己の核と戦うこと(ダイバーシティ)

己の核と戦うこと(ダイバーシティ)

最初に、”ダイバーシティ”という言葉を知ったのは、英語からだ。

”ダイバーシティ”という外来語は、日本人が真に語感をつかむのは難しいんじゃないかとさえ思う。あるものをないものにしてきた日本人社会。出る杭は、無視して無とする社会。わかるかなあ。その息苦しさと伝統のはざまで今でも日本社会は苦しんでいたり、いやそれをあたたりまえのこととして生きている。

一歩、海外にでれば、もはや”ダイバーシティ”という言葉が不釣り合いなほど、”ひっちゃめっかちゃな人生”を生きている人がいる。

友人の一人に、シンガポールに勉学とアルバイトに来ているミャンマー人がいた。その青年は必至に働いて勉強して、母国の母親に5万円もの仕送りを毎月していた(ミャンマー人の平均月収5000円~8000円なのに)。日本人の大学出の新卒社員が、月収20万円の10倍=40万円を送金するようなものだ。毎日、信仰する仏教にしたがって、祈りをささげ、笑顔で、仕事をして夜学校で勉強する。あるインド人は、あてもなく、世界を転々としてアルバイトをして仕事がなくなれば、また他の国で最低賃金の労働を探す。そうかと思えば、高層コンドミニアムで、派手なパーティを開いている富裕層もわんさかいる。フランス人で、若いころにアジア経済に目をつけて、アジアを転々として自分の会社を興して成功している。

あるリゾート地では、あのバリ島地震の津波で家族を失った青年が、残された兄の子供に仕送りするために、インドネシアのリゾート地のホテルのタクシードライバーとして必死に働いていた。一日、2000円くらいで島中を案内してくれて、申し訳なくて、ありがとうって言ったら、いつでもまた来た時には電話してくれと、とびっきりの笑顔をくれた。(こういうときは、少し気持ちを上乗せしたいとこころだけ手渡すのだが、それは泣いて喜んでくれる姿も美しい)

5年ぶりに日本に帰ってきた。朝08:00ごろ、都内。近代的なクリーンな電車に同じような制服の日本人がちょっと思いつめたような顔で通勤していた。東京駅に着くと、なにか非常事態なのかと思うほど、人がごった返し、すごい速度で、走り去っていく。

日本は先進国として、これからどういう立ち位置を、日本にあこがれている人々に示せばいいのだろうか。日本国内で、いじめや虐待や、汚職やそういうことをやってる場合ではない。

少し、世界に門戸を開いて、自分の格となるものを見つめなおしたいと思った





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