見出し画像

「私は○○なタイプだから」は、全て嘘である。

人は何かとカテゴライズしたがる生き物である。自分は「綺麗好きなタイプ」、「理論派タイプ」、「大雑把なタイプ」、「気が短いタイプ」、「遅刻しがちなタイプ」等多種多様なものがある。
然しここに断言しよう、それらは嘘であると。

何故ならばそのタイプは対義語となるタイプとの両立が可能であるからだ。例えば「綺麗好きなタイプ」の対義語は「散らかし屋さんなタイプ」等になろう。綺麗好きである事が自身の備え持った気質なのであるとしたら、何時如何なる時も綺麗でなければ可笑しいし、後者の場合は万事に於いて散らかしていないと辻褄が合わない。そして実際に、私のデスクは非常にとっ散らかっているが、私の住まいは綺麗に片付いてある。
また「せっかちタイプ」な振る舞いをする事も「のんびりタイプ」な場面もよくある。そしてこれらの矛盾は全てコンフォートゾーンの違いで全て方が付く。

コンフォートゾーンが何であるかについては、有名な概念であるため仔細な説明は省略させていただくが、簡単に言えば「人間の脳は自分にとって心地の良い領域に留まろうとする性質が備わっていて、その領域から出てしまうと、その領域の内へ戻そうとする力(ホメオスタシス)が無意識下に於いて発動する。」と言ったものである。
私の住まいが綺麗である事に対して、私は非常に居心地の良さを感じており、少し散らかるとホメオスタシスが発動して片付けをしてしまう。一方で私のデスクが散らかっている事は、その状態を望んでいる訳では当然なく、単純に私のコンフォートゾーンは机の上には存在していないと言う事だ。私がビジネス面に於いて居心地の良さを感じるのは「自分の仕事や成果に対してクライアント等から満足いただけている状態」であり、逆にそうでないと苛烈に居心地が悪くなってしまう。
そしてその居心地を守る為であるなら、デスクなど如何なろうと知った事ではない。

15年前、私の上司は当時、気が狂っているのかと思うほど徹夜仕事をする男であった。深夜までの労働など当たり前、完徹する事もそしてそれが続く事も珍しくなかった。私はそれに付き合わされウトウトと頭を揺らしながら、何故この男はこんなにも働くのだろうと辟易していたものだったが、なんの事はない、睡眠不足で過労な状態を代償としてさえ、自身のコンフォートゾーンを守りたかったのだろう。
同時にそんな過酷な職場環境が罷り通る時代でもあった訳だが、当時の上司は察するに徹夜をしていてもさして苦ではなかった筈だ。

よく「A型は几帳面タイプ」や「B型は自己中」等と言われるが巫山戯た話である。血液型占いを信じる信じない以前に、1億人以上を僅か4パターンに分類出来る訳がないし、四六時中几帳面な人間が居る訳もない。自己中心的な振る舞いをする時もあれば、献身的な行動をとる時も誰にだってある筈だ。

そして重要なのは「自分は○○なタイプだから」と自分で決めつけていると、一生そこから抜け出せないと言う事である。ポイントは他人ではなく、自分が決めていると言う点だ。自分自身が○○タイプとの烙印を押せば、その領域はネガティブなものであったとしても心地良さを生じさせかねない。つまり望まない状態ですらコンフォートゾーンになり得る訳だ。

例えば、ゴミ屋敷に住んでいる人に対して多くの人は共感出来ないだろう。如何して掃除をしないのか、何故そんな状態で住んでいられるのかを不思議に思う筈だ。然しゴミ屋敷住人は頭がイカれている訳でも、常識が無い訳でも全くない。彼等の多くは、こんな所に住んでいる自分に対して強い羞恥心を持っている。
自分の事を「ゴミ屋敷に住んでいる様な片付けの出来ないダメな自分」と言うタイプであると、他ならぬ自分自身が決め付けている為、片付けようとしてもホメオスタシスが働き、ゴミ屋敷状態を維持してしまう。

「ネガティブな心地良さ」なんて無いだろうと思うかも知れない。然し人は「可哀想な自分」に慣れてしまうと、可哀想さを保とうとしてしまう生き物だ。

両親が離婚している家庭で育った子どもは、将来自分自身も離婚してしまう確率が、そうでない子どもと比べて高くなると言う話は聞いた事があるだろう。離婚確率が相対的に少し上昇するなんて可愛いものではない、その差はなんと3倍である。
服役を終えた受刑者は、刑務所で過ごす辛さを誰よりも熟知している筈であるに関わらず、満期出所者の凡そ2人に1人が再び罪を犯すと言うデータもある。
ついつい不幸自慢をしてしまう者や、被害妄想の強い者、何時も愚痴ばかりを口ずさんでいる者も同じ事が言えるかも知れない。悲劇のヒロインとは、耽美でもあるのだ。

重要なのは、自分で自分を負の方向へ決め付けない事である。
自分はガサツだから、キレやすいから、面倒臭がりだから、不器用だから、ネガティブだから、行動力が低いから、コミュ障だから、人見知りだから・・・
そんなタイプ分類を維持した所で、哀しいくらいに損しか無い。

永らくそう生きてきたのだから変えられないと思うかも知れないが、違う。自分自身が決めているのだから抑も変わる訳が無いのだ。
他人から「貴方は○○なタイプだ!」と罵られたら、腹が立ったり悲しくなったりするのかも知れないが、所詮は他人からの決め付けである。自分の価値観が変わる程の事では無い。
但し、自分が決めたのであれば、それは価値観を変える程の事である。

自分は不幸なタイプだと決めて仕舞えば、一生幸せになることは無いし、これからは幸せになれるように頑張って生きるのだと決めて仕舞えば、必ず幸せになれるのである。

ギターを弾ける様になるんだと決めた者は、技術の度合いはさておき弾けるようにはなっただろうし、美容師になると決めた者、海外移住をすると決めた者たちは皆、押し並べて実現した筈だ。
無論程度の差はある。政治家になろうとしても皆が皆なれる訳では当然無く、志半ばで挫折してしまう者も少なくないだろう。然し、決めさえすれば、少なからず目指せるのだ。

人見知りタイプだから社交は無理だと閉じ籠って生きる一生と、少しでも多くの人と喜びを分かち合えるように変わろうと頑張って生きる一生。

そのどちらが幸福な人生なのであるのかは、恐らく、語るまでもない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?