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 現代の寓話 噂の女、今日の日はさようなら


 現在ネットで噂もちきり、
木下の妻のX子(仮名)は何気なくテレビをつけた。いつものように芸能ニュースを見てスキャンダル話をウフフと笑い、ほんとバカな人たちだわ。
そういって大きな口を開けて、湖池屋のポテトチップスうす塩味をつまんで放り込んだ、左手には大好きなファンタグレープ。
交互につまんではひと口飲んで、楽しく午後の団欒を過ごすのが唯一の楽しみだった。
やおらテレビリモコンを持ってポンポンとチャンネルを変え、時事ニュースになると急にあわてて、いけねえいけねえ、とチャンネルを飛び越えていった。

 でもいいか、注意しないといけないのがネットだけで、テレビ新聞はダンナがなんとかしてくれるって言っていたわ、だから安心ね、などとわけのわからないことをおもわずつぶやいた。

 飛び越えて行った先がX子にもっとも縁がなく、もっとも頭が痛くなるようなところだった、『現代物理学講座、量子論について』だった。
なぜだか知らないX子は、いま置かれている自分を忘れたいのか、いまの心境を無にしたい気持ちがあったのか、意味も分からず無の境地でただただ呪文みたいな画面を見つめていた。


「時間軸が変わると未来だけでなく、過去も変わるんですよ、分かりますか。

時間がひとつの方向にしか進まないというのがわれわれ人類が持っている幻想に過ぎない、というのが最先端の物理学の考え方なんです。だから未来にも過去にも進んでいく。

特に日本人というのは元々、
時間軸は過去から現在、現在から未来に向かうというふうには考えていなかった。

日本語にも
未来は未だ来らず、過去は過ぎ去るというように、だから未来から過去へ流れていくということなんです、分かりますか。

未来が変われば現在も変わり、現在が変われば過去も変わるというのが元々の縄文以来の日本人の考え方であって、別に目新しいことでもなかった。

中国からやアメリカから見たら見方も変わるけど、時間によっても変わるんです。

むかしの教科書では聖徳太子は立派に存在していたのに、いまの教科書では存在が危ぶまれている、同じ聖徳太子なのにね。

江戸時代の犯罪者高野長英は未来の明治政府によって名誉回復し、世界大戦前の非国民と言われた人も戦後になったら偉人扱いされ、逆にヒーローだった人が犯罪者にでもなる。現在の時間によって、過去の事実と情報が変わる。

だからみなさん、ひとつの情報を信用するんでなくて、いろいろな情報を集めて自分の頭で考えることが必要なんです、分かりますか、えっ分からない、分かってほしいのに」

 うむ、そうすると現在をいい方に考えると未来もいい方に変わる、現在の考え方で変わる、じっさい未来予想も現在を照らして考えるものね。

 携帯がなかった頃は現在のことも予想できなかったし、これからの未来予想に大半影響しているってわけか。
ジャニーズ問題も昔だったら、そんな話やめてと嫌がられたのに、日和見のオールドメディアの大手新聞やテレビ各社の常套手段とはいえ調子がいいのね、あまり他人のこと言えないけど、そう思うわと木下妻のX子。

 そんな
あたしの人生暗かった、でも今日からあたしは変わらなければいけない、変わるのよ、変わるんだぞ。
そうだわ今日からダイエットしなきゃ、うかうかしていられない。
そうなのよ、今日までの召使いなみたいな小デブのあたしはさようなら、そして明日のヒロインのあたしよこんにちは。

 でも今日のポテトチップスは明日から試練のためのサービスとのたまわって、口をアーンと開け、袋を逆さにして残ったチップスをポイポイと入れこんだのでした。

( それでも現在、木下妻のX子は肝心なところは、ダンナのいう通り沈黙を守っている )


注. 画像は本文を少しばかり脚色しています


 余談ですけど、大学は理系志望で高校のときは特に物理学の勉強ばかりしていた記憶があった、結局思春期の反動から違う法学部に入ったものの、ときたま昔を思いだし懐かしんでその手の番組を見ることがある。
たまたま「サイバネティクス工学」の番組があったので、最近はどこまで進んでいるんだろうと興味があった。

ひと通り講義が終わって、最後に教授がつくづくこぼしていたのが印象的だった。
「最近の学生はIQが高いけど、EQがそんなに高くない」

IQとはもちろんIntelligence Quotientで、知能指数のこと。
いっぽうEQとはEmotional Intelligence Quotientの略称で、心の知能指数と訳されている。
Emotionalは「感情的」の意味で、自身や周囲の人達の感情を適切に察知し、うまく扱う能力のことらしい。

最近、事件の渦中の木原官房副長官を見て、つくづくEQの教育が必要だな、大切だなと感じた。
事件そのものより、木原サンじしんのモラルとか人格のスキャンダルが明るみに次々に出され、政治家そのものが問われ、人間らしいといえばあまりにも人間らしい人のようだった。

末は官僚トップの事務次官と言われるのを蹴って、政治家トップの首相をめざした木原サンなのに政治家生命も危機的状況になった。
お金を握る者は組織を握る、国家を握ると言われ、官僚の中の官僚、財務省に優秀な成績で入った木原サン、とんだところでつまずいてしまった。

( なんでも財務省の地位は官僚の中でも特権的なもので、ある大学教授が話したところによると、あるとき東大、京大の学長たちが居並ぶ部屋に文部科学省の30歳そこらの若い役人がやってきて、本当は財務省に入りたかったのにとぼやきながら、書類をめくっていたという。

また三島由紀夫の父親は高級官僚で水産局長だったけど、いつも大蔵省(現・財務省)に頭を下げに行っているのを見て、何かしらの思いを胸に、三島由紀夫は大蔵省に入るまで情操を押し殺して勉強していた。
かれの小学生ころの日記などを見ると無邪気でほほえましいのに、中学生前後になると急に見られることを意識してか、良くできましたような作文みたいになり、その後の華麗でも作られた名文は、インテリはよりインテリに弱い読者層にもてはやされても、けっして裸の心をさらさない、初めにありきの完全主義者そのものだった )

そんな木原サン、
じっさい岸田首相の片腕といわれ、政策立案は木原サンなしではうまくいかない、形だけの長官より影の首相ともいわれているそうだ。だから恩恵を受けているオールドメディアも手出しができない。

しかし考えてみれば国民にとってラッキーかもしれない、木原サンには悪いけど、こんな人が首相になっていたら、悪いことはあってもいいことはなさそうだし、といいつつこの事件はどこまで続くのでしょう。

いまは黙って静観している大手新聞社やテレビ局のオールドメディアも、じっさいは記者クラブで、政府や警察の人が原稿を読んでいるのを記事にするだけの記者だったり、原稿を読むだけのアナウンサーで構成されているのが大半だといわれている。
それにご存じのようにジャニーズ問題どうように利害関係やソンタクで動くので、木原サンの影響力がなくなり議員をやめたりすれば警察捜査も入り、いっせいに何食わない顔で新聞テレビで報道されることだろう。

木原サン、あやうし!

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