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「短編」 作家残酷物語、二人はひとり


 富士の白雪朝日でとける
 今朝の雑煮は煮てとける
 夫婦喧嘩は寝てとける

 むかし、禅の仙崖せんがい和尚が正月そうそう、雑煮の煮え過ぎでどうのこうので、夫婦ゲンカしていたのを仲裁したことがあった。
なかよくなった後、求められて、書をサラサラと書いたのが上の句。
ケンカのあとは、なぜか激しく燃えるらしい。

1.

 最近、評論からシフトして小説を書きはじめていたM、ふっとため息ばかり

 窓べに行き、道歩く人や風景を眺めては、どんなもんかなと思案していた
ふとそばの机の上に目を落とせば、以前書いていた原稿がのっている、なんとなく手にして読んでいたら、書いていた頃の自分が浮かんできておもわず苦笑いしてしまった
ふっ懐かしいぜ

         *

 現代の大衆は、比較的高学歴に恵まれている。

大衆社会が繁栄している現代社会において、むかしと違って江戸時代の大衆と違い、現代の大衆は比較的「高学歴」に恵まれている。

むかしの学校に行けない人の読書学習は、高学歴者の後追い教養みたいで引け目をなくすことにあった。
教科書に載っているような教養だった。

 ところが昨今では高校はもちろん大学まで行ける人が多いのが大衆である。
テレビではタレントが大学中退であることを恥じてもいなくて、しかもなぜか知識を披露して蘊蓄を語っている。
でもよく見ると教科書の知識であって、教科書に載るまでの大切な思考プロセスではなかった。

〈 むずかしい事でなく、ふと立ち止まって、どういうことなのかな、と考えて見る。
初めに習う学校の物理の授業での作用反作用、こちらが押したら相手も押し、相手がどうぞ言ったらこちらもどうぞどうぞ言う、自然の法則。
また電気の公式の中の公式、基本のオームの法則。V=IR。(電圧ボルト)=(電流アンペア)×(抵抗アール) 。
これがなければ電力(パワー、ワット)も相対性理論もなく、なぜオームは「抵抗」を発見したとき、電圧や電流のように「電」を使わなかったのか疑問に感じていた。じっさいオームは人類最大の発見と自負して、抵抗 R ( resistance レジスタンス)と名づけたのだった。
あたかも電圧の力は 電流の情熱と抵抗レジスタンスを掛け合わせたかのように〉



 むかしの低学歴者みたいに教養におもねる気もなく、やっと学校を卒業した、けれども結果は何ひとつ得ていないような、
でも教養に引け目を感じてもいない程度に学校教育も受けている。

それにしても、現代の大衆は比較的学歴に恵まれている。
大学で学ぶドイツ語、フランス語はよく知らないけど英語は中学、高校と学んで少しばかりわかり、
がんばって英語を話せても、読書の教養をおろそかにして、反対に英語読書しても英会話が苦手な人が多かった。

今日の大衆は比較的に学校教育を受けて教養もあり、英語もソコソコ話し、英語文章もソコソコ読めた、クラシック音楽も芸術も学校でも習うぶんでは理解していた。

 でも、学校教育がやっと終わった。
大学もいちおう行ったけど、大学院や公務員、資格取る以外は大学の勉強は実生活にあまり関係なく、卒業したらそのまま仕事先へ。
激しい受験が終わって大学でしばらく休憩して、さあこれから勉強しようとしたら卒業してくれるので大学教授はひと安心し、
会社経営者も大学で遊び休憩したので、今度は仕事をがんばってくれると喜んでいます。

そんな感じで高学歴の多い大衆相手の読書には、大学に行って初めて知ったドイツ語、フランス語を勉強したのにモノにならなかったけど、ソコソコわかる英語を小出しにして、学校教育で無視され蔑視対象になっていたサブカルチャーのコミックやジャズ・ロックを取り上げることが、むしろ文化前衛としてヒットしている。

知識人といわれるにはおもはゆく、大衆と呼ばれるには不快に感じるような読者に好まれるのは、教科書に載るほどの文学でもなくて娯楽でも中間でもない、半グレ文学 ( 関係者に怒られるぞ )。

 比較的、学校教育を受けている大衆が卒業して思うこと、
さんざん勉強したのにちっとも身についてないし、でもやっと学校教育が終わったぞ、文字も読めるし、楽器も少し弾けて、これからは楽しいことやっちゃうぞ。

大学で文学を学んで大衆作家に、
芸大を出てもポップスをめざすのは何の違和感もなかった。
大学で苦労して学んだわりには、小むずかしい文学やクラシックみたいに報われないことが多いことより、楽しくやっちゃお。

ソレナラ大学行かなくてもと思いしも、そこはそれ「逆説的」に大衆相手ですから必要十分条件です。

 むかしの大衆作家や流行歌手みたいに引け目を感じることもなく、
読者やファンがそもそも何も感じないように、楽しければよかった、それに薄利多売でお金が入ってくる。

でも
エリートで勉強して中途半端に実力があるのがネックになって、逃げ道があるだけに躊躇する人もいて、プロの大衆娯楽ジャンルにはどこでもある第一関門になった。
初めから勉強するために学校に行くわけもなく学歴でもつけて、子どもと大衆相手に娯楽とお金儲けと割りきって、まだ世間に出ない二十歳前後のうちから悟りきって、格言集に載っている言葉ばかりを吐いているような、目先のきくホラ吹き男たちに水をあけられていた。


 大衆を信頼してもっとすばらしい小説とか音楽を作ろうとする者と、大衆ってこんなもんだろうと開きなおっている差でもあった。
政治の歴史に似て、大衆をバカにしてもいけないし、信頼しすぎてもいけないことをわれわれに教えてくれる。

         *


 ふーん、なるほどね、Mは他人ごとのようにうなづきながら、原稿を机の上にポン置いて、台所に飲みものを探しに行った


2.

 評論から小説を書くことに転じて、幾月か経ち、作家のMはいくぶん佳境に乗ってきた、というものの、小説には違和感があった

 評論を書いているときはスッと言葉が出てきても、小説のときは何か書こう、書こうという意識が前面に出てきて、そのくせアイデアが出てこないで文章もままならかった
まったく理論と実践はかみ合わない

 たとえていえば勝海舟と坂本龍馬、坪内逍遥と二葉亭四迷の関係かな、ひとりでふたつ一緒はむずかしい
とはいっても彫刻をメインにやりたかったミケランジェロは絵画も優れていて、いっぽうで夏目漱石と萩原朔太郎も小説や詩が優れていたから、文学論や詩の原理が読まれるのか、いまも評論は健在のようだった
とはいっても短歌は矢継ぎ早に生まれるのに、石川啄木サンは食べるための小説はいまいちでした、などと過去の作家を取りだして、なんだか言い訳ようで、なかなかはかどらなかった

 うーんと創作の前でひと呼吸
さて腹が減ったのでここはひと休みして、ラーメンでも作ろうかな、でもなんだかいまのオレの小説みたいで、大学時代の貧相な食事を思い出し、ここは豪華にカレーでも作ろう
あまり変わんねえか

 しかしなんだな、カレーを作りながら、Mはひとり言をもらしていた

 じつは昨日、久しぶりにある出版社のロビーで松竹隆明さんにあった
オレの顔見るなり、声をかけてくれた

「よう、小説はうまくいってんの」
「まあなんとかボチボチ、でもなんすね、評論みたいに小説ってうまくいかないみたいでね」

「キミ、小説は向いてないんじゃない」
「そうですかね、でも評論だけで食べていけるのは先輩と古葉野次秀雄だけですよ、あと大学の講師やりながらとかね」

「そうね、俳句や短歌はもちろん、詩人だけで食べていくるのは2、3人で、翻訳をやってなんとか生活してるから、ぼくも詩だけでやっていけず、ぐうぜん評論批評がヒットしたからよかったけど、よくよく考えてみればこっちの方が性にあってるかも」
「塞翁が馬っていうわけですか、“ なっている ” のと “ なりたい “のは違うんですかね」

 うーん、そうだな、Mくん、こんな話を知っていると言って、二人はそばのソファに場所を移して、のんびりすわって天井を見つめながら、そうなんだよと言って隆明さんは話し始めた


“ むかし、小さい頃田舎のおじさんがおもしろいはなしをしてくれてね、
そこの村で村長さんの娘がいたんだ。
年頃になって嫁に行きことになった、娘さんが綺麗だったので候補者がたくさんいて、その中から村長さんは、将来性のある医者と結婚させることにしたんだ。
でも娘には幼なじみで少なからず好きな男の子がいて、お互い、将来結婚したいと約束していた。

 だから男はじくじたるものがあって、この村を出ていくことになった。
それを知った娘さん、一緒に駆け落ちする形で、ふたりは村を出たんだ。
数年後、ふたりは幸福に暮らし子供も授かった、でも娘さんは田舎の父親のことが心配になって、一度田舎に帰ってみたくなった。
そこで話しあって帰ることになった。

 故郷の村に戻り、田舎の実家に行く前に近くの休憩所にしばらく寄った、そこで一度様子を見ておきたいと男だけひとりで、父親と会い、しばらくしてから嫁さんにくるように言った。

 そこで、田舎の実家にもどったら、父親も娘さんのダンナもビックリ。
なんと娘は、アレからずっと寝込んでベッドの上にいたそうです。

 ふたりは何がなんだか、じっさいベッドの上には娘さん。
それに着ている服も家にいたときから愛着があったもので、近くにいる嫁さんもぐうぜん今日も着ていた。
同じ服を着た娘さんがふたり。

 ダンナさんはベッドにいる嫁さん、あるいは娘さんを起こしてささえながら、家の玄関まで連れていくと、ちょうどその時、心配になった嫁さんが玄関さきに現れて、ドンピシャリ、二人がひとりになっちゃったそうです。
そのとき、ひとりが消えていましたとさ。”


「へえ、うまい話ですね、ところでどちらが消えたんですか、嫁さん、それとも実家の娘さんの方」
「どっちでしょう」と隆明さん

「さあ」
「身体はふたつでも、魂はひとつ」

「意味わかんない、そんなことより腹減ったので、何かおやつでも食べたいですね、いまの気持ちはなぜか肉まんよりアンまんですね」

「だから、キミは自立できないというんだよ」





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