見出し画像

 現代の寓話 華麗といえば華麗な、藤原定家と三島由紀夫のころ


 和歌の藤原家隆は、つね日ごろ藤原定家にはかなわないと思っていた。
ところでその定家サン、名誉欲が強く、地位もことのほかめでたく興味あり、何かしら和歌にもそれとなく反映されていた。

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや 藻塩もしほの 身もこがれつつ

ご存じ百人一首の定家の歌。
恐れいります。

この華麗といえば華麗でクロウト受けし、文学者が何かと解釈したがります。この歌はどういうことかと、われわれ庶民はうけたまわるしかございません。
掛け言葉や縁語のてんこ盛りな歌の前にかしづくばかりでございます。

 いっぽうでこんな歌。

遥かなる 岩のはざまに ひとりゐて 
おもはで 物おもはばや

この西行の歌にはむずかしい言葉はなく平易なのに、あたかも現代語みたいにすうっと心に入ってきます。
ボクごときが優劣を言うのは恐れおおいけど、個人的には素朴な西行サンの歌の方が好きだな。

昔も今も地位と肩書きの社会的特権の見栄や、利害関係に囚われがちなわれわれと違って、西行サンは囚われることがなかった。時代が過ぎればそんなもの意味もなく、ひとり離れて自分じしんを見つめ歌うものには時を超えて共感するものがあります。

 ところで現代の
厚化粧の履歴に厚化粧の文章を好んだ三島由紀夫は、俗世間に興味がそこはかとなくあって、くれる物ならなんでももらってやろう、と懐の大きいところを見せ、人一倍虚栄心が強いのに俗物を嫌いがちな作家を見て笑っていた。

でもいくらかのやせ我慢も必要です。
ここで、卑近な例で申しわけございません、
むかしプロレス中継で、アントニオ猪木と相手が場外乱闘になった。そばでは中継していたアナウンサー古舘伊知郎の実況の声、
「おっと、ここでお得意のパワースラムのお返しかっ」

お互いに目が合い、声が聞こえてきてふるい立ち、アントニオ猪木は本当はリングに戻りたかったのに、おもわずパワースラムをかけてしまった、という。


ミイラ取りがミイラになり、人のふり見て我がふり直せなどと反面教師を諭しながら、そんな三島サン、右翼行動も初めはそんなに深刻でなく、多少のポーズでも、いつしか国民の関心も高まり、ファンの期待もあって本気になり、いつしかみずからの身を滅ぼしていったと、ささやかれている、ホンマかいな。


短歌のわかれ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?