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最後の昼餐

変な夢を見た。

「知らん奴の夢の話ほどつまらんものはない」と思うかもしれないが、本旨は異なるのでブラウザバックするのを待ってほしい。


〜以下、夢〜
勤務中に、突如として人間社会を滅ぼそうとする輩が現れた。輩は天候を操り、地震をも引き起こした。天変地異を意のままにする輩に人々は恐れを抱いた。(この時点ではダメージ0)

少し経って、何の前触れもなく日本にミサイルが落とされた。ミサイルのダメージ感はハッキリしないが、こう報道された。
「今日が地球最後の日です。」

地球最後の日になってしまったので、仕事も昼頃には終わって解散した。家に帰る途中、電車の駅のホームには何故かアメ横風の居酒屋が出来、賑わいを見せていた。
私はとりあえず家に帰り、昼ごはんをどうするか考えながら、妻と合流するー

ところで目が覚めた。
長々と夢の話をして恐縮なのと、深層心理を曝け出しているようで小っ恥ずかしい。

目が覚めてすぐ、頭に3つのことが浮かんだ。
1つめは「まぁ夢だよね」
2つめは「あ、妻いる」
3つめは
「人類最後の日の昼メシ、どうしよう⁇」

人生が今日終わるとしたら何をするか。
誰もが一度はふと思うはず。老若男女問わず。

趣味を思いっきり楽しむとか、親友と語るとか、大好物を食べ尽くすとか、普段は危なくてできないこととか色々思い浮かぶのではないだろうか。 

しかし、滅ぶ日の昼メシ?
そもそも死ぬ日を食単位で考えたこともないが、夕飯ではなく昼メシ?

夕飯ならば、焼肉屋で暴飲暴食やら高級レストランでコース料理など思いつく。
昼メシもラーメン、定食屋、カフェなど思いつくのだが、「明日死ぬよ」と言われてしまうとどの選択肢も弱々に感じてしまう。 

シンプルな考え方として、一番好きなものを食べるで良いように思えるが、事態はそこまでシンプルではない。
明日死ぬ、けどまだ午後が残っている。この昼メシチョイスをミスれば人生最後の午後を棒に振る可能性が高いのだ。

昼メシってのは1日の中で結構重要なファクターなのだが、夕飯に比べて軽視されがちな風潮があるように思える。
昼に食べ過ぎれば午後にできることは限られるし、逆に質素にすれば時間を有効に使えるがパワーが出ない。昼からアルコールを摂取すれば気分は最高で、その日は昼メシ自体が娯楽になりえるが、以降の行動の選択肢は狭まる。

私なりの現時点での最適解は、
・当然、大好物といえるもの
・以降の行動に影響を及ぼさない 
⇨腹八分目程度に収まる、体調を崩す要因になり得ない、異臭がしないetc.
と考え、あてはまるのは
「あっさり目のラーメン並盛(手打ち麺)
であろうか。


↑一例(らーめん改 貝出汁ラーメン)

一方で、死まで残り僅かな食事回数なので、好き度の高い濃厚つけ麺も捨てがたく、後悔する可能性もある。非常に悩ましいが、昼メシ以降アクティブに動くために満腹にしないのが無難であろうか。難しい問題である。

と、変な夢から思うのであった。

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