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『小説』 オートマティック外伝 5. 6.  あいつとおれ  🍒


5. あいつ、参上

 ああ。
満腹。

 二時間かけて、
食べつづけた。
その割には何を食べたのか、おぼえていない。
あまりに急いで食べたせいか、
あるいは腹がへっていたせいなのか、
目についたものから食べてしまったから。
食べる前、
腹へったときはあんなに食べたいものが目の前に浮かんできたのに、
いざ食べるときになると、なんでもいいや、なんて。
人の食欲というものはわからないもの、
というよりおれだけかもしれない。
だから、食べる描写も感想もなし。

 それからまた、体が走りだそうとした。
さすがに食後すぐは体に悪い、調子がよろしくない。
そこで店を出て、
歯もとを爪楊枝でついついしながら散歩がてら歩き始めた。
まあ、どこ行くあてのない身、歩くまま気ままよ。

 それに腹いっぱいになれば、そこはそれ。
酒を飲みながら、
いまはウイスキーをかたむけながら、そばには若い女性がいるといいなと思う。

 ふとなにげなく顔を横に向けると、
おおっ、通りの横道はネオン街。

 そうか。
ここらあたりは飲み屋が密集する繁華街。
いまはまだ暗くないので、営業はやっていないだろう。
そう思いながらもなんとなく、ぶらっと横道に入っていった。


 夕方近く、
建物の隙間からくる風も心地よく、
食事のあとのゆとりもあってひとりゆっくりと付近の店を歩いていた。
祭りの前の少しざわざわしている感じ。
店の従業員だろうか、
若い兄ちゃんが玄関を掃除したり、水をかけたりしている。
なんともはや何の急ぐ必要がなく、
店の部外者的に気楽に見れるおれにとって、とても優雅になれる心地だった。

 もうすぐ店が開くだろうと思われる風情のなかをひとり悠然と歩きながらも、
やがて訪れる夜のざわめきが聞こえてくるようだった。

 これから始まるわよ、
夜のネオンの物語。
色とりどりの若い蝶の群れが飛びかう、この場所あたり。
のんびり、ネオンを眺めながらなにげなく歩いていた。
いきなり横から、
急に、
誰か飛びだしておれにぶっつかった。
若い女性だった。
店の玄関から出たところで、おれにあたったようだ。

「あら、たもつさん。ひさしぶり。会いにきてくれたの、ありがとう」

 女性はおれの顔を見て、いった。

 えっ、そうなの。
おれを知っているの。
へえ。
この店に来たことがあるんだ。
そうか。
じゃ、ここでもいいか。
あれこれ考えないで、店のなかに入ることにきめよう。
おれは、
ぶっつかってきた女性と一緒に、店に入っていくことになった。


 まだ店は開いていないようだった。
そばの女性に連れられてなかに入ると、
誰もがおれを注視するのだった。
よほどの常連だったみたいで、
それもよほどの羽振りを見せつけていたようで、
まだ化粧を整えている最中の若い女性がおもわずソファから立ちあがって、おれを見ている始末。
なかは若い女性がいっぱい。
たぶん、
ちょうどあいさつのミーティングが終わって、さあこれからよという態勢のようだった。


 ここは高級クラブ、
女の都。
男たちを惑わし惑わされる、
よこしまな人はよりよこしまに燃えさせる、
セクシャル・エンターテインメント・ワールド。
料金設定は健全価格というふれこみ。
だから安心ね。

 おれが店のなかに入るとすぐに、
おんなたちが集まり寄ってきて、きゃあきゃあ、いっている。
なんだかわからない。
よほどおれがいい男で人気がいいのか、
金の使いっぷりがいいのか。
たぶん後者だろうね。

 たもつさんはわたしのお客さまよ。
わたしこそ、
いつもご指名されて懇意にされているの。
それはわたしよ、
などと女たちがいい争っている。
色とりどりのきらびやかさで、男を迷わせるドレス姿のスタイル。
思い思いのステイト。
あの娘は乳首がもう見えるかもと思えるほどに胸を開け、
この娘は女性の大事な部分が見えてるよ
と注意したくなるほどにチャイナ服のスリットが切れているんだぞ、っと。
おれは食事で、
幾分酒の酔いが残っているせいもあってすこし愉快な気分。
ほろ酔い気分。

 まあまあ、
ここは順番に。
他の女の子はあとからね。
サインは並んで並んで。
すっかりスター気取り、楽しい気分になっている。
でもここは、
女の子を全部呼んではしゃぎたい気持ちを抑えて、
とりあえずふたりだけ女の子をつけて、しんみり酒を飲みたいと思った。
食事をしたことで、
ついほんとうの目的を忘れていた。
おれは何者だったのか、
そのことを考えるためにも、いまは静かに飲みたい気持ちもあったのさ。

 だからせっかく女の子がふたり、
左右についていながらもの思いにふけっていた。
考える時間がほしかった。



 するとどこからか、声がする。
なんだろう。

《何、やってんだよ。これから、いいことしよってんのに》

 おれは声のする方向に顔を向けた。
どこにもその様子というか、
趣が感じられない。
そばには女の子がふたり、
離れたところに女の子がちらほら。
男らしい姿はここから見あたらない。
声からすると、たぶん男だ。

《ここ、ここだよ。おまえの目の前、下を見てみろ。おまえの股間についている、セクシャルオルガンさ。こういうこといわせるなよ、恥ずかしいじゃないか》

 おれは左右を見て、きょろきょろ。
前方を見て、
それから目を下に、両脚のつけ根に。
おれはおもわず、そこをぎゅっと握ってみた。

《こらこら。急に握るなよ、痛いじゃないか。しようがないな。まあ突然、自己紹介したからびっくりしたのはわかる。おてやわらかにたのむよ》

 おれはとても信じられなくなって、また握ってみた。

《やめろって》

 今度は強く握ってみた。

《あのな、わざとやってんじゃないだろうな。まったく。ただ握れば、いいってもんじゃないんだよ。握り方には、コツとタイミングがあるんだ。わかってんのかな。おまえと違って、おいらはナイーヴなんだよ》


 それにしても、なんであの声が聞こえてくるのだ。
おれだけに聞こえるみたい。
一種のテレパシーか。
まわりには、あの声は聞こえていないようだ。
おもわず股間に向かって、いった。

「おまえは、だれだ」

《だれだって? 急に大きな声を出すなよ。ほら、そばの女の子がびっくりしているじゃないか。声を出さなくても、聞こえるよ。頭のなかでいえば、おいらには通じているさ。おまえの〈あいつ〉だよ》

〈あいつ〉だって。
とぼけたこといいやがって。
突然思いだしたように登場して、びっくりするじゃないか。
なんでこんなときに現れるんだよ、いったい何なんだ。

《いったい、何なんだとはいってくれるね。いうも、いわないもない。なんだ、いまのおまえの態度。しんみり酒飲んじゃって。おまえは何しに、ここに来たんだ。ただ酒を飲むためじゃないだろう。

 そばに綺麗なおねえちゃんがいるのにちびりちびり酒を飲んじゃって、気取っている場合じゃないぞ。横を見てみろ。胸をあらわに見せているのに。腰あたりもそう、ドレスの切れ目が上まで、お尻が見えそうじゃないか。おまえはただ横目でちらっと見て、それで満足しているのか。男じゃないぞ。

 胸を、お尻を隠しているのは見せないためじゃなく、ここに目的のものがあります、胸とお尻はここですからね、ということを教えるために、周辺をちらっと見せているんだ。おねえちゃんたちのご好意も考えないで、無視している。どういうつもりだよ》



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6. いやん、先生、そこはおヘソなの

 あのね、
すこしばかり静かにしてくれない。
君には悪い。
いまは、とてもそんな気分になれないんだ。
考えごとがあって、それどころじゃない。
ご好意はありがたいけど、女の子はそばにいて酒の相手をするだけでいいんだよ。

《おまえはインポか。おまえはそれでいいだろう。おいらはどうなんだよ。おいらのことは何も考えていないのかよ。どうなってもいいのか。さびしいよ。ただトイレに行くときだけの用事、それだけの毎日、おいらに楽しい夢を見させてくれよ。

 最近、ずうっとご無沙汰じゃないか。女体の門、和毛にこげやなぎの鬱蒼とした森のなかへ、行ってみたいな、そんなところへ。やさしく包んでもらいたい。いつも同じ風景じゃ飽きているし、ストレスもたまる。たのむぜ》

 ふうっ。
ため息まじり。
会って間もないのに、
親しそうに話しかけたりして、おかしいぞ。

〈あいつ〉のいうこともわかる。
ほんとに。
だが、とてもその気になれない。
早く、じぶんがだれだかわかって安心したい。
わからなければ何をやっても楽しくなれないような、
ここで走りもひと休みというか、
初めからどうしてこうなったのか、確かめるために考えようと寄ったのに。 


〈あいつ〉はおれの気持ちをわかるわけもなく、
ただ意味もなくしゃべっている。
昔から居ついている友だちかのように、
まるでいま初めて知り合ったとは思われないほどだった。
ただ、いまは〈あいつ〉の声を聞き流している。
多少、うるさいバックグラウンドミュージックだけど。
それにしても。

 うん。
音がやんでいる。

《あのな、おまえ。おいらを無視しているだろ。わかっているぞ。ちゃんと聞いているか。聞いている?》

 聞いてるよ。

《そうか。わかった。おまえとは一心同体だからな。一珍同体かな。考えていること、わかってんだから。何もおまえが何者か、なんで意味もなく走りつづけているのか、考える必要はない。おまえはおいらなんだ。おいらがおまえなんだ。おまえがいるからおいらがいるのでなくて、おいらがいるからおまえがいるんだよ。

 わかる、この論理。前に、怖いお兄さんがふたりいただろう。あの場所で、兄貴といわれる人がいっていたじゃないか。じぶんを見るために、他人を見るんだって。そんな内容のこと、いっていたじゃないか。その通りさ。なかなかいいこといっていた。

 じぶんたちが表社会の人たちと違うように見られているからこそ、はっきり意識して、逆に世の中が見えるってもんさ。

 だから、おまえもじぶんがわかりたかったら、おまえの分身の気持ちもわからなくちゃいけない。おいらの気持ちや存在を感じることで、おまえの気持ちとか存在も、どうだかわかるってもの。じぶんだけの世界に閉じこもっちゃいけねぇよ。わかる。

 じぶん探しは蒼い兄ちゃんにまかせて、ここはおいらにまかせる。おまえは黙って、無になっておいらについてくればいいのさ。だからもうすこし、女の子のそばに寄って、体をくっつけてみろ》


 となりに座っていたチャイナドレスの女の子が、
急に驚いた様子だった。
おれのひざ上のももに置いていたかの女の手に、
何かが触れたようだ。

「きゃあ。たもつさんたら、いきなりお元気になって」

《あはははっ。どうだ。おもしろいだろう。おいらが思いきり元気になって背伸びしたら、女の子も張りきっちゃって。きゃあ、なんて喜んでいるんだぞ。いくらお仕事だといっても楽しんだ、こんなもの。しかめ面してやるもんじゃない。

 他に仕事をやろうと思えば、いくらでもある。なのにここにいるということは、多少とも興味があるって証拠じゃないか。あまり深く考えないで、パアッとやっちゃおうぜ。おまえがしかめ面していたら、女の子たちもこまっちゃうってもんさ。それにかの女たち、おいらに興味あるみたいで、きゃあといいながらもじっと見ていたぞ。たぶん、見ていたと思う。

 あのきゃあは、まあすごい、ちょっと触ってもいいのかっこ付きだと思う。それほど、おいらが偉大だと感じていたのじゃないかな。だからおまえも立ちあがって、ほらほらとやってみろ。ふたりとも、うれしがって大喜びするってものよ。ほんとうなんだから、やってみろよ。ねえ、やってみたら》

 おれは立ちあがって、
店を出ようと思った。
虚しくなってここから離れたかった。
とても楽しく酒を飲める雰囲気でもない。
まして頭を休めるどころか、
心悩ませるものになってきた。
すると急に、〈あいつ〉は態度を控えめに変えてきた。


《わかったよ。おいらが悪かった。おまえの気持ちも考えず、じぶんひとりで突っ走って。おとなしく、おまえの思うところに従うよ。あまり、しゃべらずに静かにしています。だから、どうぞお好きなようにしてください》

 そう、わかったぁ。
わかれば、それでいいの。
じゃ、聞くけど、
君、いつからそこにいるの。

《いつからいるの、といわれても、三月十五日からとはっきりいえるほど確かではない。おいらも戸籍謄本をとっているわけじゃない。たぶん、おまえの誕生日と同じかもしれない。いつから意識してここにいるのといわれたら、多少なりともいえるだろう。おいらの場合、精子と関係しているからね。精子が先か、おいらが先か、わからない。鶏が先か、卵が先か、に似て微妙に違う。人間の存在にかかわる問題。

 まあ、ただ言葉遊びから出てきたものは、言葉で解決しなければならないだろう。

 たとえば、鶏のたまごといえる。逆に、たまごの鶏とはふつういわない。おかしいもの。ここでは鶏がたまごを包含しているのに、たまごは鶏を、言葉的に包含できていない。だから、鶏が先だろうといえるだろう。   

 同じように目先のことだけでものごとを考えていたら、よくわからない。人が人を産むことを、なんの疑いもなく持っていた昔とは違う。種の起源を知ってしまった現代人にとって、猿から進化したことを知っているおいらたちにとって、無意味だからね。

 おまえの存在の問題は、おいらの存在の問題と関わりがあるのさ、深いところでね。地球に住む、おいらたちだけじゃない。宇宙存在そのものがいったい何から生まれたのか、なんのためにあるのか。ひとりのおまえとおいらから、関わりがあるのさ。だから、おいらの存在は大事なんだよ、またすこししゃべり過ぎちゃったかな》





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