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 公敵ナンバーワン public enemy number 1


 人は表現された行動と創造された作品のなかに見出される

 警察捜査官の取り調べは過酷で尋常じゃないそうだ
取り調べは戦争だ、と言ったプロの捜査担当者はこれまでの経験から、こう述べていた
「いままで、取り調べに屈しないで落ちなかったものは三人しかいなかった、中核派の二人と山口組の竹中正久だけだった」


 反体制派の人はわかるけど、体制を覆そうするものが、ボクたちのやっていることを誰もわかってくれないとか言ってメソメソしていたら、
そんなもん、どこの国でも何かとインネンつけられ弾圧され取り調べられるのが当たり前で、一歩間違えれば、逆に自分の方が取り調べられて処断される羽目になってしまうことだってあり、幕末に犯罪者扱いでも時代と体制が変われば偉人になるようなものだった

いくら考え方が違うと言っても、もし体制が変わってメソメソした奴が指導者になったら危なっかしくてどうしようもないし、国なんか任せられない、吉田松陰とか坂本龍馬がメソメソ泣いている姿を見たくないものさ


 同じように、「公敵」のように反社会と名指しされている人の中にも気骨がある人がいたらしい、どんなところにも大した男はいるんだと感心した

浮世の裏の世界で、去る者日々にうとし、と最も形容される裏稼業、この男はケンカ相手の銃弾でこの世とオサラバしてしまった
常々、生前言っていた言葉通りになってしまった

「一言でいうたら、男だった、ということで死にたいわ……」

その道の人の常として事件は起こしたけど殺人事件はなく、入れ墨をしていなければ指もつめていない、子分に金はやっても、死んでも子分から金をもらえるかいと言って、質素な暮らしで山口組四代目になって初めて一般のサラリーマンみたいにゴルフをしたという

でも、さすが「荒らぶる獅子」と異名をとっているだけあって気性激しく、緊張していた生活を送っていても頭脳がずば抜けて優れていたらしく、両面合わせもってメリハリよく、いまでも歴代のヤクザの中で最も人気があり、その道の人に「人は一代、名は末代」と言われて慕われているそうだ

 幕末の志士がそうだったように、
戦前もまた、軍部と共産主義に対抗して、公敵ナンバーワンと名指しされた大杉栄や、文学の間でも風俗壊乱ふうぞくかいらんで検閲削除された萩原朔太郎の詩みたいに進取の気性を持っている人もいたけど、まったく違う分野の世界だといえ、ならず者といわれる中にもなかなかきもがすわっている人もいたんだ

住む世界、進む道は違ってもふと感心したものだった


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( こういったエピソードを語ると、必ずこう言う人がいる。
「そんなのカッコよく誰かが言ったもので、大げさに誇張しているだけ、そんなモンありえないさ、それにあなたはアウトローを美化するんですか、身内かソウしたいものの仕業じゃない」

たしかにあとで出きあがったものは大げさで、生きているときはさんざん迷惑かけたのに、死んでから振りかえるといいところしか見えてこないこともある。

でもエピソードはたぶんにその人を表していて、いくら美談で誇張しても「らしく」なかったら、ウソっぽくなる。

 まだ武士の気風が残る幕末に書かれた武将言行録の中で、織田信長のエピソードがあった。
家康ら数人が集まって雑談のなかで信長公の噂になり、誰かが家康のそばにいた武将に向かって言ったそうだ。
もし貴殿が攻撃され孤立して、残った味方の一千人の中にはいないかもしれないが、信長公は百人になっても必ずその中にいるだろう。

 またお馴染みの川中島の武田信玄。
上杉謙信に攻撃されその場でひとり立ち向かったあの姿、少し誇張しすぎじゃない、人っていざとなったらジタバタするに決まってんじゃないの、少し美化しているな。
たしかにそうかもしれないし、そうでないかもしれない、じっさい見てみないとわからない、でも風林火山のもと、動かざること山の如しをモットーにした日頃の態度があのエピソードでかいま見えて、
もしそうでなかったら「戦国最強」と言われ、さきに出たあの猪突猛進で魔王と呼ばれた信長でさえ、信玄死して三年の間、もしかしてまだ生きているかもしれないという名前の存在におびえ逃げ惑い、手出しができなかった。
「死せる信玄、生ける信長を走らす」、その前にたじろがせていた。

だから
もしそうでなかったとしても信玄ならあり得ると他の人も納得できないものなら、いままで語り継がれてこなかった、たぶん信玄という男を知る格好の材料だったのだろう。

 さらにもうひとつ、芸能界の都市伝説の話。
日本テレビの24時間テレビ、視聴者はテレビ局を救うとか救わないとかいうアノ番組を始めた頃、司会はタレントの萩本欽一に決まっていたのにどうしても本人がウンと言わない。他にいいタレントが見つからず、どうしても萩本サンしかこの番組は成功しないと思ったらしい。
スポンサーを納得させ、24時間もテレビの番組を持続させ、作れる能力がこのテレビ局にあるのかどうか、そんな器量が試される、本当の社運を賭けた番組だったらしい、でも萩本サンはウンと言わない。

そこで他の経費を削って削ってギャラを上げて、芸能部のトップが家まで訪ねて行ったらしい。萩本サンがテレビに最初出た頃のギャラ、映画スターが300万円で、テレビタレントか歌手のどちらかが30万円と3万円のとき、お笑い芸人は3千円だったらしい。だからプロダクションの人と一緒に、萩本サンは芸人の生活向上のために闘ってきたらしい。

いくら人気があったからって、いっかいの芸人のところに重役が訪ねていくのは相当異例だったらしく悲壮感があったようだ。
「どうしてもこれ以上ギャラを出すことができません、お願いします」と言ったら、「ウンわかった、そのギャラをチャリティーに寄付して」と答えたらしい。

コレもちょっと美談すぎるよ、最近この手を使って高感度を上げるタレントが多いから、マユツバもんだね。
たしかにカッコ良すぎるし、本人もちょっと大げさだよ、というでしょう。でもウソだったとしても、日頃近くで付き合ったり、目にしている芸能人たちがよく萩本サンを知っているはずで、芸能界で都市伝説になっているわけもなく、あの人だったらあり得るかもしれないと感じたらしい。

じっさい本人が本当にやっても「らしく」なかったら、ウワサ作りと思われても仕方なく、その人を表していて、
その後番組を成功した日本テレビの重役は、このときのことをどう思ったのか、萩本サンへの対応でしかわからないだろう。

 これと同じで、芸術家や作家の「この人なり」を知る場合、
この人はあーだこーだ言うより、作品を見て知るのがもっとも有効な手段のようだった

ベートーヴェンとかピカソは、創造されたものから良くうかがいできるのだった。

大げさにいえば、同じ人間でありながら、歴史始まって以来、地球の唯一無二の存在であり人類の遺産でもあって、もし遥か遠い星からやって来たモノたちが、ベートーヴェンとピカソの作品を見て、人間とはどんなものであったか知りたい場合にいい手がかりにもなるだろう。


 そのように、
われわれは至るところに人間を見て、描かれている作品の中の人間だけではなくて作家その人を見て、さらにまた現実に生きて、行動している人間の中からもうかがい知ることができるのです、とボクの「ツァラトゥストラ」は語った )





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