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デザイナー 高山淳平・猪野麻梨奈・山本蛸 -TDP生のストーリーマガジン【com-plex】 Vol.1- [前編]

デザインだけではない、これまでの経験が活きていく。東京デザインプレックス研究所の修了生を追ったストーリーマガジン「com-plex」。

第1回目は、東京デザインプレックス研究所の修了生である高山淳平さん・猪野麻梨奈さん・山本蛸さん。各々がフリーランスデザイナーとして活動しており、現在は、複数のフリーランスのデザイナーや映像クリエイターらと原宿に共同事務所を構えています。今回は、3人に会社を辞めてフリーランスになった経緯や現在の活動についてお話を伺いました。

※以下、敬称略。



「いっそ、仕事場借りちゃうか」事務所内での受発注

グラフィックデザイナー / アートディレクター 高山淳平さん

――まずは、3人で事務所を借りることになった経緯を聞かせてください。

高山:私は2人(猪野・山本)よりも先にフリーランスで仕事を始めていました。当時、私は事務所を探していたのですが、値段が高くて1人では借りられずにいて。そんなときに2人が同じ時期に会社を辞めたと聞いて、3人で明治通りの喫茶店でお茶をしたときに、「いっそ、みんなで仕事場借りちゃうか」といった感じで(笑)

エディトリアルデザイナー 猪野麻梨奈さん

猪野:事務所を1ブース借りるのに、渋谷だと相場はだいたい5万円ぐらいでした。だったら3人でワンルームの部屋を借りたほうが、荷物も置けるし、気兼ねなく使えるからいいんじゃないかなという話になりました。そのとき、たまたま下高井戸に六畳一間のアパートが5万円で出ているのを見つけて。部屋の2倍くらいの広さの屋上が付いている変な間取りが気に入って、勢いでその部屋を借りたんですよね。

高山:「事務所をいっしょに借りてみよう」から内見の予約まで30分しかかかってないです(笑)

――そんなに急に決まったのですね(笑)

グラフィック・Webデザイナー / イラストレーター 山本蛸さん

山本:勢いですね。私はフリーでやっていこうか迷っていたところでした。だけど、ちょうどいいタイミングだったので、いっしょに借りることにしたんです。ちなみに、その日、私は熱があり、意識が朦朧としていて……。「おれ、金ないっすよ」と言ったら、2人に貸し付けられて、気づいたら借金ができていました。

高山・猪野:(笑)

――では、下高井戸から原宿へ事務所を移転した経緯を教えてください。

猪野:3人で下高井戸の事務所に1年半ほどいて、もっと仕事や交流の幅を広げたいということで追加メンバーを探すことになりました。その後、知人のクリエイターが何人か加わって、今の原宿の事務所に引っ越したんですよ。

山本:今はデザイナーや映像クリエイター、カメラマンなど6名が在籍しています。一時は幽霊部員も合わせて10人くらいいましたね(笑)。他にも色んな人が出入りするので楽しいですね。

――共同事務所のメリットやデメリットはありますか?

山本:表裏一体ですが、良くも悪くも友人の延長という感じです。メリハリが難しいですね。

猪野:必要以上に事務所に居座ってしまうことはよくあります(笑)

高山:私は2人よりも先にフリーランスになりましたが、1人でやっていくことは本当に寂しかったんです。その場に人がいるってことは、私にとってはメリットですね。

猪野:あとは、事務所内で気軽にコミュニケーションを取れるのがいいです。ちょっとしたことでもすぐに相談できるので。そのまま事務所内の受発注になることもよくあります。

高山:それぞれ得意としているジャンルが違うので、クライアントから受けられる仕事の幅も広がりましたね。


「江戸から令和まで」なんでも引き受ける

――みなさんの独立した経緯を聞かせてください。

高山:私は就職できずにフリーランスになりました……(笑)。ただ、TDP(東京デザインプレックス研究所)在学中に酒蔵の友人から仕事を受けることが度々あって。そこで実績を作ることができました。そうした仕事が1つあると、人づてに紹介してもらったときに実績を示すことができたので、それ以降は紹介が続いていきました。

――フリーランスになってからはどのような仕事を受けていましたか?

高山:あまり何が得意というものはなくて、なんでも受けてしまうクセがありますね。企業向けの資料やシステム開発の画面設計などの堅い仕事から、女子高生向けのかわいいWebサイトの制作まで、幅広くやっています。そのほかは、今も酒蔵の友人から仕事を受けています。

――そこまで幅が広いと、ターゲットごとの分析とかも必要になりますよね?

高山:そうですね。女子高生向けの仕事は2、3年ずっとしているのですが、クライアントのほうが女子高生のことをよく理解していますから、協力しながら進める感じです。そこで自分なりに最適だと思うものと擦り合わせています。

――高山さんのお仕事は「日本酒から女子高生まで」ということですね。

高山:はい、「江戸から令和まで」ですね(笑)

山本:3人の中では、高山さんは大手企業の仕事が多いイメージがあります。マスに向けた仕事をするイメージ。広告系とかLPとか。

猪野:ディレクション仕事も多いですよね。高山さんがディレクションを行い、事務所のメンバーに映像や写真だったり、コーディングの手配をすることが多いと思います。

(左)cl:石井酒造  元号改訂に合わせて作った日本酒のボトルのデザイン
(右)cl:花王  YouTuberくれいじーまぐねっとを起用した若年層向けのwebサイトのアートディレクションおよびデザイン / コーディングは山本さんが担当


「再就職も考えていました」出版社を辞め、フリーランスへ

――猪野さんは、どのような経緯でフリーランスになったのですか?

猪野:フリーランスになる前は出版社で2年間、雑誌のデザインを担当していました。いずれはフリーランスになりたいと思っていたので、そのために会社で経験を積む必要性を感じていましたね。実績のないフリーランスでは、出版関係のつながりを作ることは難しいので。

――2年間でエディトリアルデザインは身に付きましたか?

猪野:就職した会社がアシスタントからではなく、入社してすぐに担当案件を持つような会社だったので、そのおかげで仕事量も多く、自信がつくまでにはできたかなと思います。間違いなく、その2年は私にとって必要でしたね。

――会社を辞めてからはフリーランスに?

猪野:会社を辞めた後は、一度別の会社で経験を積もうかと思っていたのですが、色々あって転職の話が流れてしまい……。そこで、なし崩し的にフリーランスになりました。ですので、仕事を辞めてからの1年は、このままフリーランスを続けていけるのか、それとも再就職か、どうなるかわかりませんでした。

――会社を辞めてから1年間はどうでしたか?

猪野: 1年目は、TDPのスタッフとして働きつつ個人の仕事をしていたのですが、フリーデザイナーとしての収入が厳しかったら再就職を考えていました。だけど、たまたま知人が『Guitar magazine』という雑誌の編集をやっていて、そのデザインをやらせてもらえることになったんです。月刊誌だったので、コンスタントに依頼があり、なんとか食べていけるかなと思い始めていました。私にとって、かなり大きな仕事でしたね。そのおかげもあって、1年目に目標にしていた年収をクリアできたので、続けてみようかなと。そこから5年ほどの付き合いで『Guitar magazine』のデザインをやらせてもらっています。

猪野さんのフリーランス転向へのターニングポイントとなった雑誌『Guitar magazine』


「会社の目的意識」に共感するかどうか、それが大切

――山本さんは、TDP修了後はどのような進路に?

山本:私はWebサイトの制作会社にデザイナーとして就職しました。在籍期間は2年弱くらいです。一度は転職するかどうか迷っていたのですが、Webだけでなく紙媒体の仕事もやりたいと考えたときに、やはりフリーランスがいちばんいろいろやれるなと。会社に所属すると1つに絞る必要があることが多いので。それよりも、フリーランスでいろいろと楽しみたいと考えましたね。

――フリーランスになってからはどのような仕事をしていますか?

山本:TDPではグラフィック(主に紙媒体のデザイン)、会社ではWeb、あとはイラストと色々やってきたので、出来る仕事はなんでも受けようと思っていました。結果的に、今はWebの仕事の割合が多いですね。

――その中でも印象的な仕事はありましたか?

山本:生態系などの教育サービスを行うベンチャー企業があるのですが、そこのWebサイトのデザインとコーディングなどをやらせてもらっています。それは「Webだから」「広告だから」といった媒体の楽しさというよりも、「会社の目的意識」に共感して引き受けました。その意義の中に楽しさがありますからね。そのほかだと、友人が制作している『LOCUST(ロカスト)』という同人誌です。彼らは自分たちのやりたいようにやっていて、私も彼らを尊重しながら、自分がやりたいことをやっています。

――どちらの仕事も共感がともなっていますね。

山本:そうですね。やりたいことに共感できるかが、私にとって大切です。

山本さんがエディトリアルデザインを手がけた、旅×批評がコンセプトの同人誌『LOCUST』


フリーランスによる紹介のつながり

――みなさんは、フリーランスになってから営業などはしていますか?

猪野:3人とも、営業はほとんどしてないです。基本は人づての仕事ですね。

山本:私は大学を卒業してからTDPに入っているので、まわりよりも就職が少し遅れていました。なので、私が独立したタイミングで、友人たちが仕事を振れる立場になっていたんです。ちなみに、さきほどのベンチャー企業の仕事はTDPのクラスメイトから紹介された仕事です。

――フリーランスになるにあたって、やはり人のつながりは必要ですか?

高山:1本あると違うと思います。

山本:逆に言うと、つながりがなくても営業すればフリーランスでもやっていけると思いますよ。

高山:フリーランスだと大企業の仕事は少ないのですが、ベンチャー系の企業など、代表の方と直接話をする機会が多くなります。そうすると、そこに出入りしている別の会社の方、決裁権を持っている方ともつながりを持てて、「一度、うちでやってみる?」という流れになりやすい。フリーランスでは、そうしたつながり方もあると思います。



今回のインタビューでは、事務所を共同で借りることになった経緯や3人が独立した経緯などを伺いました。

目標や理想はあっても、思い通りに行かないこともあります。ただ先を見据えるだけではなく、目の前の障壁に対して、どのようにアプローチするのかが肝心。3人の言葉からはそんな姿勢を感じとることができました。予定していた未来と違う結果になったとき、どうするのか。予想外の出来事に直面したとき、これまでに培ってきた技術や経験、そしてつながりが活きてきます。3人の「今」があるのは、その結果ではないでしょうか。

後編でも引き続き、TDP入学時の心境や在学中の取り組み、そして、美大卒ではないデザイナーの葛藤など、今を活躍するデザイナー3人にお話を伺います。

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[取材・文]岡部悟志(TDP修了生) [写真]前田智広

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