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長編『君の住む町で』 -3

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 館内の玄関口に車が止まった、なかからかっぷくのいい五十代ぐらいの男が降りてきた、本人がプロレスラーみたいだ、市長らしい男のそばにはホディガードかSPみたいな男が二、三人つき添っている。
 市長は館内にいる客に愛想よく手を振って前に進んでいった、政治家にはありがちな押しが強そう、あの条例文を読んでいかにもという感じがした。

「あの人、プロレスが大好きなんだ、だからここの市の大きい体育館も使わせてくれるってわけ。その点、ありがたいけどね」
「おまえプロレスの関係者みたいじゃないか、子供プロレスの参加者じゃないのか。うふふっ、意外とそうだったりして」

「そうだよ」
「なっ。いままでの問答で、おまえの返しは承知していたからな。前座でやるのか」

「ちがうよ」
「本戦でか」

「ちがうってば」

 またまた始まった、おまえの返し。

「だから、どういうことなんだよ。今度ははっきりしてもらおう」
「子供プロレスには出ないけど、プロレス関係者ではあるんだよ」

 ほう、プロレス関係者ね、身内に興行をやっている縁者がいるのか、プロレスをやっている兄弟や両親がいるとか。この子供の年齢からして父親か、今日は女子プロレスだから興行主あたりか、あるいはレフリーかそんなものだろう、小学生だから学校の授業もあるし、郊外の体育館だから早びけしないと来れないようなところだ。
 もしかして今日は休日だったかな、そうでもなく、それにしてはゆとりある雰囲気だ、落ちついていてこういうところに慣れていた。

「そうか、よかったな、プロレス観戦。じゃ私はさきに行くから」
「どこに行くの」

「どこに行くって、リング場内に入るんだよ、プロレス。おまえは」
「もちろん」

「だろ。私も行くの、指定席に座らなきゃ、自由席じゃないんでね。悪いけど働いて幾分所得があるんだよ、少しはね。だからいい席なんだ、A席。まあ特A席もあるらしいけど、こんなものかな」
「これ、あげるよ」

「おまえの券か。おっそれ以上の、一番いいリングサイドの券じゃない。本当におまえ、興行主の息子か」
「そうじゃないよ」

「そうじゃないよってこんなもの、一番いい席じゃないか。おまえが買ったのか。おまえ、金持ちの息子か」
「大げさな」

 ちょっとな、大げさだった、少しばかり。それにしても。

「さとし、なにやってるの。もう始まってるよ、いつもこんなところにいて」

 さとしと一緒にいた女性だ、リングシューズにリング服姿、上にジャンバーをはおっている。ああわかってるとうなづいて、私の手を引いて会場内に入ろうとした、私はなすがままにさとしと一緒になかに入っていった。

「おまえのお姉さん、レスラー」
「ああ、そうだよ」

「そうだったのか。だからこの券もあるってわけか」

 弟はなにも答えないで私を席に案内し一緒に隣の席についた、連番で席を入手したらしい、それなら早く入場券も買わなくてすんだのに払いもどしできるかな。まあいいや。それにしても私の席はだれかが座る席だった、前もって買っていたらしいから取りやめになったとか。悪いな、弟に目でサンクス。別にいいよ、そんなもの、弟も顔の表情で答えていた。

 場内はもうすぐ試合を始めるらしくアナウンスが鳴りひびき、観客も三々五々少しばかり増え、席につき始めていて場内も人が埋まってきた。リングアナがあらたまってコメントをしている、ここで特別席にご臨席の市長からひと言、お言葉をたまわります。

 そんなこと、段取り通りだからわかっているさといわんばかりに、市長は席から立ちあがって観客に手を振っている。なんだかリング上にのぼってひと節演説でもしたいらしい、プロレスが好きみたいだから体もレスラー並みに大きい、もしかして以前にやっていたのかも、SPに守られて市長はリング内に上がった。
 マイクを持ってひと言、皆さん。

 と、そのときリング内になにかが投げこまれた。空き缶が二、三個、市長のいるところに放りこまれ、缶から煙が出ている。

 どうも缶の周りにガムテープでなにかを巻きつけているらしい、たばこみたいだ、そこから煙が出ているのだ。
 煙幕しては迫力のない煙、でも効果は抜群だった、なにしろ市民生活の営む公共施設で、たばこの姿が現れたらいけない、話してはいけない、まして煙を見ようものなら、いまでは大麻やマリファナよりたばこの取り締まるための神経でピリピリ。私もこの町に来て気づくまではそんなではなかった、いまではそんな私も雰囲気的にビシバシ、まわりの雰囲気で伝わって、そんな中、堂々と反抗の狼煙があがったのだ。

 そのわりには意外と、まわりの観客は冷静だった。火のついたたばこを投げこんで、なんだかんだと叫んでいた男もすぐに警備員にとり押さえられてしまった、同じ警備でもなんだか警察官のようで、まるでたばこの煙のように跡形もなく騒動は消されてしまった。
 そこまでしなくてもいいんじゃないか、たばこを投げいれた男は頭を叩かれ足でいやというほど蹴られている、こんな奴はどうなってもいいんだ、見せしめみたいにやっつけられ、だれもこんな奴に誰も同情しないって雰囲気。すごいな、まったく。

 リング内では市長がなにもなかったように冷静に、たばこの灰がかかったのか、服をパタパタと叩いている。こんなことはどこでもありがちさ、こんなことでいちいち驚いてはなにもやっていけない、すばらしいことをするにはいつも反対をする者がいる、弱腰でいちゃ何事も偉大なことはできない、というような大人物を装っていた。
 リングに一緒にあがっているSPから、さあここから去りましょうという合図を制止してリングに留まっていた、それだけでなく市長はマイクを持ち、ポンポンと音声を確認して観客に向かった。

「皆さん。どうも無作法な場面、さぞかしお怒りになっているでしょう、曲阜市長の南です。まだこんな輩がいるんですね、社会良俗に則って生活できない人たち。でもご安心してください、さっきのようにすぐに取り締まってみせます」

 ここで、南市長は投げこまれたままのたばこ缶を拾ってつくづく眺めている、まだ煙が出ているのか、コーナー隅まで行って金属の柱にこすりつけてから、リングのセンターに戻って、ふふふっ。

「ほらごらんなさい。缶の周りにたばこが五本ばかり、ガムテープで巻かれています。高価なたばこをこんなに無駄にするんだから、犯人はよほど、金持ちだったんですね。私みたいな貧乏市長はとても手が出ません、すおうとしても手が出ません、もっとも反社会的なものに手を出しませんけどね」

 観客は笑いながら、一方では手を叩いて市長の言葉に合唱していた。

「皆さん。皆さんの町を守るのは市民の皆さんです。市民生活をおおびやかす反良俗、反社会な行為を断じて許すことはできません。市民の健全さと健康を守るために、たばこの廃絶に尽くすことをあらためてここに力強く宣言したい。

 とにかく正義をおこなうとするとかならず反対する人がいます、どんな世界にもいます、そんなことに屈していたら何事も正義は実行できません。なかにはたばこと癌は関係ない、必然性がない、喫煙率が減っているのに癌が増えている、そう、のたまう連中がいます。

 そんなことはありません。わが国の同盟国である英米始め、国際の保険機関は健康の害を認めているじゃありませんか。わが国の大学のえらい先生による研究結果もそうですし、国立の大きい病院長も副流煙被害を大々的に説いていました、いったいどこにたばこがいいんでしょう。

 もしかして灰がらを放置されているだけでも、いつしか私たちに不利益をもたらしているかもしれないのです。どうして、このようなことが許されるのでしょうか、けっして許されません。

 でもね、皆さん。何事も、なんでもだめではあまり大人げない。逃げ道がなければ、かた苦しくって生きていけません。そこで一歩ゆずって、どうしてもたばこをすいたい人のためには、家庭内だけはたばこをすってもいいんじゃないかと私たちは努力したのでした。

 また、市民の健康を守るためにたばこの値上げに尽力したのです。どうしてもすいたい人はそれからさき、本人の手腕にかかっています。奥さんをどう説得するか、私なんか、とてもたち打ちできません。はははっ、せっかくプロレス観戦なのに、こんな野暮な話をする羽目になってしまいました、どうか、お許しください。

 さあ、スポーツを楽しみましょう。これからも私たちは市民生活を守るために、この美しい町を守るために、市民の敵を排除していきましょう、守っていかなければなりません」

 ねえ、おもしろいでしょう、となりのさとしは目くばせしながら私の肘を引っぱった。おもしろいというか、なんかすごいな、この町はいつもこんな感じなのか、他は多少似ていてもこんな風じゃないぞ。
 市長は、得意げに観客に手を振ってリング内からおりていった、席に戻って観戦するでもなく、そのまま警備に守られながら場内から出ていった、予定が詰まっていたのだろう。

「わかる。あれ、やらせなんだよ」

 えっやらせ、なにが。初め、あったやつ。火炎ビンというか、たばこの煙缶を投げたの、あれ、やらせなの、どうして。

「あれは単なるふり、市長が長々と演説するための前ふりなの、みんなの気を引くためのね。そうじゃないとだれも市長の話なんか、プロレスを見に来ているのに政治の話なんか。これもポピュリズムのひとつさ、仮想敵を作って、じぶんを正当化するためのね」

「おまえ、むずかしい言葉を知っているな。だれから教えてもらったんだ、ひとりで新聞読めるわけないだろう。子供新聞にそんなこと、載ってんのか、載ってないだろう」

「そう、載ってないよ。載るとしても政治家は、いいお父さんばかり」

 いいお父さんね、うまいな。ほんと、NHKに出てくる政治家に悪い人はいないし、テレビに出てくる芸能人はみんないい人ばかり、ニュースではスキャンダルで捕まっている人が多いのにどうしてなんだろう。
 欧米流みたいな二重基準、昔の植民地主義でいまの市場覇権主義に似て、アメリカンスタンダード的な裏表風、最近の欧米社会では三枚舌四枚舌ばかりでなく七枚舌八枚舌もざらだという。

 そういえば火のついたたばこ缶を投げいれたらしい犯人は、さんざんひどい目にあってどこかに連れて行かれた、どこか手加減されていたようだったのは気のせいか。さとしではないけどそうかも、人の心はわからない、こんな心は私だけじゃなかった。







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