はるの2

築コレ〜オツな若ぇの生け捕ってきやした92 国本はる乃

 最年少浪曲師も二十歳になって、昨年秋、年季あけ。いま、浪曲をやることが楽しくて、浪曲をいろんな人に聞いてもらいたい。そして、ネタも増やしたい。夢は大きく広がる。取材は、浪曲師の修業の場、浪曲定席の木馬亭の楽屋にて。
 小学四年の時に、父の友達に「三味線をやったほうがいい」と言われて。それまではピアノを習っていたんですけれど、三味線? どんな楽器だろうと思って。父が師匠(国本晴美)と知り合いで、師匠の家も車で一五分のところだったので習いに行くことにしたんですが、子供だから手が小さくてまだ三味線は弾けなかった。「じゃ、浪曲を習いなさい」と言われて、浪曲をはじめました。最初に『秋色桜』の台本をいただいたんですが、台本の漢字は読めないし、お話の内容もよくわかりませんでした。父が漢字に読み仮名をふってくれて、師匠も丁寧に教えてくださったんで、なんとか覚えて父の知り合いの前でやりましたら「はる乃ちゃんうまいね」「いい声だね」と褒められて、浪曲を続けてきました。
 高校三年になって進路を考えていた時、就職して浪曲を辞めていいのか、折角やって来たのにもったいないんじゃないか、浪曲を仕事にするのも悪くないんじゃないかって思って、母や師匠にも勧められて、高校在学中から木馬亭で前座として修業させていただくことになりました。
 でも実はその時は、そんなに浪曲が好きっていうわけではなかったんです。木馬亭に来るようになって、師匠や自分の浪曲をレコーダーで録音している先輩がいて、私もやってみようと録音して、自分の浪曲をはじめて聞いたら、もうなんて下手なんだ、って。知り合いから褒められていい気になっていた自分が恥ずかしくなりました。その時、師匠の『真柄のお秀』も聞いたんですけれど、これがもう、ただただ凄い。圧倒されて。改めて、師匠の録音を聞きなおして一生懸命勉強しました。半年くらいして、木馬亭のお客様から『真柄のお秀』をやって褒められた時、浪曲をやっててよかった、これが私の道だ、って思えるようになっていました。
 今は多くの人に浪曲を聞いて欲しい。浪曲の面白さを知って欲しいです。あと、様々なネタをやりたい。怖い怪談なんかもやってみたい。だから、いろいろな場を作って、これからも唸り続けていきたいと思っています。(稲田和浩)


国本はる乃 一九九六年一月一九日生まれ。茨城県稲敷市出身。二○○五年、九歳で国本晴美に入門し「国本はる乃」、二○一三年、木馬亭で前座修業をはじめる。二○一六年九月年季あけ、血液型B型。日本浪曲協会に所属

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