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「短編の後編」 雨は、二人には降らない
街灯は夜霧にぬれるためにある 白泉
( … ワープ完了 )
3.
やっぱり政治家になって、
いまの現状を変えなければいけないと小林は感じた。
そうはいっても日本の政治家たち、高校はびりっけつの成績なのに、なぜか大学はアメリカのハーバード、コロンビア出身。これもなにかのための待遇、将来の大臣候補のためのご用心なのか。
でも安心。
中国でも同じだった。中国革命の第一世代の子供は、親の苦労は知っても孫は生まれたときから、恵まれた裕福な生活とブルジョワ的で苦労知らない。スポーツカーを乗りまわし、ハーバード大学の卒業式には他の共産党幹部のご子弟ともども記念写真でパチリときたものさ。これも将来のための何かの思惑ってわけ。
どこにイデオロギー闘争のかげがあるんだ。
労働者とか市民のためというスローガンがあるだけで、有史以来変わらず少数者のための政治なんだ。ルターから始まる宗教戦争のち、対国外の宗教戦争はおさまり、いつしかおのおの国内で既得権益をあさる第一身分ができる一方で、国内ではますます激しくなる魔女裁判。アンシャンレジーム。マリー・アントワネットとルイ16世が結婚しても何の違和感もなかった。
現代では資本主義と共産主義と分かれても、
表だって大国どおし戦争できないので、1パーセントの第一身分は相手国を口であおるだけで、おのおの国内で既得権益をむさぼっている少数のやつら。しばらくの後に何食わぬ顔して、中国の最高幹部の子どもとアメリカの資産家の子どもが盛大な結婚式をあげてもなんの戸惑いもなく、国民もすごいな、とうらやましがっている光景が見えるようだった。
でもモダンレジームなどといって、われわれはあきらめてばかりはいられない。
成功した人を見たらうらやんだり、失敗した人を見てじぶんを慰め、なんとか安堵し、芸能人にあこがれ、スキャンダルにまき込まれ苦境になると、ふふんと笑っていい気味だわとうす笑いする。そんな大勢の、世の中の傍観者であるわれわれ小市民。ソーシャルインポテンツな私。でもそんなじぶん自信を不快に思っているのに、なにかをしなければいけないと思いながらも行動にうつれなかった。しかし、いつまでもそんなことをいっておられない。評論ぶってばかりいてはだめだ。
中に入って、この既得権益にまみれた社会状況を変えよう、変えてみたい。そう思って、小林は立ちあがったのだ。
それなのに平野のやつ、
いろいろいちゃもんつけやがって。先日、市議会議員選挙の応援で同じ党のボランティアをやっているとき、平野のやつ、すこし注意しただけなのにあれこれ文句をいっちゃって。
「ユーチューブで撮影するのもいいけど、ここのラインから出ないで。それにビラ配りも手伝ってくれないかな」
そういったら、
ボクは議員候補者をユーチューブで取るのが最大の役割で、同じ党員として大きな義務だと思っているといって、逆にこちらが文句をいっていると逆恨みしたらしい。なにか平野のユーチューブ活動のじゃまをして、前からユーチューブをやっているのを好まない連中と同じやつらだ、いやがらせだ、と思っていたらしい。
そのことをこっちが悪意もなく、その日のことをツイッターしたら、また変に絡んできて、被害妄想のオンパレード。そんな小さな出来事がまさか党全体をゆるがす問題になるとは、規律とか党運営のやり方まで波及しちゃってどうしようもない大変なことになった。
そのときから平野のやつ、お得意のユーチューブを使って、あることないこと動画の中でぎゃあぎゃあ騒ぎやがった。
「自由にやれって党首がいうからやったのに、内輪もめなんて、やってらんねえよ。こちらの自由な配信が党から制限されたら、みんな萎縮して来なくなっちゃう。共産主義社会じゃないですか。ユーチューバーはここに見に来ませんよ。
そもそもボクは党首を慕ってきたわけですから、別に党のためだけに来たわけじゃなし、それを党のためだからがまんしろとか、大人になれっていわれても、ボクの信念が許しませんよ。それを許したら、ガラガラ、ポンで行動基盤がなくなっちゃいますよ。できません。ボクはぜったい納得できません」
この前なんかも、髪の半割れがいいかな、ヒゲをはやしたほうがいいかな、なんて関係ないことをいってはしゃいでいた。こちとらは万年ぼうず頭だ。
じぶんでもユーチューブを使って、なかで派手にものを喋るタイプじゃないし、そんな押しの強い男ではないことはわかっている。たぶんあいつは動画を見ている人が大勢いるので、なにか魂胆があるのだろう。
もしこの事件の前に知りあっていたら、キャラが逆なので案外気があってたかもしれない。ふたりなかよく肩くんで、きゃぴきゃぴしながら、
動画の前のみんな、
元気なんて。
ふふふ、
あり得ないな。
事務タイプで、多少、政治家には不利。でも気持ちはひと一倍あるつもり。じぶんでいうのはなんだけど、インテリタイプ。派手な矢沢永吉には、陰でささえる地味なスタッフが必要さ。
前の鏡を見ながら、おもわず小林は口びるを噛みしめた。たとえていえば行動力ある党首のような海援隊の坂本龍馬というより、裏方でまわる勝海舟かな。
まだそんなに力量がないか。
/
《ひと休み》
国が生まれたときから
資本主義の中で育った米国には、良くも悪くも封建制度の主従関係の中から育った、ヨーロッパやアジア国民の歴史文化の情操と異なるのはもっとも話である。
それにもかかわらず
重層的な歴史文化がある中国が、いまだ歴史文化的に未熟な米国となぜかウリふたつに見えるのは、共産党がふたつあるような米国の政党というだけではなかった。
現在掲げている中国の共産主義もアメリカの資本主義も、主義主張はちがっても、どこか儒教的とかピューリタンの古くて「説教臭い」匂いがするのは気のせいだろうか。
それに本が溢れるほどあるのに最後は決まって同じ主義思考で終わり、またどこから切っても同じ金太郎飴のストーリーで、手軽なファーストフードみたいな文学ばかりを読んでいたら、さすがに20歳も過ぎたら疑問に感じます。
4.
だから田中さん、
大学の恩師のところへなにげなく会いにいったんです。
そういって、
小林くんはやっと最後の本題に入っていった。
さきほどからぼくは小林くんの話を聞かされているんだが、
話をそのまま文章にすると長ったらしくなり、
おもしろくないのですこし脚色をいれて、
やっとここまでたどりついたというわけである。
ついでに党に入ったきっかけや政治に対する思い、
渋谷で起きた小さな事件が変に大きくなったこともすこしばかりいれて述べてみた。
これからもすこし芝居がかった叙述がありますが、
なにぶん小林くんのことだから鵜呑みにできないだろう。
そんな小林くんと初めて知りあったのは、
仕事である雑誌の取材を通してであった。
それ以来、
ぼくの方はそうでもないのに、
いやに向こうの方がぼくに親しみを感じて、
いろいろと相談と称して雑談することが多い。
この日も、
気分転換にぼくに家に立ちよったみたいだ。
だいぶん、
選挙中のいざこざのことがナーヴァスになっているようだった。
妻がお茶を持ってきたときも、
「田中さんいいですね、
ぼくも早く結婚したいです」
とこぼしていた。
あれ、
彼女とは政治に関与したので別れたのに、
もう早くも気持ちを切りかえたのだろうか。
「大学の恩師に、政治家をめざしているといったときも、
君のキャラにあわないな、
でも君の人生だからといって、
背中を押してくれたんです」
そういって、
ときどきお菓子をつまみ、
お茶を飲み、
また話しはじめた。
そうなんですよ、
とさらにいって、
そのときの先生との問答をとつとつと、ぼくに話してくれた。
大学の門を久しぶりにくぐったときは、
もう何年も来たことがないような気がしました。
大学院を中退してまだ一年もたっていないのに、
なつかしい思いがしたんです。
構内の廊下を歩くときも前に感じたことがないような新鮮さがありました。
研究室で先生にあったときなんかは、
肉親に会ったような気持ちになりました。
それほど、
たった一年なのに世間の風にふれて大人になったというか、
ひとまわり大きくなったといわないまでもすっかり変わった私を見た思いがしました。
気のせいか、
先生がすこしばかり老けたようにも見えます。
政治活動してからの生活、
特に最近の渋谷でのささいな出来事がとんでもなく大きくなったことを近況も交えて話しました。
先生はそれを黙って聞いていました。
ときにはあいづちをうち、
そう大変だね、
フムフム、
そういうもんかねと私の話を否定もせず、
賛成もせずうなずいていました。
年の功というか、
親というより祖父のような感じでした。
私だって、
わかっています。
組織はどこに行っても人間関係のあつれきがあることはわかっています。
理想をかかげて新しい党をつくっても、
小さいながらもその中で人間関係の見苦しさやあつれきもあります。
独立、
革命が成功したあとの権力争いなんか、
そうでしょうね。
人のいるところ、
桃源郷、
北極南極、
地の果ての人のいるところはどこも人間関係が大変。
素直にぼおっとなにも考えないで幸福な生活が送れるとは思いません。
複雑です。
古代から未来までもそうでしょう。
そう、
私は多少、
ものしり顔をして、
先生に話を聞いてもらっていたんです。
私の気分をはらしているみたいで、
先生もすこしはめんどうくさかったかもしれません。
そんなこんなで30分ばかり雑談しているときでした。
突然、
雨が降ってきました。
開けていた窓から雨が入ってきそうな気配だったので、
おもわず先生は立ちあがって窓を閉めようとしました。
窓を閉めたあとも先生はなにを思ったのか、
窓のそばを離れないで、
窓の外をながめていました。
そして、
おもむろに私にいったんです。
「小林くん、窓の外で、恋人らしき二人が雨の中を歩いている。でも二人には雨が降らない。濡れていない。これ、どういう意味か、わかるかい」
「ええ、二人とも傘をさしていた。あるいは雨やどりしていたとか」
「ちがうね」
「ひとりが傘を持っているので濡れていない。もうひとりは傘がないので濡れている」
「それもちがうね」
「じゃ、どういうことなんですか」
「雨は、二人のひとりひとりに降っている。『二人には』、降っていない」
「ひどい。単なる言葉の遊びじゃないですか」
「そうかもしれない」
それからしばらくして、
私は先生の研究室をあとにしました。
大学の校舎から出ると、
もうすっかり雨はあがっている。
私は時間があったので、
そのまま街に出かけました。
電車から降りて新宿駅を出たところで、
またにわか雨が降ってきました。
そこで近くにあった銀行のひさしでしばらく雨やどりすることになってしまいました。
すると、
そこへ
二人の若い兄ちゃんが雨ごいにやってきました。
「兄貴、すっかり濡れちゃいましたね」
ああ、
といいながら、
兄貴と呼ばれた、
やせて背の高い男は濡れた両手を軽く左右にふり払って、
雨降る空を見あげました。
まだどこか田舎から出てきたばかりのように見え、
東京に染まったあかぬけたところがなく、
素朴な好青年だった。
私はうかがいしれないその道のイメージとはちがった印象を受けました。
けれども、
これから過酷な道を歩むんだろうなという感じも受けました。
おもわずここで、
私はフランスの小説家の短編小説を思いだしていた。
パリの空の下、
小さな出来事のなかで懸命に生きている人々が描かれている、
そんな光景が思いだされた。
どうして
こんな道に歩んだのだろう。
すこし切なくなった。
やがて小雨になり、
二人は雨の中を濡れながら歩いていきました。弟分も慕うようについていきます。
歩いていくうしろ姿を見ながら、
ふと、私はすこし前の先生の言葉を思いだしていました。
雨はひとりひとりに降る。
二人には降っていない。
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