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 大杉栄 エピソード 2/2 同じことを、違ったふうに


8、
 一犯一語。

 大杉は二〇代のほとんどを刑務所で過ごした。時間を有意義にするため、一回刑務所に行くたびに一か国語マスターすることを決め、エスペラント語をはじめ欧米語の数か国語をマスターした。

彼が初めて訳したファーブル昆虫記は、正式には「Souvenirs entomologiques ( Entomological memories )」といい、直訳すれば、昆虫学の思い出ぐらいの意味。
少しかたい名前なので「ファーブル昆虫記」にしたそうです。
気休めで訳したわけでも原稿料は欲しいわけでもなかった、仲間の同志もそんなもの訳するより、他にいっぱいあるのに、ともつぶやいていた。

後年、ボクはマルクスがダーウィンに傾倒し、たぶんサインでもして『資本論』をダーウィンに送ったのに見向きもされなかったこと知った。もしかして階級闘争は生存競争のヒントかな。

ファーブルの昆虫記には、ダーウィンに批判的だったことがよく指摘されていた、でもそんな主義主張でモノを測るタイプの男にも見えないし、単に昆虫の生態がおもしろかったのだろう。
だから専門分野の人たちが垣根を作ってどんなもんかな、としがちなのに偏見なしで見ていたので、いまでも学問か文学か迷うことなく楽しく読むことができます。

ついでに生物ものといえば、シートンには55の動物物語があり、日本で出版するにあたって、「昆虫記」をヒントにそれらをまとめて、「シートン動物記」としました。

ところで、
突然、卑近な例で申しわけありません。
じつはボクはですね、大杉のまねじゃないけど、多少本を読む機会が多いので、何ごとも一生懸命やって挫折したら一か国語マスターしようと決めてました。
うまくいけばそれでよく、ダメなら一か国語マスターしてやるぞ、転んでもタダで起きないと決めていた。
カッコよく生きるぞ、なんてね。

9、
 警察にひっぱられて、歯を食いしばる警官。

 大きなマフラーをして警察官に連れられていく大杉の一枚の写真があります。
あるとき会館で、運動の会議に参加することになった。
奥さんの伊藤野枝さんに、無茶しないでねといわれて赤いマフラーをかけて、講演会へ行きました。

開口一番、閉会、閉会といわれ会場は大騒ぎ、何も言わずに警官に引っ張られて警察署へ直行。
署に入った途端、大杉は署長はどこだ、責任者はどこにいるんだ、と怒なっていた。
あいにく署長は留守、そばにいた警察官はどうしようもなく言い返せなくて、歯を食いしばっていた。
そこに、初めて労働者文学らしい小説「坑夫」を書いた宮嶋 資夫が一緒にいて、まるであべこべだな、とおもわず笑っていた。
「あまりわがままをするもんだから、つい大声を出しちゃった 」


10、
 頭がいい矢沢永吉。

 文芸評論家の小林秀雄を知っている人がしゃべる口調から例えて、小林秀雄を頭のいい落語家の古今亭志ん生みたいだなといっていたことを思いだして、うーん、それじゃ大杉の場合は誰かな。

さっきの警察署のエピソードを例に出しながら、ミュージシャン矢沢永吉の喫茶店での出来事をふと思いだしていた。
スタッフ仲間の誰かの中に、店の不都合があってそのことを見つけたヤザワ、即座にオッケー、エブリバディ、オレにまかせて、あのねといいながら仕切るヤザワを見て、とてもおもしろく和やかになったという仲間の話があった。
刑務所内の病で少し体が細くなってからの大杉に雰囲気は似ているけど、頭がいい矢沢永吉って感じかな。


11、
 個人主義的。

 当時の自由主義的な資本主義といっても、じっさいは欧米各国のかってな「植民地主義」政策で、世界各地で植民地主義を展開していた。

第二世界大戦前、かろうじて免れているのは「3国」だけ。
アフリカのエチオピアは疫病で、アジアのタイはイギリスとフランスの緩衝かんしょう国でからくも免れた、残った唯一の日本国は虎視たんたんと列強から狙われていた。

そんな日本国内でもやがて、利益中心の資本主義が訪れ充満し始めて、小学生の頃から炭鉱で働かされ、女工哀史あふれ、金持ち子弟は戦役を免れている。

当時のそんな資本主義に対抗し社会主義の立場に立っても、自由を圧して、やがては独裁になることを予言して、共産主義と真っ向から対立していた。
それゆえアナキズム、のちのリバータリアン(完全自由主義者)ともいわれ行動しても、アナキズムにこだわることはなかった。
その当時、賀川豊彦から問われて、しいていえばインディヴィデュアリスチック・サンジカリスチック・アナキズム、と自称した。

Individualistic syndicalistic anarchism
個人主義的・労働組合主義的・無政府主義

それに
議会といっても、女性はもちろん、一般国民には選挙権がなく、「少数の金持ち」が選挙権を持ち、「より金持ち」を選挙しているだけで、すなおな国民は国に反対する集団を非国民と呼んだ。


12、
 ひと言でいえば。

 映画「時計じかけのオレンジ」の中で街々を暴れまわっていた不良な男がいた、その反面、男は音楽をことのほか愛していた。
とうとう警察に捕まり、特別に心を矯正するためにいい音楽を聴かせよう、ベートーヴェンの曲で心を改めさせようとした、けれど男は必死にもがいて抵抗していた。
「やめてくれ、そんなことのためにあの人を使わないでくれ、あの人はほんとうにいい人なんだ」

ふふふ、おもわず笑ってしまった。でも妙に言いあてていて、なんだかとてもおかしかった。
そんなふうに芸術とか思想をいろいろ詳しく評論するより、ひと言でその人をいい当てていることがある。

かつて対談で、大杉栄をどう思いますか、とアナキズム詩人秋山清に問われた吉本隆明、ひとことだけポツリと言った。
「あの人はえらい人だ」

そんな吉本にはフランス哲学者M.フーコーと対談したとき、ふとよぎった感慨があったにちがいない。

大杉は、ちょうどその頃訪日していた哲学者バートランド・ラッセルと対談がセッティングされたことがあった。
対談後、感想を請われ答えていたものだった。
「どうも、あの鶏みたいにうわずった声の高いのは嫌いだね」

ラッセルの声は聞いたことないけど、フーコーはそれほどでもなくても、声は明るく高めだね。


13、
 にが笑い。

 政治家や小説家ならなんとか理解できても、革命家とか詩人といわれても、職業として成り立つのかどうかもわからない。
思想家は日本にひとりしかいない、中江兆民、中江イズムといわれ、革命家と名のる者がいても本当の革命家は日本にひとりしかいないといわれ、大杉はレーニンや毛沢東とともに並べられて、じっさい対等にしゃべれるものは日本には他にいないようである。

近くに住む作家の内田魯庵が、たびたび大杉の家を訪れ大杉の子どもをあやしていることがあった、そのおり、もうそろそろ大人になったらどうだ、といわれ苦笑していた。

何かといっては警察から危険人物にされて、刑務所に入れられていた大杉は、社会世情が不安になった頃、こんなときこそ革命を起こすんじゃないのと人からいわれ、きっぱり言った。
「革命はどさくさにやるもんじゃない」

じじつ大震災が起こったとき、町々が壊れ、泥棒や強盗が出没する危険があったので、近くの住民と一緒に対策予防にあたり、町をまわっていた。
一緒に付近をまわり、防災にあたっていた人が、大杉を見て、この辺に社会主義者の恐い大親分がいるそうだけど、ダンナがいるから安心でさ、といわれ、にが笑いしてしまった。

「近代思想」以降か



14、
 月の明かりを浴びながら内なるものを照らし見つめて、社会の不条理の中で「正義を求める心」と、満たされない魂を「言葉で表現したい」のは昔も今も同じで、昨日求めたものを今日もまた求める、同じことを違ったふうに。

( 成功したから賞をもらったから、言葉がもっともらしく見えたり、偉人の言葉だから優れて見えても、じっさいは明日がわからなくて現在を闘っているときの「過程」、プロセスがわれわれにとってもっとも重要ではないだろうか。

作家プルーストに天分の才があっても一冊の本も書かれなかったらわかるはずもなく判断もされない、天才は書かれたものから判断されるのはもっともなことでも、書かれた過程がもっと重要です、当時認められなくとも、人の評価は追いついてもきます。

また人の評価は、評価する人にも反映する鏡で、自分がどうなりたいのか決めたら、他人の評判は気にしないで、「この人は」という人を貪欲に探し出して、自分を創って行くしかないですよね。逆境に負けないでやっていこう )


 大杉栄謀殺事件で、取り調べられた首謀者の甘粕大尉はこう語ったという。
“ たくさんの社会主義者がいても口さきだけで頼りなく、大杉ひとりいなくなれば社会主義はなくなるだろう ”

その後いろいろ社会主義運動は変遷しても、じっさいそうなった。
時代とともに内実と現実が伴わない思想と行動は、支持も成立もなされないだろう。

国の主義主張だから従い、違えば排斥して、国が違っても国家権力者に近づき、あるいは結びついて国教になり保護されたら、好まなくてもなぜか世界で好まれるようになり、聖書とか、儒教、マルクス主義をただ研究しているだけなら安心安全で賢くも見えて、コレもまた、なぜかえらく感じさせ表彰もされるのでした。

そんな世間から離れて図書館の暗い隅の奥を見てみれば、文献に囲まれ、ひとり恍惚として自己満足している聖書学者とか儒学者、マルクス主義学者の姿を見いだすことができるだろう。
じっさい大学生のころ、学生たちの明るいざわめきを離れて、教職員の校舎のさびしい階段を上がるとき、重いマルクスの本を抱えながら喜々とした教授とすれ違った。

当時の資本主義と共産主義の不備と正体を唯一見破って、多勢たぜい無勢ぶぜいの中でも闘った大杉栄。
常に主義主張の前に参考にしても、先に国民の現状を見て思考していた。

明治維新から七十年過ぎたころの不穏な空気に似て、戦後から七十年も早や過ぎて、戦前のメディアを思わせるような、利害関係やソンタクで身の保全を守ることが多く見られ始め、すっかり政府や警察の「広報機関」に成りさがった、大手新聞社やテレビ局の腰抜けぶりが見られる昨今、こんなときこそ戒めるためにも社会情勢ばかりでなく思想や芸術でも、あらためて前に進むには先人の知恵をかえりみる必要がある。しばしの間、耳を傾けてみるのもいいかもしれない。
身体をはって生きるとは、どういうことかを教えてもらった。


矢を放つには弓の弦を強く後ろに引っ張って、遠くにジャンプするには後ろを振りかえって、助走をつけねばならない。


左.大杉栄 中央.伊藤野枝



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