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【淫乱旅館】東京初の有料ハッテン場「砂川屋旅館」の痕跡を探しに山谷のドヤ街へ行く

youtubeに投稿した動画「【淫乱旅館】東京初の有料ハッテン場「砂川屋旅館」の痕跡を探しに山谷のドヤ街へ行く」のテロップを読みやすいようにメモ書きしただけのnoteです。


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今回痕跡を探しに行くのは東京に初めてできた"淫乱旅館"です。

淫乱旅館と言う名前のインパクトに負けて女装とは関係無いのですが調べてみる事にしました。


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淫乱旅館は1950年頃にできた日本初の有料ハッテン場で、木賃宿(格安旅館)みたいな建物だったそう。

その後木造から鉄筋化、小型から大型化して現代のハッテンサウナになっていったようです。

この時代のメインのハッテン場は公園や公衆トイレだったみたいですが、"相手をみつけやすい"のと"安心してできる場所"として淫乱旅館は徐々に浸透していったそう。

しかしその情報はあまり残っていませんので、かなりクローズドな施設だったと推測できます。


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東京に初めてできた淫乱旅館は「砂川屋旅館」と言われていて、台東区山谷にありました。

大阪初の淫乱旅館「竹の家旅館」も西成と言う労働者の街にあったので、格安旅館が多い地域に出来やすかったのかもしれません。


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砂川屋旅館があったのは都電22番系統浅草山谷停留所から歩いて3~4分の場所と記録があり、浅草山谷停留所は現在の東浅草二丁目交差点の場所になります。

砂川屋旅館が当時ゲイ雑誌に出稿していた広告には地図が記載されていて、その場所もこの近くになっていました。


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広告の地図の場所に行くと現在はビジネスホテルと言いますか、簡易宿泊所があります。

台東区が公表しています旅館業一覧のページを見ると、このホテルの営業会社名が「有限会社砂川屋旅館」となっていましたので、何かしらの関係があるのかもしれません。


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砂川屋旅館には本店と支店があって、本店は老け専、支店は若い人向けだったとか。

支店だった跡地だと思われる場所には、先程の宿泊所と同じ名前の建物がありました。


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砂川屋旅館は昭和30年代には摘発されて廃業となりました。

東京で最後まで営業していた淫乱旅館は鶯谷のICHIJOになると思うのですが、2019年8月末に閉店し、今はもう取り壊されてしまっています。

利用した方の体験談などをブログで読むとかなり過激なことをやっていたみたいですね…。


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淫乱旅館は上野浅草エリアだけでなく、駒込、池袋、新大久保、渋谷など山手線沿線に多くあったそう。

新宿二丁目に無かったのは、男色や同性愛とは真逆の赤線だったからでしょうか。


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上野の大番のある場所は元々淫乱旅館があって、火事で焼失後にサウナが建てられたそうです。


※参考文献
「性欲の研究 東京のエロ地理編(井上章一&三橋順子)」

youtube用にかなり簡潔にまとめていますので淫乱旅館に興味のある方は上記の書籍の「いわゆる淫乱旅館について」の部分を読んでみて下さい。
(動画の概要欄にリンクが貼ってあります)

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