『不易流行』−私の解釈

「不易流行」
かの松尾芭蕉の「去来抄」にある俳諧理念に由来する言葉だ。私にとって金言であり生きる上でのポリシーでもある。様々な解釈が存在するだろうが、私は「日々移りゆく変化(流行)から目を背けることなく、むしろ向き合うことで変わらない物事(不易)の本当の価値に気づくことができる」と解釈している。つまるところ、「流行に目を向けられなれば不易を語る資格はない」と言うことだ。

初めてこの言葉に出会ったのは大学2年生の頃。「温故知新」という言葉に違和感を感じ、辞書を読み漁りたどり着いた。古いだけのものに意味はない。明治維新後、頑なにちょんまげ姿を貫く侍に何を感じろと言うのか。新しいことへ目を向け、経験してこそ、古いものの価値を真に感じることができるものだ。

大学卒業後、私は百貨店に入社した。小売業は経済や社会の変化に敏感に反応する。とりわけ百貨店は、長きにわたり消費行動の移り変わりを直に見てきた。しかし今、テクノロジーの進化により、かつてない変革が訪れている。経済学者である伊藤元重は、「情報武装化する消費者に選ばれなければ生き残りはない」と百貨店のIT化の必要性を説いている。だが、「不易」にまみれたものたちは、「結局接客だよね」「やっぱりリアルがいいよ」と言うだけで進化することに後ろ向きだ。確かにその通りかもしれないが、10年前皆がスマートフォンを見ながら街を歩く光景を予想していたかだろうか。ぎこちないロボットが天才棋士を打ち負かす場面が想像できただろうか。恥ずかしながら私はできなかった。それだけ変化のスピードは「異常」なのだ。だから、「流行」を内側から眺め、いち早くそれに気づき応用できる存在でなければいけない。そう感じ今はITの分野に身を置いている。

悪口のようになってしまったが、今でも百貨店や小売が大好きだ。その役割は変化するわけで、その変化に対応できれば他に真似できない最強のエンターテインメント空間になれると信じている。そのために「流行」に目を向け「不易」の価値を見極めていくべきだ。

さて、今回私が百貨店時代の戦友と「東京都構想」を寄稿しようと思ったのも、同様の気持ちからだ。東京五輪を直前に控え、首都東京も「異常」な変貌を遂げている。しかし、そこには変わらないものもある。本当の東京の価値とはなんだろか。大きな変革の真っ只中だからこそ考えるべき、重要なテーマではないだろうか。変化の中で東京はどう変わるべきなのか。そして私たちはどんな東京を望むのか。東京の経済、街づくりに貢献してきた(であろう)我々も首都東京の未来を考えたい、発信したい、そんな想いが、「東京都構想」を始める決意を後押しした。

不易と流行はどちらも同様に価値があるものだ。しかし、もっと重要なのはそこからどんな新しい価値を生み出せるかだ。これは東京の可能性を探る活動である。不易、流行、あらゆる観点から、都市東京を眺めどんな変化をしたいか発信していきたい。

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