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「短編」 スランプティック


 ソフトバンクグループ(SBG)の孫正義会長兼社長はチャットGPTについて「私自身も毎日、何度も何度もチャットGPTと会話をしながら(アイデアを出す)ブレーンストーミングをしているようなヘビーユーザーの一人」らしい。

こんな人は上っ面の商売がうまく、大衆の心をうまくつかんで対応して無難にこなすだろう。

データでモノを考えるだけなら試験でのし上がってきた高級官僚は必要なくて、エリートも必要ないだろう。
たぶんこの社長は創業のハングリーさも忘れ、気持ちも落ちつき、ゆとりがあるんだろう。
あるいは参考にして、最終的には自分で判断すると言いたかったらしい、たぶんそうでしょう。

 AI頼みの人は
商売上手も危機管理もセックスのときも、チャットGPTにお願いするんだろうか。

口ばかりで、あっちの方はからっきしなんだからと言われても、何をー、でもおかしいな、チャットの言うとおりチャンとしているんだけどな、やっぱり文学や芸術と同じでデータ通りいかない、翻訳アプリみたいに変なの。

そう、たとえば動物やロボットが上手に絵を描いても芸術とはいわない、人間が描いて初めて芸術となり、「社会」とは人間社会のことであり、「芸術」とは人間が創造したものである。
動物やロボットを差別しているのでなくて、共存しあっても、区別しているだけで他の研究分野でしょう。

自然科学と社会科学と人文科学。
誰が区別して、誰が名づけたのか知らないけれどよくできていて、人間の心のあり方と人間の集団している存在関係、それら2つを含めた自然、ほんまよく考えているわ。

それに人間が作ったロボットが、人間に近づき精巧なものになってもけっして人間になれない。
創造主の作った人間がけっして創造主になれないように、いくら預言者や哲学者が優れた考えを持っていたとしても賛成できない人はいるし、いくら作家や芸術家が優れた作品でも、あまり好みじゃないという人もいます。

創造主が作った自然物は、作られた自然の一部である人間にはいいも悪いもおおむね好評で、自然の産物も人間そのものも、毒も薬もありながら、使い方によって、人間にとって有効であることを教えてくれている。

そんな感じでデータや勉強だけで小説や絵が描けたら、そんなもん、東大文学部や芸大出身が腐るほどいるのに、先生や評論家になれても、みんながプロの作家や画家に成れたら、ほんま世話ないわ。


         *

 * 恋におくびょうなやつは本でも読んでおけ

 画家の池内いけない満寿夫ますおはこのところスランプに陥っていた
何を描いていてもスッキリしない、ただ絵を描いているだけで絵にちっとも潤いがなかった、というより自分が感じてないだけかな

 確かに他人から見れば、多少いい絵には見えるだろう、でも満足できる絵ではなかった
悩んでいる暇があったらなんでもいいから描き続けることだと、むかし恩師から教えてもらってもいた、じっさいその通りがむしゃらにやってきて、プロとしてなんとか生計を立てるところまで来た
でも何かひとつ足りないんだよね、なんだろう

 つい先日も久しぶりに銀座を歩いて、ギャラリーをのぞいてみた
新進の画家のようだった、といっても最近よくある有名人の絵画展で、人気あるタレントのせいか若い女性が多数つめかけていた

 多忙な仕事をぬって、精力家なのか多くの絵が展示されていた
何気なしにひとつひとつ見ていった、うん確かに絵は上手でうまく描けているし、無難な出来ばえだった

 でもなんだかな、絵を描いているだけで何かひとつピンとこない、べつに絵はうまいことに越したことはないんだけど、ただ勢いだけで描いているような、
ただ水道水みたいに飲めます感じで、山の道を歩き川のせせらぎを聞いて、ふと出会った自然の天然水を飲んだときの清涼感な潤いが伝わってこなかった
無料なら見るけど、高い入館料払ってまで見るにはちょっと尻込みするかな

 それにつけても
ピカソの絵を見るにつけ、カレのことが羨ましかった
ピカソは膨大な絵を描き続けた、そのひとつひとつが、なんでもないことが芸術作品となった、何気なくスケッチしたものが絵画作品になったり、ソバにあったものをちょちょいと手でひねっただけで造形品になった
なんとはなしに、それらが芸術作品として見えるからおかしなものだった

 でもこれが本当の芸術かもしれないな、作為がない、無意識で自然のままで造形する、自然物がどうやって創造されているかわからないし、創造主は何も考えていないで気まぐれで創っているかもしれない
まだまだピカソの域まで達していない、池内の画家の道は遠く険しかった

 そんなピカソの顔が浮かんできて、オレも人には冗談にでもハンサムとは言えないけど、ハッキリ言って顔ではピカソに勝っているぞ
しかしハンサムに見えない趣きのある顔だからこそ、かえってピカソの絵がなんだか意味がありそうに見えて、じっさいは顔と同じく絵もそのままに何も考えていない、単純な男かもしれなかった

 そうしておこう
池内はフフフと笑みを浮かべ、いくぶん気持ちが楽になった

 そんなこと徒然に思いしに、
先ほどから家の近くにある公園で散歩していた池内は、池の中の魚なんかを見て立ち止まり、柵の手すりに寄り添って、なんだかなと思案していた

「おじちゃん、元気」
 ポンと背中をたたく方を見れば、子供の姿

「おう、おまえか」

 以前、古葉野次秀雄から自分の絵を評論してもらったお返しに古葉野次の自宅におじゃましたことがあった、そのとき偶然この子がいて、なんとなく話していた
ケーキをおいしく食べている顔は、典型的なお子様の気持ちそのままだった

 古葉野次はとてもこの子が気に入って、さとしというんだけど、ボクはスランプのときに、さとしに会うと気がほぐれるんだよ、と言っていた
なるほど少しばかりしゃべっていたら機転が効いていて、賢そう、第一印象はそんな感想で別に親しくなったわけでもなかった
それ以来会っていないから、懐かしかった

「古葉野次さんとは親しくしてもらってんのか」
「ああそうだよ、あのおじちゃん、悩み多そうだから、ひまなとき付きあってるの」

「フフフ」
「おじちゃんもそうみたいだね」

「まあな、芸術家の宿命よ」
「えらそうにいって」

「おまえに言ってもわかんないだろけどな、悩みの代償として対価をもらっているわけよ」
「おじちゃんの絵はそれだけの価値があるっていうことだね」

「おお、おまえ、いいこと言うな、子供とは思えないぞ、その言葉」
「すこしは、落ちついた」

「う、うん、まあな」

 そう言って、やおら池の方にふり返り、ただしばらく、ぼうっと魚を見つめていた池内だった
こいのやつ、たらふく食って肥えてやがる、何も考えてないで生きてんだろうな、うらやましいぜ

「おじちゃん、鯉って、なんでも食って雑食なんだよ、タヌキや人間と同じなんだ」
「そう」

「恋と同じで、がむしゃらに生きなきゃね」
「・・・」

「このあいだ、古葉野次のおじちゃんが、恋におくびょうなやつは本でも読んでおけ、とシェイクスピアなら言うかもしれないって、頭をかかえていたよ、なんでもひとりの女性をめぐって、仲がいい詩人と板ばさみになっているんだって」
「あ、そう」

 子供のくせに生意気なことをいいやがる、そのくせ夜ひとりで、トイレに行けないなんてネ、
あー、それにしてもなんだよな、うん、なんだ、子供がオレの横っ腹をツンツン

「ねえ、おじちゃん、魚の気持ちわかる」
「わかるわけねーだろう、オレは人間なんだよ」

「魚でないのに、魚の気持ちがわからないって、どうしてわかるの」
「えったぶん」

「魚どうしでもたぶんハッキリわからないのに、人の気持ちも、人にはわかりっこないってことさ」
「意味がわからん、もしかしておまえ、ソクラテスの生まれかわりか」

「ソクラテスって、だれなの」
「だよな」

 うーん、人の気持ちのすべてはわからない、わからないから相手を尊重して、無駄な抵抗やめて、オレもやめて、相手もいいほうにオレの絵を勘ぐってくれて、素敵ねなんていってくれて、そうだよな、なんだか知らないけど変に頭がスッキリしてきたぞ、このやろ
ふと子供を見た、待てよこの子、最近オレの調子がよくなさそうだから、古葉野次さんが心配してくれて、もしかして、その使いで来たんじゃないの

一粒の露の楕円を愛しけり 白泉

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