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TOWER RECORDS哀歌

先日、何年振りなのかもわからない程久方ぶりにタワレコへ赴いた。理由は気が向いたからとしか言いようがないのだが、其処で私は愕然とした。在ったのは私の知るタワレコの姿ではなかったからだ。
根本的なフロアデザイン等の話ではなく、レコード店としての在り様が大幅に異なっていた。

私が足繁く通っていたのは今から二十年程前、専門学校の帰り道にタワレコを覗いてからバイトに向かうのが一つの習慣であった。発刊されていたフリーマガジンを読み漁り、snoozerやremixの新刊をチェックし、視聴機に齧り付いて最先端の洋楽や、往年の名盤などを貪るように聴いていた。
タワレコは当時、疑い様なく流行の文化発信拠点であった。十代の若者から、初老の紳士淑女までがヘッドフォンを耳に多種多様な音楽との出逢いを愉しんでいた。
店員のリコメンドを一言一句欠かさずに読み、時には耳目の早い彼らにものを尋ね音楽知識を深めた日々を今も覚えている。彼らは当時確かにクールであった。個性的な髪型やアクセサリーを身につけながら、揃いのエプロンがスタイリッシュに決まっていて、壁に掛けられた清志郎や峯田和伸のポスターが彼らの美徳を肯定している様にも感じられた。
当時のシスコやマンハッタンレコードの店員が、タトゥーや過激なピアスを着こなし、少しアウトローな印象であったのに対し、タワレコ店員は幾分かマイルドでスマートな佇まいで、憧れめいた眼差しを多くの人々から集めていた様にも思う。
そして、そんなタワレコは今はもう見る影もない。

フロアの八割方はJPOPやKPOP、アニソンに埋め尽くされ、洋楽コーナーは全体の二割にも満たず(其の内の半分近くは年長者を相手にしたクラシカルなコーナーだ)新しい音楽との出逢いなど望むべくもない。試しに私の好きなアーティストのCDがどの程度置いてあるかと見てみたら、HIPHOP棚の「F」の欄にはフージーズの「THE SCORE」一枚のみしか置かれておらず、なんとも目を覆いたくなった(大名盤ではあるのだが)。
そして隅に押しやられた洋楽たちに取って代わる様に鎮座している概念があった。それは「推し活」である。
実際HMVやヴァージンなどが辛酸を舐める中、タワレコは一人勝ち状態にあり、聞けば「アーティストを応援するユーザーを応援する店」へと舵を切ったそうだ。サブスク浸透以降、レコードは価値を失い、世界中で売上が激減し、次々とレコード店が潰れていく中、タワレコは売り物を変えた訳だ。
フロアの一部にはライブブースの様な一画があって、キラキラとした衣装を纏った男の子たちがファンと握手などの交流をしている様であった。ジャニーズの新しいユニットとでも紹介されれば腑に落ちる様な容姿であったが、観客は十名足らずであったので恐らくは地下アイドル的な存在なのであろう。壁には私には使い途の想像もつかない「推し活グッズ」なるものが陳列されていた。
また店員たちにあの日の輝きは感じられず、エプロンを取り替えればDAISOの店員とも区別がつかなかったであろう。
他方、その前に寄ったdisk UNIONの店員たちは活き活きとして見えた。観賞用にお気に入りのアルバムの紙ジャケット中古CDを3枚買って帰ったのだが、盤状態の確認を遠慮した私の購入意図を察したのか、少しニヤついた笑顔をいただいた。レジ袋の有無など尋ねるまでもなく、さぁバッグに仕舞わずUNIONのレコード袋を手に提げて街を歩いてくれと言わんばかりの笑顔でレシートと商品とを手渡された。

言うまでもなく、時代は私たちの志向など気にも止めずに通り過ぎてゆく。クールな者も、驕れる者も久しからずである。サブスク時代にレコード店に懐古的に何かを求めようと言う方が無理筋なのだ。
時代は変わる。然れどどうかポジティブな変化であって欲しいと望むのは主観的な傲慢だろうか。
嘗て、耳コピに悪戦苦闘したギターソロはSKIPされる時代になり、デザインの格好良さに胸を焦がしたレコードジャケットは、スマホからではディテールがよく見えない。
芸術への評価は主観的なものから、レビュー系youtuberがつける星の数に取って代わられ、生活費を切り詰めて積み上げたレコードの山は、応援グッズにその姿を変えた。

店を去る際に目にしたポスターの中の奇妙礼太郎は白装束に身を包み、微笑むでも怒るでも嘆くでもなく、随分と遠い目をしていた。ポスターには彼のこんな言葉が記されている。

「ハートに触れた ただそれだけを頼りに 生きられる」
私にもそんな時代があったのかも知れない。


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