「短編の前編」 雨は、二人には降らない
あらすじを読もうとすればしんどいけど、散文詩的にゆっくり読むと楽に読めるかもしれない。
でもラヴクラフトのクトゥルー神話のように怪物が出てきたり、シャーロック・ホームズがあらわれて謎を解くわけでもないので、みなさんの期待は見事にはずれるだろう。
今回、2年前の比較的長い文を読みやすく前編後編にわけ、ついでにわかりやすく改訂もしました。
1.
「あら、小食さん。お元気」
「あっ、どうも。こんにちは」
アパート近くにある、食堂のおばちゃん。ときたま行くので知りあいになった。いつもひとりで食べているので、ふと声をかけたくなったそうだ。
食べかたを見て、あら、あなた、おちょぼ口でかわいい。もっと口をあけて、お食べなさいよ。体が大きくならないわよといわれた。
「ええ、ちっちゃいときからいわれています。あまり食欲がないので、というより、あまり食べ物をたくさん食べれないんですよ」
「小食なんですね」
「えっ。なんで知っているんですか、ぼくのあだ名」
「あれ、あなたのあだ名なの。素直にいっただけなのに。みんなが思うのは同じなのね。ふふふ」
それ以来食堂に行っても、小食さん、といって声をかけてくる。
もっとも、おばちゃんも親しみを感じたのか、おかずの小皿をおまけしてくれる。おばちゃん経営だから、できるってわけ。
そんなこんなでアパートに着き、ドアをあける。部屋に入り、カーテンを開いてすぐに窓をあけた。そして外の景色をぼおっと見ながら、大きくひと深呼吸をした。
さあ、
今日は久しぶりに食事を作ろうか。ひとり焼き魚定食といこう。肉料理より魚が好きなので、
自炊するときはいつも魚を作るときが多い。煮るよりも焼き魚が多い。
煮るのはなんだかめんどうくさくて、それにおいしくするにはいろいろコツがあるみたいで、調味料とかなんとかいろいろと。一度やると簡単そうに見えるのだが、彼女でもいればね。焼き魚がてっとり早くておいしそうだった。
そういうわけでワンパターンではあるけれど、テーブルにつくのはお馴染みのものとなる。ただ、魚を変えてバリエーションを作っている。鯖とか秋刀魚とか鰯とか。ときにはいまさらではないけれど、骨をつくるために小魚を食べることがある。
小学生や中学生のとき、弁当を作ってもらえるとき、必ずメザシが入っていたことを思いだしてみる。体をつくるから骨をつくるから、たくさん食べなさいといわれ、いつも弁当箱に入っていたものだった。
残すのが悪いと思って、にがいにがいと思いながら食べたものだった。それがひとり暮らしになって思いだしてみると、妙になつかしく食べてみたいと思うから不思議だった。
テーブルにすわり、焼きたての秋刀魚を箸でつまんで、口のなかへポイッ。口のなかでギシギシ噛みながらご飯を食べ、ひとり顔がほころぶのだった。
小食は、
いまいったように、もちろんあだ名。本名は小林英雄という。
父親が文芸評論家の小林秀雄が好きで、秀雄にしようと思ったらしい。さすがにそれはかわいそうだな、小林秀雄なら文章が上手だろう、書いてみな、とか学校の先生からいわれないまでも、クラスメイトからからかわれそうでやめたそうだ。
それでもヒデオはどうしてもつけたくて、父の父、つまり祖父が好きだった演歌歌手の村田英雄から文字をもらった。それ以来、この名前だ。好きでも嫌いでもない。でもどこか気になる名前だった。
だから、教科書に出てくると意識しないまでも気になった。そういうわけかどういうわけか知らないけれど、あまり文学に近づかないようにしていた。近づきたくなかった。
小林英雄、30歳半ば。独身。
マンションとはいえない六畳ひと間。いまの生活能力からして、これぐらいが妥当かな。
でも、いま市議会議員をめざしている、れっきとした新興政治勢力の党員である。秋刀魚のハラミを箸でまたぐぐっと取って、じぶんでも意識している大きくない口に入れ、骨ごと噛みしめながら思いはつのるのだった。
やるっきゃない。
2.
初めて、
大学院を中退して政治家になるといったとき、まわりは驚いたものだった。両親に話したとき、父親は激怒して、おまえはいったいなにをいっているんだ、大学院はどうするんだ、政治家になるといってもどうやってなれんだといって、それからいっさい口を聞いてくれない。
生活はどうするんだ。
とうとう実家を出て、ひとり生計をたてながら党のボランティア活動をつづけ、一刻も早く議員になろうとめざしている。
そればかりでなく、つきあっていた彼女からもつき放された。政治家をめざしているといったとたん、態度を変え、
「そうがんばってね、」といってすぐ別れをつげられた。
つきあっていた三年間はなんだったといいたくなった。ちょうどいい、別れのきっかけをもらったということなのか。以前からその機会をねらっていたとでも、そう思いたくない男心だった。
地盤看板を持っている政治家の御曹司だったら、よかったのか。そんなもの聞いてもしょうがない。ちょうどいい、女の正体がわかったと思っても、気が落ちこんだものだった。
逆に彼女の身になってみれば、無理のないことかもしれない。政治家の妻はしろうとの人では、うわさで大変だと聞いているし、落選者はもちろん、政治家になっても大変だといわれているから無理ないことだろう。
見返りよりも大変さが頭をよぎったのだろう。でもやっぱり、いい恋人関係は引きぎわを考えていたというのがもっとも無理のない根拠だった。
そんなことより、
いまの社会は腐っていると小林は思った。
社会はいつも腐っているだろう。戦国時代でも平和の時代でも。そう、いまは平和の時代に見える。
生活を変革する、と本家本元の小林秀雄は思っていたらしい。そんなことより社会の変革が先だろう、と後手の小林英雄は感じていた。
戦争できない、しない国は国で、国内で利権をあさり既得権益を侵されないよう、新興の連中を排除して利権を謳歌している。
ぬくぬくとしている。競争はげしい企業ならまだしも、同じ許されないのが公的機関みたいにふるまっている昔の批判精神、ハングリーさをなくしたマスコミ連中だった。
それが小林には許せなかった。政治家をめざした理由だった。
そうだそうだ、まったくだ。小林はご飯を口に入れ、なん回もなん回も噛みしめながら思った。箸を握る手にも力が入った。
さらに思いはつのって、怒りは収まらなかった。
マスコミも政府も、いまはアメリカが白だといったら黒でも白。アメリカが戦争で空爆しても正義のための行いで、アメリカに抵抗しているのは常に日本の敵側となっている。
また警察が逮捕したら、
司法裁判を待たずに犯人扱い。被疑者ではなく容疑者になっている。逮捕前に、そおっとテレビ局に通報し、大々的にオンエア。その代わり警察二十四時の放送でお返しね、ときた。
個人情報の漏洩なんか、全然無視のなれ合い状態。政治家も警察もテレビ局も、持ちつ持たれつのナアナアの感じ。警察官をやっている友人はとってもいいやつなのに、一部の上層部だけとか、組織的のなるとそんなふうになってしまうのかな、とっても悲しくなる。
NHKと五大民放の独占カルテルで、それでも国民が幸せならいいな状態、サラリーもたくさんもらって、テレビの向こうは庶民顔を絶やさない。倒産知らずで、大手新聞社ともども記者クラブも独占して、弱小、フリーライターは切り捨てごめん。
まったくしょうがない連中だ、けっして危険なところに行かないで政治家の言葉のたれ流し、海外紛争ニュースもどこかのソースをもらっています。まさか紛争相手の一方の国ではないでしょうね。
誰もなにもいわない。テレビに出るキャスターも高いギャラをもらえるからあたり障りなく、コメントする芸人も評論家もテレビ局とプロダクションの顔を見てものを喋り、日本お家芸の太鼓持ちをやっている始末。
こちらが怒るよりも最近では、テレビに出ている芸人や評論家も考えてみれば、かわいそうだなと思ってしまう。局から見放されてしまえば、誰も振りむいてくれない。テレビ局はテレビ局でそうしなければ死活問題だった。
いま思いだした。
築地の無菌場所には大手新聞社が立ち、われわれ都民の食べる市場はどうなんでしょう。渋谷、六本木、赤坂などと一等地に、要塞みたいに立っているテレビ局。政府官僚はなにかと便宜をはかり援助して、相手の弱みを握り、懐柔策ときた。なにかのときのご用心、よろしくね。
「後編へ」
( 後編に行く前に閑話休題 )
以前に言ったように人は箔をつけたがるものです
著名な画家とか作家の子供だと自分が何気なく誇らしく、また本人が画家や作家であるときに芸大と東大出身だと誇らしくて、そんなエリート大卒であるときは偉人の家柄あるならばどこか心地よく有利にも動いて、明治維新でなくても偏差値の低い出身の多い偉人がつくった幕府などの新体制派は何にかと元は正せば清和源氏とかイザナギとイザナミの家系とかいい繕っていた
これもまた先の話題に出た、官僚出身でエリートであるが故に作家志望者のあこがれの対象だった三島由紀夫は天皇近くに侍りたがり、文学者として慕っていた太宰治や伊東静雄に会いに行き、一瞬にして、その俗物性を見破られてしまった
もし文学に内面の解放を求めるものがあるならば、まず初めに内面とともに、作家じしんの意識にまとわりつく社会存在の縛りを解き放つ必要がある
( さてこの続きは次回へ、ワープ )
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