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『ゴジラ(1984年版)』/世文見聞録105【5部作映画談】

「世文見聞録」シーズン2。川口世文と木暮林太郎が11月3日の『ゴジラ-1.0』公開に向けて、シンプルに『ゴジラ』というタイトルがついた映画を「5部作」として括って、1作ずつ語っていきます。

○『ゴジラ(1984年版)』について(ネタバレ注意!)

川口世文:公開当時は正直ピンと来なかった。『ゴーストバスターズ』席巻せっけんしていた時期だし、ずいぶん古い「役者」を引っ張り出してきた感じ。

木暮林太郎:正確にいうと「初代ゴジラ」がいた世界を舞台にしているから、リブートじゃないよな?

川口:厳密にいえばそうだね。かといって並列していくつも存在する「第2作」の一つでもない。仕切り直す意図ははっきりしているから、やっぱりリブートだろ?

木暮:まあ、いいか……そこは厳密に考えなくても。

川口:『シン・ゴジラ』が公開されたあとで観返して、『シン・ゴジラ』がいかにこの映画を参考にしていたかよくわかった。

木暮:具体的にはどういうこと?

川口:まずは参考にして取り入れたこと──①ポリティカル・フィクションにする。

木暮:日本以外の思惑を絡ませるってことだな? ゴジラに「核」で対抗するかどうかが、物語上、大きな葛藤を生むわけだ。

川口:②自衛隊と別動隊の「2つの計画」を走らせる。

木暮:基本的には1954年版もそうだけど、ここでは「スーパーX」に搭載した「カドミウム砲」原子炉としてのゴジラを冷却しようという作戦が“原発の時代”らしい。ソ連が余計なことをして失敗するけど(笑)

川口:『シン・ゴジラ』では逆に「原子炉冷却」の作戦をクライマックスに持ってきた。

木暮:結局、ゴジラの「帰巣本能」を利用して三原山火口に沈める。三原山は二年後に噴火しているんだよな。

川口:「ゴジラ実在説」の有力な根拠の一つだな。

木暮:その話はいいから。

川口:この決着は、『ゴジラの逆襲』でゴジラを雪崩のなかに生き埋めにした作戦にもちょっと似ている。

木暮:いろいろアイディアが錯綜しているけど、基本的な“ゴジラ攻略パターン”ではあるわけだ。

川口:そうそう。「核」は使わず、冷やすか眠らせる

木暮:オキシジェン・デストロイヤーはその後誰も研究を引き継がなかったのかな?

川口:あれは未だに『ゴジラ』シリーズにおける「究極兵器」だからね。

木暮:それで──『シン・ゴジラ』では“参考にしても取り入れなかったこと”もあるんだよな?

川口:あるある。「核」を爆発させないこと以外にも3つ。①「家族や恋愛」を描かない。②「初代ゴジラ」が存在した世界にしない。③「超兵器」を登場させない。

木暮:なるほど『シン・ゴジラ』に「スーパーZ」とか出てきたらその時点で信用を失っていたもんな(笑)。「初代ゴジラ」がいない世界というのも大事──問題は①だよな?

川口:1954年版はラストの「ゴジラVS芹沢博士」を成立させるために必要なプロセスだったけど、1984年版はポリティカル・フィクションになってしまったから、中途半端に「家族や恋愛」を描いても“雑音”にしかならなかった。

木暮:おまけにそれを担ったのが当時の沢口靖子じゃ、荷が重かった。石坂浩二や武田鉄矢のカメオ出演も正直“蛇足だそく”だったと思う。まあ、80年代の邦画の大作映画らしくはあるんだけど……。

川口:面白いことに、2014年の“レジェンダリー・ゴジラ”では、『シン・ゴジラ』ではあえて取り入れなかったこともほとんど全部やっている。

木暮:順番的に『シン・ゴジラ』はその反省も踏まえているってことだな?

川口:この1984年版は「第2期」だけでなく「第3期」の開幕にも大きな影響を与えたわけだ。

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