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萱岡雅光|大野人 in 宮城 気仙沼|足元から地域を見つめ直す専門家

「大野人 in ____」とは、「大野人※」を一人お招きし、7つの質問を通して「大野」を考えるきっかけをつくる、生配信インタビュープロジェクトです。
※大野人(おおのびと)=福井県大野市に住む人、大野生まれの人、大野が好きな人など、大野になんらかの縁がある人。
第二弾は、第一弾で登場してくださった早川光さんの中学時代の同級生、萱岡雅光さん。大野には全然帰っていないといいつつ、気仙沼で人と文化と歴史を見つめる専門家ならではの、大野を見つめ直す視点をいただきました。

Q.1 簡単なプロフィールは?

いまは宮城県の気仙沼市、宮城県で一番北、辺境の地、に住んでいます。仕事は気仙沼市にあるリアス・アーク美術館で学芸員をしています。出身は、大野市の阪谷地区で、阪谷小→尚徳中→大野高校のあと、大学は富山大学にいき、大学院で筑波大学にいきました。修士課程の途中でやめ、岩手県盛岡市の教育委員会で非常勤として文化財にかかわる仕事を1年やりました。その後、いま働いている気仙沼のリアス・アーク美術館で働き始め、6年くらいになります。いまは31歳で、東日本大震災があったのは大学3年生のときだったので、盛岡や気仙沼に移り住んだのは震災後です。

Q.2 いまどこでなにしてるの? 

リアス・アーク美術館の民俗・文化担当学芸員

僕が学芸員として働いているリアス・アーク美術館の「リアス」は三陸海岸のリアス海岸、「アーク」は旧約聖書のノアの方舟(アーク)を指しています。三陸地域の地域文化や思想や美術作品を未来に残す方舟たる存在になろうという美術館です。
美術館といいながら、美術だけではなく、地域の民族・文化、震災と3種類の常設展示をおこなっていまして、僕は地域の民俗・文化を担当しています。
気仙沼に来る前、富山大学では文化人類学を専攻していて、大学院では民俗学的なところにも触れていました。僕の専門は地域のお祭なんですが、地域文化や伝統的な暮らしのあり方を研究し、盛岡では市が指定した文化財に関する調査の仕事を非常勤でしていました。その流れで、このリアス・アーク美術館の募集に引っかかって、ここで仕事をさせてもらっています。

生きている人間を相手にする人類学や民俗学を選んだ

なぜ文化人類学にすすんだのかという理由と生まれ育った大野をつなげて考えてみると、大野は星がきれいで、隣の勝山では恐竜の化石がみつかったりしてることが関係しているかもしれません。小学生のころから、未知のものに対するワクワク感を持っていて、そういうものを探求する仕事に就きたいと考えていました。大学進学後、1年生から2年生の進学時=ゼミ選択時、考古学や歴史など、自分の好きなものを並べて考えてみたとき、自分が好きなものは、歴史の流れではなく、歴史の中に生きている人や感情の部分だということに気が付きました。だから、歴史よりも、人類学や民俗学のほうが自分にあっているのではないかと思いました。
当時の自分の解釈としては、歴史学は当時の文献を読み解き、考古学は土の中に埋もれたものに向き合う学問の一方、人類学や民俗学は今生きている人間を相手にするという違いがあって、そこに魅力を感じたのだと思います。

「海と生きる」気仙沼で「山と生きる」展示

リアス・アーク美術館の民俗展示テーマが食文化で、地域の魂というか魅力を再発見しようとしています。なので、食に関する展示をやることが多いのですが、例えば、気仙沼の山の魅力を再発見する「山と生きる」という展示をやりました。みんな気仙沼というと海というイメージがあるかと思うんですが、海だけではなくて、山のほうの文化や歴史の影響がとても大きいんです。気仙沼は「海と生きる」というキャッチコピーで売り出しているので、あえてそれに対して「山と生きる」という展示を企画しました。

リアス・アーク美術館の建築は、石山修武さんの作品で有名なので、建築家の学生さんたちがやってきて、写真を撮って、チケットを買わずに帰っていくこともあります(笑)

Q.3 大野との関係は?

大野を出てから大野には、盆正月を含めてあまり帰っていません。特に今はコロナの影響もあり帰っていません。ただし、大野に残った友人やUターンで帰った友人は複数人いるので、彼らとは積極的に連絡をとっています。今回も、この「大野人 in ___」の「次に出演する大野人」を探そうと、彼らにも声をかけたんですが断られました(笑)代わりに、大野から「けんけら」を贈ってもらいました(笑)こういうものに地域の魅力が凝縮されています。

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こちらに移住してきた福井県出身の人はいるんですが、大野の人とは会ったことがないので、大野にいる家族や仲の良い数人と連絡する以外で、大野の人との交流はないですね。

Q4. いまの大野はどう?

海がある町における山の暮らしと、盆地の町の山の暮らし

高校を出てから10年くらい経った、3,4年位前の大野しか知らないのですが、高校卒業時と違いがあるかというと、ほとんど帰っていないのでわからない(笑)気仙沼から大野まで帰ろうとすると、東京まででて、そこから北陸新幹線に乗って…と遠いので、ほとんど帰ってないんです。帰るときも、大野に帰るというよりは、大野の友達に会いにいく感覚です。
ただし、地元のこと、大野の食のことを研究したいとは思い続けています。
大野盆地を自分の家から見渡せる阪谷で育った自分が、海のある気仙沼に住んでいますが、海がある町における山の暮らしと、山しかないところの山の暮らし、そして、山と平地があるところの山の暮らしを比較することで、海や平地について見えるものがあるかもしれないと考えています。

Q5. これからやりたいことは?

ニュートラルな立場からみえること

この地域は、震災から10年が経過して、課題やら問題がみえてきているところです。気仙沼、特に唐桑半島は、震災後、都会から移住してきた人がすごく多い地域です。彼らが公と連携して、いわゆる「まちづくり」を積極的に起こっています。ニュートラルな立場で、ぼく個人の意見としては、正直あまりうまくいっていないところもみえてきます。いわゆる「まちづくり」や地域おこしの活動で、地域の足元、地層的な視点、自分がいま当たり前のように立っている地面の下には今まで何が蓄積されてきたのかという視点が、まだまだ抜けていると思います。そういう部分を、地域の中で専門家として発信していきたいと思っています。
気仙沼に来たときは、どれくらいここにいようかと考えていたんですが、最近は、この地域には、そういう見方でものを見る専門家は必要だと思いまして、しばらくはここにいようかと覚悟を決めたところです。

自分は被災者ではないことを問い続ける

大野出身で、気仙沼の民俗や文化を研究するというのは、良い面と難しい面があります。とくに地域社会で生きるというのは難しいところがあります。が、外から来た人だからこそ、いろんなしがらみにとらわれず、一個人としてものをいえるということが良い面かもしれません。既存の所属がない分、異なる研究対象からもフィードバックをもらえることもあります。
そして、一番大きいのは、自分は被災者ではない、ということです。被災した方を代弁する展示をするときに、自分は被災者でないという迷いは常にあります。果たして自分が代弁者になっていいのかという。

Q6. これをみている大野人へのメッセージは?

世界に対する好奇心を育んでくれたのは、不思議なものがいっぱいある、大野の風土だと思っています。でも、僕が大野にいたときは、大野って面白いところだと思っていなかったですし、いま大野にいるひとの半分くらいはそう思っていないというか、面白さに気がついていないと思っています。
例えば、観光の話になったとき、みんな気仙沼にしかないものを探そうとか、大野にしかないものを探そうとしてしまうんですが、基本的にそんなものはありません。どんなところにも似たようなものはあるし、差異による価値付けはこのグローバルな世の中では意味がなくなっています。そうなると、自分の足元、地層から考えるしかなくなります。地層といっても歴史だけじゃなく、地形や風土も含めて、自分の足元を見つめ直してみれば、面白いことがたくさんわかるんじゃないかと思います。そうすれば、誇りに思えることが大野にも見つかると思います。

Q.7 次に出演する大野人は?

この「大野人 in _____」の企画意図とは違ってきてしまうのかもしれませんが、大野出身で大野以外に住んでいる人の話ばかりを聞いていると、大野にいたら活躍できないのでは?と思ってしまうかもしれないので、大野に住んで大野で活躍している人の話が聞きたいです。

本記事は、生配信インタビューでの会話書き起こしをもとに、企画者側で表現など多少変更を加え、再構成したものです。一人称名称などできるかぎりお話になったとおりを心がけていますが、会話をテキストに落とし込む関係上、ご本人の話された内容に多少表現上の変更が加わっていることをご了承ください。


東京912は福井県大野市出身のボランティアメンバーで運営しており、「大野人 in 東京」に出ていただく方々にも無償でインタビューを受けていただいています。が、多少の経費はかかっていたり、年に数回開催するイベントは基本赤字です笑 サポートいただけるようでしたら、大変ありがたいです。