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「危機の時に頼るべきは科学者; Anthony Fauci MD」

今回のコロナウィルス騒動は、ある意味で、311のデジャブだった。

当時も僕たち普通の市民は、自分で判断できない不確実性の真っただ中にいた。

放射能リスクだ。

当時の民主党政権の発言に対する信頼感は、今の自民党政権の発言よりははるかにマシだった。でもやはり僕たちには、政治家の言葉が信頼できなかった。

理由ははっきりしている。政治家というものは、どこかで僕たちの生命や生活よりも、何か違った政治的目的のためにそのメッセージを捻じ曲げているという気持ちがあったからだろう。

国民の命より、日米の間にある核政策や、電力会社という企業群の防衛の方を重視しているのではないか。そのため国民に正確な事実を知って欲しくないと思っているのではないか。

さらにマスコミも、そういった政権の意図を忖度して、真実を語っていないのではないか。

それに比べれば、日本の政治状況に利害関係のないNew York Timesに代表される海外メディアこそが真実を伝えてくれるというような、素朴な期待感が一部の日本人にはあった。そしてNew York Timesなどに発表される、日本政府の説明とは食い違うような記事の翻訳がツイッターを通じて、多数流通した。僕もそれに読み耽った一人である。

特に、東京を退避すべきか否かの判断については、各国の大使館の日本に在留する自国民への発表まで読みあさったのを記憶している。

果たして、当時の日本の報道がどこまで偏向していたのかいないのかということについての、検証は僕もしていないし、そういった検証を読んだこともない。

ある意味では、喉元を過ぎてしまったのだ。

今回起こっていることは全く同型的だ。

不安の対象が放射能からコロナウィルスに変わっただけだ。

当然専門的領域だから、専門家が必要になる。

政治家の発言を真に受ける気はしないのだが、科学者の発言を直接に聞いたところで、自分たちにはさっぱりわからなかったからだ。専門家の中でも意見が大きく分かれるため、誰が正しいのかの判断が難しかったのである。

また政権が援用する科学者たちを、御用学者と見る気持ちがどこかにあり、彼らのメッセージを心から受け入れることができなかったのだ。

これは危機的状況の中では致命的である。

この状況は、311の経験の後に改善しただろうか。

むしろ悪化している。

311以後の政治状況を眺めると、日本でも、日本に大きな影響を及ぼす米国、中国に関しても、客観的事実、科学というものへの敬意を持たない政治リーダーの優位が続いている。

曰くFakeの時代だ。

科学や事実による裏打ちのある発言ではなく、インターネットが作り出したボトムアップのファシズム的俗情に結託する政治家の方が人気を集めた。

その申し子とでもいうようなトランプ政権が誕生して以来、景気の良いメッセージが大好物の株式市場では3年間上昇相場が続いた。

FakeかTrueかなどどうでもいいという気分が世の中を支配した。

その何が悪いという気分に社会の大多数がなりかかった中で、今回のコロナウィルスの問題はまさに晴天の霹靂だった。

Fakeで何が悪いと言った僕たちの傲りをもののみごとに打ち砕いた。

Fakeの時代の問題は、危機的、それも本当の危機的状況の中で顕在化する。

トランプの多くの不適切発言は、さまざまな問題を引き起こしてきた。

しかしそれでも米国民はトランプを支持した。

彼が引き起こす問題が対岸の火事だったからだ。

中国を追い詰めても、北朝鮮と融和しても、抽象的な米国民の利益という言葉の応酬があるだけで、自分の生活に対するリアルな影響は実感できていなかったはずだ。

しかし今回、トランプが専門家の意見をさほど取り入れず、俗情と結託した発言の中で、行ってきた数々の施策の間違いが、露呈しつつある。

国民皆保険へと向けた動きを止めたのも、フリーランサーの費用控除に制約を与えたのもトランプである。今回のコロナウィルスが、トランプが追い詰めている人々の生命の危機をまさに生み出したのだ。

そしてトランプが聞きたがらない真実を語るものは体制から追放されるという暗黙の忖度が、今米国でもっとも危険な状況に置かれているシアトルでの初動を遅くした。

習近平の面子のために隠蔽されたことで初動の対応が遅れた今回の問題は、今、アメリカでも同型的な馬鹿げた構造の中で、深刻な状況を増幅している。。

日本もまた例外ではない。オリンピック開催という政治的イベントの実行を忖度して、客観的な発表や報道が差し控えられたのではないかという疑念がぬぐえないのである。

危機的状況の中で、ものごとをさらに悪化させるのは、質の悪い政治的判断とそれに阿る忖度の連鎖なのである。

この負の連鎖を打ち切るにはどうすればいいのか。

ニューヨークタイムスで、今回の危機の中で、切り札として期待されている一人の科学者についての記事を読んだ。

彼の名前は、Anthony Fauci(79歳)

この記事によれば、彼の履歴は以下の通りだ。

彼は、1984年以来NIAID(the National Institute of Allergy and Infectious Diseases)のディレクターとして、6代の大統領につかえている。

Fauci博士は、NIAIDの親組織であるNIH(アメリカ国立衛生研究所)の長官就任要請を何度も断っている。

彼は過去のHIV, SARS、2009年豚コレラ、MERS、エボラそして原罪のコロナウィルスと新しいウィルスの引き起こす疾病と闘う連邦政府の取組を主導してきている。
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彼は 2003年にGeorge W Bush大統領のグローバルなHIV緊急対策の全体図を設計した。

2001年の炭疽金テロの際には、脅威を最小限に伝えようとするブッシュ政権の目論見に対して、「事実として、炭疽菌がバイオテロの有効な武器になり得るという事を否定できない」と主張した。

彼は現在、こういったパンデミックに際しては、大統領を補佐して全面的に国民の説明の場でイニシアティブを取るべき存在であるCDC(Centers for Disease Control and Prevention;アメリカ疾病予防管理センター)のアドバイザーとして、最高説明責任者のような役割を果たしている。

Fauci博士の役割は、科学というものが正確で明晰であるということを正しく人々に伝えるということだ。

たしかにこういった危機的状況の中では、重要な役割である。

アメリカ国民は、こういった医療上の緊急事態において政治家ではなく、科学者や医療関係者の言葉を信用するのである。

トランプの発言の場や、その他、多くのマスコミ向けの発言の場で、Fauci博士の顔を見ない日はないぐらいである。

彼は、専門家として、こういった場所の臆することなく、むしろ踏み込んで説明することが自らの任務であると考えている。

トランプ大統領の気に入らない発言をし、政権からバッシングされるはめになることをおそれて、CDCのリーダーたちやその他政府機関の科学者たちがコミュニケーションを嫌がるの比べると極めて対象的である。そのため彼の顔を見ない日がなくなるのである。

さらに彼はフェアな人間として尊敬されている。例えば、CDCは時折その判断や行動によって世間の非難にさらされることになる。Fauci博士は、当然、間違いに対しては率直に指摘する。しかしCDCが不公正な形での攻撃にさらされている場合には、他の機関であるということを度外視して、彼らを擁護する。こういったフェアな行動というのは、ワシントンという場所の官僚制の中では極めて珍しい。

自分と違う考えの人間を取り込んで新しいアプローチを探るというのも彼の真骨頂である。

AIDSの活動家たちが、1988年に彼のオフィスの前でデモを行った時の話が典型的である。彼らはAIDSの試験薬を即刻承認することを求めていた。Fauci博士は、活動家のリーダーたちを自分のオフィスに招き入れて、彼らを驚かせた。しかも、彼らは、活動家たちと協働で、必要な臨床試験の質を落とすことなく、そのスピードアップを図る新しいアプローチを見つけ出し、その後このアプローチは他の疾病にも適用されるようになった。

世界トップクラスの科学者は数多いが、Fauci博士は、彼独特のスキルセットを持っている。

「コミュニケーション能力、高潔さ、政治に対する理解力がひとりの人間の中に同居しており、さらに科学者を守るためには、政治からどのような距離を取るべきかも知り抜いているのである。」

コロナウィルスに感染した場合、もっとも危険なカテゴリーに属しているが、「自分のことは心配していない。自分がしなければならない仕事ができるかどうかだけが心配だ」と言いきり、走り続ける、Anthony Fauciは、未曽有のパンデミックの脅威にさらされた米国の希望の星なのだ。

というような内容の記事だった。

僕たちも、丁寧に科学者たちの言葉に耳を傾けるべきだろう。彼らの言葉が難解だった場合には、信頼できる人々の声を探す努力もしなければならない。

インターネットの世界では、地道な努力をすれば、信頼するに足りる言葉を紡いでいる人々にめぐりあうことができる。反射神経的にリツイートすることではなく、いったん自分で咀嚼するというリズムが必要なのだろう。

その意味で、noteやMediumのような媒体の果たすべき役割は大きいのだろうと思う。


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