がない」ということです。読んだ人にとって、その漫画が面白いかどうか以外の価値基準を持たないし、それ以外の所で、自分の漫画を評価してもらおうとするのは良くないことだというのを、徹底的に教え込まれました。自分が死ぬほど頑張って、思い入れのある作品を描くのは「当たり前」であって、面白さとはまったく関係ありません。それを面白いと言ってもらえなかった時に、怒るとかやる気を無くすというのは、筋違いだというのを学びました。

本屋で漫画を選ぶ時って、表紙を見てパッと面白そうかどうか判断して、買う買わないを決めるじゃないですか。それって良い漫画が残るために絶対必要なことで、そうやって選ばれているんだという意識を、常に持たなければいけないと思います。

描いたネームがどんどんボツにされ、それでも心が折れないようにするとどうしてもそうなるんですけどね(笑)

「アニメ」制作が、「漫画」制作に与えた影響


アニメ制作の経験が創作面にどのような影響を与えたのかを、くわしくお聞きしていきたいと思います。
まず、シンプルなキャラ造形からは「アニメにした時に動かしやすそうだな」、という印象を受けるのですが。

今井:キャラクターの線とか絵柄に関していうと、やはりアニメの影響が凄くあると思います。最初投稿した頃に比べ、『ハックス!』の連載が始まる時に割と意識して絵柄を変えたんですけど、その時に参考にしたのがほとんどアニメの絵だったんですよね。アニメーターが描くような線が凄く好きで、当時だと『しゅごキャラ!』というアニメがやっていて、非常に参考にしていました。
自分でもアニメの絵がよく動いているのが好きなので、そういう感じを、漫画を見ていても想像出来るようにと思って、今の絵柄になった気がします。逆に漫画的なペンの線の綺麗さに対するこだわりがほとんどないので、弱点の1つだとも思っています。
そのせいか線というより、シルエットが気持ちいいという感覚で絵を描いていますね。腕とか脚とか、服の1つ1つの重心がどこにあるか、そして全体の塊として、どっちに運動のベクトルがあるのかが伝わる絵を目指しています。

映像作品のように、実際の空間を頭に思い浮かべながら作品を作るのでしょうか?

今井:ネームを起こす手順の話になると思うんですけど、その場所に人物が立っていて、カメラでどう撮るかというのを意識して画面を作っているところはあります。『ハックス!』の途中からはレンズも意識するようになりましたね。例えば2巻のp57。
中望遠レンズでちょっとズームが入っている感じです。レンズを選んでかっちり演出すると、格好良い画面が作れるかもと自分の中で思ったのが、このコマです。それまでどっちかというと広角的なレイアウトの取り方が好きというか、大体部屋の中で話が進むので、部屋全体を見せるために広角のパースで描くことが多かったんです。ところがこのコマをなんとなく描いてみたら、自分の中でカチッとはまった気がしました。この辺から望遠レンズも意識して画面を作ろう、というのを少しずつ考えながら描くようになりましたね。

『ハックス!』だと横長のコマで、映画の長回しを連想するようなカットが多く、逆に『ぼくらのよあけ』では細かくコマを割っているように見えます。

今井:『ハックス!』は話し言葉をなるべくそのまま文字に起こすというのと、カットを長回ししているっぽいシーンを作りたいというのが僕の中でブームだったんです。
『ハックス!』の場合は作中で出てくるアニメと、作品としては漫画の中だけど、作中の出来事は3次元の現実の出来事なんだ、というのを読んだ時に区別が付くようにと思って、わざと話言葉らしさを強調するように意識して描いていました。
「よあけ」はより漫画チックな表現に寄せようと意識していましたね。キャラの顔のアップを見せて、キャラクターに寄るつもりでコマ割をしていました。

構図でいうと、『ハックス!』が特にそうなんですけど、カメラをぐるぐる回して何気ない会話シーンをスムーズに見せている演出が、個人的には気になります。

今井:逆にこれは、漫画だからできちゃう力技なところがあります。映像だったらカメラはフィックス(固定)か、2台程度で十分なんですけど、漫画だと基本的にコマの中を右から左に吹き出しを読むので、コマの中に並んでいるキャラは喋る順に右から左に並んでいないといけないんですよね。
そうするとコマごとに、キャラが喋る順番に合わせて、どんどんカメラを動かさないといけないですし、もし全員の顔を画面に入れたいと思ったら、カメラの高さもコロコロ変えないといけません。これを映像でやってしまうと、凄く見づらくて駄目なシーンになってしまうんですけど、漫画だったら背景をちゃんと描いておけばギリギリOKに感じられます。作画の手間はかかるんですけど、構図を取るっていうことに関していうと、吹き出しと喋るキャラ、リアクションを見せたいキャラを決めたら、この順番にしかならないという風に構図は自動的に決まっちゃうんですよね。
そういう漫画のルールや制約から決まった構図なので、実はあまり好きではないんです。レイアウトとしてはもっと良い絵が描けるはずなんですけど、漫画だと物理的に不可能になってしまうので。

絵柄の話になるのですが、先生の描く女の子が皆可愛くて仕方がないのですが、描く時のこだわりってありますか?

今井:まず、女の子は全員可愛いと思って描いています。これはとても大事です。手塚治虫も「女性を描く時は全員美しく描かないといけない」ということを、たしか漫画の描き方の本で言っているのですが、まさに真理だと思います。手塚治虫の凄いところは、たとえば『ブラックジャック』を読むと、ぽっちゃりした娘がヒロインとして出てくる回もあるんですけど、その娘も含めて全員が可愛いんです。
『ブラックジャック』に、片手が義手になった男の子の話があるんです。将棋が強かったのに、右手が義手になってしまって、1回将棋を諦めかける。すると突然、その右手の義手がしゃべりだします。その右手の声に励まされて、最後に右手の義手でコマをパチンと打つのが、凄く格好良いという話があるんです。その義手に、実はブラックジャックがマイクを仕込んでいて、マイクに声を吹き込んでいたのが、男の子をずっと陰で支えてた女の子だったという設定で。それでその娘が、ボールみたいに凄く丸っこいんです。男の子はかなり邪険に扱っているんですけど、その娘が凄く可愛いんですよ。手塚ヒロインでも僕の中でトップに来るくらい好きですね。

以前のインタビューで、子供の頃は親の教育方針で、家にある手塚治虫や藤子・F・不二雄の作品しか漫画を読ませて貰えなかったと仰っていました。

今井:今でも好きな作品で言うと、藤子F先生のSF短編が凄く好きです。あれは全人類が読むべき傑作です。
僕が、「ヒロインを酷い目に合わせたい」という欲求は、確実に先ほどの2人に植え付けられました。藤子先生のSF短編も、凄くダークな話が多いじゃないですか。「カンビュセスの籤」とか「ミノタウロスの皿」とかが大好きです。僕も人が酷い死に方をする漫画を、どこかで描きたいのかもしれない(笑) 記憶の1番奥底に、トラウマレベルで残っているんだと思います。

女の子の話に戻すと、とにかく感情の揺れ動きがダイレクトに伝わってくるような、表情の描き分けが魅力的だと思っています。

今井:漫画は詰まるところ絵なので、気を抜くと手癖で描けちゃうんですよね。特に怒ったり泣いたりという激しい感情になればなるほど、テンプレな描き方にしていまいがちなので、そうならないよう、頭の中でしっかり意識しながら描くようにしています。極端な話、全てのコマに描かれた表情を、なんでこの表情にしたのかを言葉で説明出来るくらいじゃないと駄目だと思っています。話に絡まないキャラがコマの隅でボーッとしているとしても、キャラクターの性格やその場の会話の流れから、ボーッとしている表情にも変化があると思って描いています。

繊細な心配りが、微妙な表情の描き分けを可能にするのですね。「繊細」、といえばとても丁寧に描き込まれた背景もまた魅力的です。巻末を見ると今井先生はいままでほとんどアシスタントさんを利用せず、1人で背景まで描いていたようなのですが。

今井:単純に背景を描くのは好きですね。特にレンズの質感とか、空間の広さまで分かるようなパースをカチッと取れると勝手に盛り上がっています。そこは完全に趣味の領域ですね。「背景描くのが死ぬほど嫌で憎んでいる」という作家さんも一杯いますし(笑)
基本的に漫画に登場する場所は、実際に歩いて写真を撮ってくるようにしています。場所の広さの感覚とか光の当たり方とか、空間の雰囲気を覚えて、それを背景に描いています。

『ぼくらのよあけ』制作秘話!

カバー裏に記載されている情報によると、「よあけ」では背景に3Dスタッフを使われていたということが窺えます。どのような経緯でこのような手法を取るようになったのでしょうか?

今井:順を追って話すと、『ハックス!』がアニ研の話だったので、アニメの制作会社に取材として行かせてもらうことがありました。その中の1つに、当時アフタヌーンで連載していた『宙のまにまに』という漫画が丁度アニメ化していたんですよ。編集部の人に頼んで、「まにまに」の制作現場を実際に見に行かせてもらって、アフレコも見学させてもらい、その時をきっかけに「まにまに」の プロデューサーさんと仲良くなりました。

「よあけ」の企画が動き始めた頃、団地が舞台なので『死ぬ程』団地を描かないといけないのは、最初からわかっていました。面倒くさいと言ってはなんですけど、ベランダや窓があったりと、パースを取るのが凄く大変なんです。その上団地の屋上に上がったり、団地の中に住んでいたりというのが、ドラマの中で重要になります。 ところが、締め切りから逆算すると、そのパースで作品を仕上げるのは、どう考えても現実的ではありませんでした。とはいえ、そのような形で、作中の構図が制限されるのは避けたかった。だから、どんな角度からでも自由に描き分けられるようにするには、3Dにした方が良いと思ったんです。そこで、先ほど触れた「まにまに」のプロデューサーさんに相談したところ、すぐに話に乗ってくれたんです。
「よあけ」の頃は毎月、10日から2週間ぐらいアニメスタジオに通って、アニメーターさんと机を並べて作画していましたね。

作業行程はどのような感じだったのでしょうか。

今井:連載最後までの構想は最初からあったので、3Dで作ってもらうものをリストアップし、まず始めに団地と人工衛星のモデルを作ってもらいました。その後は、背景までレイアウトを描き込んでいたネームを毎月完成した時点で渡し、それに合わせて3Dモデルを貼り付けてもらいました。『ハックス!』の途中からそうだったんですけど、ネームを拡大コピーしたものを、トレスして下絵にして原稿を作画していたので、同じ方法で「よあけ」も、ネームにぴったり合わせた構図を出してもらった3Dの絵を元に、それを上からペンでトレスする形で描いていました。

3Dを外注する漫画家さんってほとんどいないんじゃないでしょうか?

今井:僕も次はやらないかなと思います。まったく同じ建物を繰り返し、3点透視をバリバリ使いまくって描くという特殊な事情があったので。実際アニメ会社さんに振って、上がってきた3Dに直しを加えるというやりとりは、それなりに手間がかかりました。だから効率としてはそんなによくは無かったです。同じことを作画でアシスタントにしてもらっても、日数は同じくらい掛かったかなと思います。ただ人間のアシスタントで、同じレベルでどんな角度からでも団地を描ける人は、そうそう見つからないので、そういう点では非常に助かりました。

「よあけ」の作中では、近未来化されたガジェットを使いこなしながら、自然の中で今と変わらず遊ぶ悠真たちが印象的でしたのですが。

今井:無邪気に未来に向かってワクワクできるようなSFを作りたいというのがまず頭にありました。それこそ手塚作品に出てくるような、街中にロボットが溢れ、真空管チューブで大陸を行き来出来るような、「レトロヒューチャー」な世界観が描きたかったんです。
そしてもう一つ、「ジュブナイル」をテーマに描きたかったんです。今正統派のSFやジュブナイルって流行っていないんです。その流れに対抗して、オーソドックスな手触りとして、「宇宙」がテーマの一つなのは、わざと意識して描いていました。
だからラストで主人公が宇宙に行くのはまさにそうなんですけど、普通にSFとして考えたら、ロケットに乗って太陽系外に行くというのは、今の人類の科学力だと有り得ないなと感じるじゃないですか。それこそ地球外知的生命体とコンタクトを取るために、人間そのものがでかいロケットに乗って、光速の何%出して、そこまで行くというのは、「古いSF感」になるんですよね。だからこそ「よあけ」のラストは、わざと古臭いことをやっています。
作品の舞台にした阿佐ヶ谷住宅という団地も、実は取り壊しが決まっているんですよ。2038年には絶対に残っていないんですけど、ロボットや真空管チューブと同じ水準で、ワクワクする未来の嘘としてわざと描いていました。

「よあけ」に出てくる人工衛星が「SH3」という名前でしたが、あれってCPUの製品名じゃないですか。実は「はやぶさ」に乗っていたもので、はやぶさは3台による3つ子システムでできています。「二月の黎明号」もコアは3つなのですが……

今井:それ、全部たまたまなんです。

(一同)ええええっ!?

今井:僕も連載始まった後に知りました。SH3っていう名前も、SOHOっていうカメラが搭載されている人工衛星をモデルにしてそれっぽい名前をフィーリングで付けたんですけど……SH3も、1からシリーズがあって、携帯電話とかドリームキャストにも積まれているんですけど、それが実ははやぶさにも積まれているらしい、というのは後から知りました。

それは、作品が何かをもってたとしか言えないですね(笑)

「物語」のこだわり、「キャラ」への想い


ここからは、キャラクターや物語を作る際の、先生のこだわりを探っていければと思います。まずはキャラについて。「ハックス」の主人公のみよしが、テンションが上がると腕を伸ばしてパタパタさせるなど、行動の1つ1つにもキャラクターの特徴を出そうとしている印象を作中から受けました。

今井:結局キャラクターの演技ってそういう所で出ると思っています。考えていることが仕草に出るというのは、今でも一貫して意識しています。漫画だと特に、性格と外見を完全に一致させられるのも強みですね。

多様な面を持ったキャラクターが今井先生の作品の魅力のひとつだと思うのですが、それぞれのキャラクターの性格はどのくらい物語を進めるにあたって影響を与えているのでしょうか?

今井:キャラが演技をしているうちに、段々とキャラが固まってくるというのはある気がします。それこそネームを描いている時にポロッと出た一言で、自分の中でもそのキャラの印象が変わることはよくあります。
『ハックス!』の秦野さんがまさにそういうキャラで、最初はモブキャラのつもりだったんですよ。アニメとかオタクトークに、黙っているけど分かっているキャラがいたら面白いかなぐらいの気持ちで、画面に友達Aみたいな感じで出したんです。この後ストーリーにどういう絡み方をするか全く考えずに出したんですけど、何回か背景にいるキャラとして描く内に、段々育っていき、最終的には準ヒロインみたいな感じになってしまいました。

逆に「よあけ」に出てくる銀君は、最後にちょっと陰が薄くなっちゃったかなと思ったんですけども……

今井:鋭いですね。実は最終回がページギチギチで、銀君のエピソードを1個削ったんですよ。本当は銀君のお母さんと話すシーンがあって、割と気に入っていました。キャラ的には前回で一応の上がりを迎えていたので、泣く泣くカットしたんです。

最初思った方向に行かなかったキャラは沢山いるんですけど、とりあえずキャラのやりたい事とか、向かっている方向が、最初よりもどんどん良くなっていった印象があったので、そのせいで失敗したことはあまりないですね。自分が計算もしていない方向に、キャラが勝手に育ったのは自分で描いていても楽しく、勝手にこういうことをしたいと主張するようになったキャラを、いかに本筋に回収していくかというのが、パズルのようで面白かったです。

伏線が次々と繋がっていくラストに感動したのですが、初めから終わりまできちんとプロットを組んで描いているのでしょうか?

今井:初めと終わりはなんとなく考えているんですけど、話数ごとに割っていくというか、各話の詳しいエピソードはその場その場で作っていますね。個別のシーンは1番面白く見える方向に振っていくみたいな感じです。
あと1つの大きな話で、最初と最後で同じキャラが同じような行動をして、あたかも伏線だったかのように見せることがあるんですけど、ネームを描いている時になって、「前やったあのシーンが使えるな」と気付き、これを伏線だったことにしようというのは、現場的な話として結構あります。
最終回は、『ハックス!』の場合だと文化祭の上映会で、「よあけ」の場合は宇宙船を飛ばして終わりというのがあったので、最終回の時点でメインのキャラが同時に着地点にたどり着けば良いかなという気持ちでしたね。そこに収束するまでの過程は、むしろキャラごとにバラバラの方が楽しいかなという感じで描きました。

物語としては大団円を迎える一方、ハッピーエンドとは言えない着地点に行き着いたキャラも、先生の作品には登場しますよね。

今井:そこは賛否両論で、嫌いな人はほとんど受け付けてもらえなくて……『ハックス!』の深山先輩のラストも、気に入ってもらえる人と、「今井は性格が悪すぎる」という人のどっちかでしたね。
ただ何でそういうラストを選ぶかというと、漫画に限らずリアルの生活でもそうなんですけど、「1回挫折して痛い目を見ないと、反省しないなコイツ」という人っているじゃないですか。そういう人には漫画の中でもそうさせてしまいます。僕なりにそのキャラが大好きなんですよ。このまま大人になったらロクなヤツにならないぞという。だからお前には誰も都合良く救いの手は差し伸べさせない、まずお前が失敗して傷つかない限り先には行けないんだよ、という気持ちで描いています。

わこと花香も最終的には仲良くなりませんでした。

今井:最初の時点で、この2人は友達までにはなれないだろうと思っていました。「よあけ」は、悠真とナナコが喧嘩をしながらも仲直りし、最終的には対等な友達同士になる話と考えていました。だからそれ以外は全員脇役で、最後悠真とナナコが将来どうなるかは描いたんですけど、後の子達はもう小学生を卒業したら会わずに、もしかしたらバラバラの人生を歩んでいるかもしれないという気持ちで描きました。

実生活の中で、小学生からずっと仲の良い人ってそんなにいないじゃないですか。自分は、何年も連絡を取っていないけど、お互い頑張っているんだろうなということはわかっているぐらいの距離感が好きだったりします。変な話、この時にがっつり友情を固めて、その時の友情が永遠に続くというのは、新しい人間関係ができていないということなので、自分は気持ち悪いと思っちゃうんですよ。仕事を始めたりすると、 知り合いになる人は変わってくるし、全部の人間関係を平等にメンテナンスすることは出来ないはずです。仲違いがある訳ではないけれど、次第に疎遠になっていくというのは、それはそれで悪いことではないという気持ちがありますね。

ジュブナイル的でありながら、先生の作品はかなりシビアな部分まで踏み込んでいきますよね。

今井:僕の1番好きな話のパターンとして、ギリギリの所まで登場人物を追い込みたいというのがまずあります。何も残らないギリギリの所まで追い込んで追い込んで、最後に手に残ったもの、それが凄く大事なものだという話が、自分で描いていると好きなんだと思います。
「好き」、というのは胸のない女の子を描くのが個人的に楽しいのと同じレベルです。要は女の子が凹んでいるのを見てるとゾクゾクするよね、ぐらいの気持ちなんで(笑)

本日は、様々な質問に答えていただき本当にありがとうございました!