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 おれってヤザワ、ヒトを食ったような話

1.

 おれってヤザワと言っても
たぶん、海の向こうのアメリカでは希望しても通用しない、
日本オンリーのホラ吹きミュージシャン。
でも日本国内だけでも需要供給できる娯楽産業なので、日本人の距離感だけなら共感されるだろうパフォーマンスで生きていけた。

でもお隣りの韓国では人口的にも一国だけでは需要供給できず、他国にも視野をいれなければ生きていけないような
パフォーマンスなどを身につけることを余儀なくされて、
一方アメリカではもっと集客力をつけるため、
興行主にお金が入るように、
日本人を映画に出したり、大リーグに入れたりして日本人客から金をせびった。
しかし遊んであげてもカレらは歴史と民族性から、
仲間とは決して思っていないことを、ふとした瞬間に、気づくとは日本人によく聞かれる言葉だった。


そもそも
地球人が同じ人間だからといって皆んなが共感できるわけもなく
一人の英雄が、一国の大国が諸国を支配できるはずもなかった。

共感できなくても理解は多少はできて、
違うからこそかえって尊重することもできて、いい方に活用して受容できることもある、
人間関係、国際関係、男女関係とか。

たとえ
西洋の印象派の絵画がいいって言っても
気候風土も気質も違う日本人にそのまま当てはまるわけもなく、
ロマン主義や自然主義の文学がそのまま日本人に通用されるわけもなかった。
でも活用されて受容され、
またジャズやロック、フォークをものまねして翻訳翻案し、みずから作曲しても、気づけばいつしかお馴染みの歌謡曲になっていた。

酒や食物でもいくら外国で重用されおいしい
と言って持ち込まれ受容されても、地域の周りの自然産物から活用利用されたものが身体にもよく満たされるものだった。



2.

 そういえばイスラム教国圏ではまちがってもブタ肉の粉末でさえ混入されたら処罰されるといわれても、キリスト教国にありがちな自分たちの価値観を他宗教国にも押しつけることがなく、仏教国みたいに寛容なところがあった。
ただ強制されたら、抵抗する黄色人種特有のプライドの高さを合わせもっていた。

そんなブタ肉の話、
以前テレビの世界子供ニュースで、フィリピンからこんなトピックスがあった。

“ きょう学校から帰ってきたらボクの可愛がっていたブタちゃんが丸焼きになっていた、とても悲しかった、でも夜には美味しく食べていましたね ”

フィリピンでは祭りになるとブタを丸焼きにして、お祝いするらしい。

いっぽうラジオではリスナーの韓国の若い女性が、電話の向こうでとても怒っていた、以前韓国でオリンピックがあったときのことを言っていたらしい。

“ 確かにヘビを食用にするのは、もともと卑しいことだったので開催中はひかえていましたけど、イヌをいま食べていけないというのはどういうことですか、ワタシたちの食文化をバカにするんですか ”

そういって若い女性はひどい剣幕で怒っていた。

えっイヌを食べるの、イスラム圏の人には悪いけどブタの丸焼きはあっても、イヌの丸焼きはどうかな。

それに以前、フランス旅行でエスカルゴを食べたよ、でんでんむし食べた、美味しかったよと言ったら、食事中にそんな話をするな、と父親から怒られた。食べられるカタツムリだよ、と言っても怒られちゃった。


そんな感じで、
いくら金星で美味しくて栄養になるからと言われても、われわれ地球人の口に合うかどうかわからない。


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