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「短編」 創作、さがしものは何ですか 


 古きものをほうむって新しく現れたものは、次の新しいものに取って代わられるのは世の常とはいえ、テレビ業界の広告を離れてみてもYou Tubeでは口を開けば、金儲けと英語教材関連のCMばかり。

 アメリカ資本だから、削除内容もテレビと同じく思惑がチラホラ見え始めて、親会社のGoogleにも驕れるもの久しからずの例にもれず、新しく忍びよってくるモノがあった。
 それにしても向こう側の国の人では、口を開けば共産主義と愛国心を讃える広告が絶えないことだろう。

 あちら側が、あなたの国は不平等で公平さがないと言えば、こちら側もアンタこそ不自由で自由がないと言い、一様に相手を非難することによって、じぶんたちを正当化し国民もみずから慰めていた。
 でも歴史や読書でどちら側も国民のひとりひとりはたぶんいい人だろう、と感じていた。
 はたして宗教対立、それから政治経済の主義対立の次に来るモノはいったいなんだろう。はてしなく続いていく闘いだった。

 続いても結局は、
上級国民と大衆から成り立ち、いままで通り1パーセントの少数者支配による歴史になることに間違いなかった。
 もしそうだとすれば、一瞬を大事に生きるわれわれにとっても、おのずと進む道は決まって来るだろう。 


       ☘️

 新進評論家のMは最近やっと認められて、食べていけるぐらいの執筆稼業ぐらいできたものの、じっさいのところ小説家として生活していきたかったのが本音だった

 けれども理想と現実、希望と才能はマッチしていない、やるせないジレンマが漂っていた
 小説を書けば書くほどうまくいかない、評論しているときはこんなにむずかしいものとは、実践と理論とはこんなにちがうのかとひしひしと感じていた

 逆に文学的理論はまったくわからないのに、小説を書かせたら優れたものが出きあがっていて、そもそも何が優れているのか意味もないように書いているのに作品として見た場合、評論家のオレが見たらうらやしい小説を書きやがってなんて、そんな作家がいる
 作家本人も多少はうまいかなぐらいで、評論家のオレが褒めるほどうまいとは考えてなさよう
 やはり評論と実作者は生まれついてちがうらしい


 東大の文学部教授が小説家になれないのは不安定な作家稼業ばかりではなかった
 いくら野球は好きでよくわかっても、プレイできるかどうかは別物だった、そうはいってもM、小説家になりたい夢は捨てきれないで、ヒマを見つけて小説を書いていた

 書いては新人文学賞に応募し、書いては新人賞に応募しました、でもまったくかすりもせず、一次予選さえも通らない
 題材がダメなのか、文章力がそもそもダメなのか、じっさいのところ二つともダメかもしれない

 むやみに攻めてもダメで、新人賞の傾向と対策をねって狙うとか、大学入試じゃないんだからそんなもん受かり、小手先使っても長続きしないで一発屋で終わってしまう、でも世に出るには一発屋でもなんでもいいから贅沢はいえなかった
 だいいち賞を取るのさえむずかしいのに、えらそうにいえるものではなかった、どうも評論家気質がどうしても残っていて、頭ばかりが先行している


 なんでもいいから名前を売る、そう名前を売らなきゃ
 最近は実力のある作家を育てる名目よりも、出版社も経営が苦しいから、本の売り上げに走るのはしかたがなく、「顔が売れている」有名人、芸能人を採用しセールスを見込んで、

 あるいは事前に題材も決まっていて、
読者が多い思春期の童貞処女にとって最も興味あるエッチな性表現をこっそり大胆に、隠居間近の大人には自尊心をくすぐる教養モノが必要不可欠だった

 関係者や作家予備軍にはそれなりに対応しても、働くサラリーマンとか育児に忙しい主婦にはそんなものより、実用書とか趣味の本にいくのはしかたがなかった


 それにしてもとMはそこはかとなく感じていた、
 年配者はこんな漢字も知らないのかといって、やたら「知識や古事成語」を使いたがり教養ある読者人に受けても、やがて江戸時代の文章みたいになり、大地に受容されないで荒野に転がる遺跡物みたいになるだろうし、

 若い人は欧米語の「カタカナ」を使いたがってカッコつけ、思春期の子供に受けても、やがて世代が変わって流行遅れになり、大地に溶けこまないプラスチックな文字みたいになって、たぶんに風俗作家になっていることだろう

 こんなことばかり考えているから、なかなか事はうまく働かない、そこでしかたなく仕事でお世話になった愚風さんに相談することに決めた
 禅の和尚でもあり、作家でもある愚風さんはぼくがもっとも敬愛する人でもあった
 ひまのある時間に禅寺に訪れて、ぼくの悩みを聞いてもらっていた


「そうなんです、書いても書いても賞に届かないで、じっさいじぶんには才能がないんじゃないのかと、でもどうして小説家になりたいのに不安ばかりがつのって、不安が消えないんです」

 そういって、以前に短編作品を見てもらってもいた、そのとき愚風さんはウーンとうなずき、じゃわかりました、そんな不安の気持ちはドコにあるのか探してみてわかったら、後日また相談にのりましょう
 そう言われて、今日訪れたのだ

「和尚、不安はドコにあるのかわかりませんでした、見つかりませんでした」
「安心してください、見事に不安は消えましたぞ」

 えっどういうこと、そうか、なるほど病は気から
 心のどこを探しても不安はないのに、見つからないのに、勝手に思いこんで作っていたってことか、そういうことだったんだ


“ 死にいたる病とは絶望のことである、とは愁いをおびたデンマークの哲学者キルケゴールの言葉、またいっぽうで、絶望は愚か者の結論だとも、のたまう人もいる ”


不安の不の字はどこにあるのかな

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